彼女の知る理由
「はぁ・・・」
理紗は思い詰めたようにため息をついた。
理紗の膝の上で丸まっていた楓牙は、それに反応して首を傾げた。
「主様、どうされました?」
浮かない顔をしていても我が主の美しいかんばせが損なわれることはないが、このような表情よりも柔らかい微笑が似合うことは誰もが知っている。
「あのね、楓牙・・・昌浩が・・・」
楓牙の耳がぴくりと動く。
自分の主は弟をことのほか大切にしている。
いつも昌浩昌浩と言って、あまり自分に構ってくれないのが・・・
少し。
ほんの少しだけ、気に入らない。
自分の主なのに。
昌浩からしてみれば、自分の姉、なのだが、楓牙には関係ない。
「昌浩が・・・横笛師の藤原重清様のところに筋を見てもらいに行ってしまったの・・・」
理紗は楓牙を抱き上げて、力なく言った。
しかし楓牙には、それでなぜ理紗が落ち込んでいるのか、理由がわからない。
「昌浩が楽の道を目指したらどうしよう・・・」
「・・・?」
「今の昌浩は、笛が得意とは言い難いけれど、とても努力家だもの。すぐに上達してしまうわ。
重清様がそれを見込まれたら・・・」
「・・・・・・・・・」
何とも姉馬鹿と言える台詞だ。
当の理紗は至って真剣なのだが、聞いている側にしたら、それはない、と否定してしまう。
つい先日、書の大家の元へ行ったときも、同じようなことを言っていたが、結局は才能無しの太鼓判を押されて帰ってきている昌浩だ。
心配する必要などないだろう。
そもそもこう言った会話は我が主に過保護過ぎるふたりの神将も含め、何度もしているのだが。
「昌浩は陰陽師として、最高の才を持っているというのに・・・」
確かに、今はおじい様に見鬼を封じられているが、昌浩は彼の唯一無二の後継なのだ。
なのに、他の道に走るなんて何と惜しい才能なのか・・・。
「私は、おじい様の後継には成れないから・・・」
ぽつり、と漏れた弱々しい声の意味を楓牙は正確に理解した。
「・・・・・・主様、あの事は・・・」
「・・・まだ、言わないで・・・。
もう少し、このままでいたい」
いつか、必ず選択の時が来る。
ならば、その猶予の限りまで、足掻きたい。
楓牙は、弱々しい声音の理紗を励ますように、頭を擦り寄せた。
「ごめんなさい・・・これは逃げだって、わかってる・・・・・・でも・・・」
「主様が謝られる必要は有りませぬ。主様がそう望むなら我はそれに従うのみ。
如何なる時であろうと、我は主様の御為に在ることを、お忘れくださるな」
「ありがとう、楓牙・・・」
理紗は哀しげな笑みを浮かべ、楓牙の見事な毛並みに顔を埋めた。
「―――理紗様に永劫の忠誠を捧げると、ここにお誓い申し上げます!」
十余年前の空白の三日間を知るものは、ほとんどいない。
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