fragola
雲雀夢/少陰夢


Since:2010/08/01
Removal:2013/04/01



北辰の翳り


風が強い。

建物の屋根上に、ひとつの影が闇にまぎれてたたずんでいる。すぐ下は闇だが、離れた場所に視線を向けるとところどころで篝火が焚かれ、それが周囲に立ち並ぶ建物をつなぐ渡殿の影を浮かび上がらせる。しかし炎は周りを照らすだけで、屋根上にまでは届かない。

闇の衣をまとい、気配も絶っているので、誰もそこにたたずむ影には気づかなかった。



「・・・・・・・・・・・・」



夜明けまで間のある闇の中で、剥き出しの腕をさすっていた風音は、ふと顔を上げた。

空を覆いつくした雲で星は隠されている。

好都合だ。

風音は薄く微笑んだ。

左肩に留まっている双頭の鴉を一瞥して、彼女は目を細めた。


「扉を、開くのだ」


重々しい、時折ひび割れる声が、耳の奥で甦る。左の鴉の口を通して、遥か遠い西の地から宗主が伝えてきた命令だ。



「・・・・・・黄泉の扉を、開く」



それは、彼女を育てた宗主の、長年の野望。そして。

風音は唇を噛んだ。

扉を開けば、失われた魂がこの地に黄泉還る。



「開けば、きっと・・・!」



彼女の重い呟きを聞きとめたのか、右の鴉が顔を上げた。気遣うようにして、黒いくちばしを風音の白い頬にすり寄せてくる。そのくちばしに軽く指を当てて、更に鴉の喉元を撫でてやりながら、彼女は目許を和ませた。



「・・・・・・大丈夫よ嵬、心配いらないわ。今度こそ、失敗はしないから」



度重なる過失。汚名をそそぐためにも、今度こそしくじるわけにはいかないのだ。

風音は胸元に手を当てた。衣の合わせ目の下にあるものを握りこむような仕草をして、呼吸を整える。

黄泉の扉の向こうには、死者の魂がある。



「・・・・・・待っていて」



ふいに、左の鴉が眼を開いた。



「・・・・・・扉を開き、風を解放するのだ」



風音ははっと息を呑んだ。



「宗主様」


「必要なのは、生贄だ」



重い響きを持つ鴉の言葉に、風音は頷く。

完全に黄泉の扉を開くためには、彼らの術だけではだめなのだ。

扉は、強靭な封印で守られている。そして、その封印を破るために必要なのは、神の血だ。



「この地を統べる者は、神の後裔・・・。贄には幼子の無垢な魂を」



それを聞いて、風音は僅かに動揺した。


当代の帝には、ふたりの子どもがいる。宗主が指しているのは、長女の脩子だろう。



「お待ちください」



左の鴉は冷たい一瞥を風音に投げかける。風音はごくりと喉を鳴らしてから、努めて冷静に口を開いた。



「子どもには、別の使い道があります。贄ならば、ほかに最たる者が」


「最たる者だと?」


「はい」



風音は緊張した面持ちで続ける。



「安倍晴明は、神格を持った異形の血を引いていると聞きました。ならば、あれほどの力を持つ孫娘の安倍理紗もまた、その血を引いているとみて間違いないでしょう」



左の鴉は低く唸った。



「なるほど。だが、奴らは式神どもに守られているぞ。なんとする」


「贄の資格を持つ者は、晴明や理紗だけではありません」



左の鴉は、うっそりと目を細めた。



「十二神将とて不死ではないか。そして、完全無欠でもない。・・・・・・そう、たとえば、火将騰蛇」



その瞬間、風音の瞳に冥く激しい炎が宿った。左の鴉はそれに気づきながら、変わらぬ口調で続ける。



「千丈の堤も蟻の一穴で崩れるものだ。・・・・・・では、風音よ」



ふわりと鴉が宙に飛んだ。翼が羽ばたき、舞い上がる。



「我らの悲願と、何よりもお前の望みを果たすために、この地に瘴穴を穿て・・・!」



夜空にまぎれて消えていく鴉の姿をじっと見つめていた風音は、左手で右の二の腕をぐっと掴んだ。

何かを思い出したように、風音の瞳が揺れる。右の手首に、まだかすかにあのときの気配が残っているような気がする。

それが何なのか、彼女にはわからない。ただ、言葉にならない、今まで知らなかった感情たちが胸の中で揺れ動くのを感じるのだ。

次にその手は懐へ運ばれた。懐から抜き取った手を開くと、そこには小さな翡翠色の玉が乗せられていた。

ぎゅっと握れば、流れ込んでくるものがある。欲しくて堪らなくて、しかしずっと前に奪われてしまったもの。

得体の知れない、誰の物かも、どんな物かもわからないこれを、捨てられずに後生大事に持っている自分。

これもまた、風音の胸を揺れ動かす。



「・・・埒もない」



ため息とともに吐き出すと、風音はかぶりをひとつ振って、感情のない冷たい声で呟いた。



「――安倍晴明。そして、凶将騰蛇よ」



そして彼女は、顔を歪ませるとうめくように吐き出した。



「お前たちの犯した罪を、今こそ思い知るがいい・・・!」
















「―――ちゃん、退院するの?」


「うん!退院して学校に通うんだよ!あ、でも―――ちゃんのお見舞いにくるからね!学校のこと、教えてあげる!」


「ほんと?待ってるね、―――ちゃん!」










「・・・―――ちゃん来ないなぁ・・・」



学校が楽しいのかな。友達ができたのかな。


いいな。いいな。

私も、私だって・・・・・・





「・・・お父さんとお母さんは、どうして来てくれないのかな・・・」











寒い、寒い。誰もいない。

凍えてしまいそうなほど寒いここに私は―――




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