六花に抱かれて眠れ
離魂術を用いた晴明と理紗は、楓牙と六合、太陰、玄武を従えて貴船の麓に降り立った。
念の為、実体の許には朱雀と天一、青龍と天后を残してある。
もし風音が、この機に乗じて襲撃してきたらと、考えたためだ。
貴船を取り囲む結界が見える。
二十歳くらいの姿をした晴明は、聖なる結界を睨んだ。あの中で、昌浩は果たして、防人を無事に浄化させることができるだろうか。
同情してはいけないが、防人の心を正確に読み取らなければ、救うことはできない。それを成せば昌浩は成長できるだろう。しかし、まだ十三年しか生きていない昌浩には、荷が勝ちすぎるかもしれない。
いざとなったら自分が出て行くしかないだろう。
そう考える晴明の横にいた理紗は、妙に騒ぐ胸に手を当てた。
なぜだろう。
曇天は重くのしかかるように、貴船を覆っている。気温もどんどん下がっていた。じきに、雪が降り出すのかもしれない。
息をついて、晴明は視線を落とした。
そのときだ。
貴船を取り囲む結界の一部が、すさまじい瘴気でこじ開けられた。
理紗が驚愕に目を見張った。
「なっ・・・!?」
「なにっ!?」
貴船を守る結界は、創世神話にもその名を刻む高淤の神の織り成す強靭なものだ。
それを、何者かがこじ開けた。
戦慄が背筋を駆け下りた。同時に、自分たちに注がれている凍てついた視線を感じ、理紗と晴明は頭上を振り仰いだ。
闇の中に、蠢く影がある。ばさりと翼を打つ音が響いた。
「双頭の鴉か!」
「晴明、理紗!あれ!」
太陰の叫びに反応するより早く、楓牙から不可視の刃が放たれた。
雪中から飛び出した巨大な化け物の影を、風刃が掠める。
六合が理紗を、玄武が晴明を、それぞれ捕まえて大きく後退した。太陰と楓牙の風が、主たちを守るように渦巻く。
「なによ、これ!気色悪い!ちょっと、晴明と理紗に触らないで!」
太陰は嫌悪感を剥き出しにして、のびてくくる触手を暴風で叩き落とす。
腰に巻いた一枚布が風を孕んで翻る。
太陰は裸足のつま先を雪上に下ろすと、両手を掲げて叫んだ。
「来るなーっ!」
激しく渦巻く竜巻を叩きつけられ、黒い化け物はそのまま数十丈の距離を押し飛ばされた。
晴明を守るように構えていた玄武が、瞬きをして呟く。
「・・・・・・相変わらず過激な・・・」
一方、理紗は太陰の竜巻を受けて千切れる寸前までひしゃげた化け物を凝視していた。
妖気と瘴気の絡み合った化け物の気配。その中に、別のものが垣間見えた気がしたのだ。
化け物の放つ妖気。禍々しい霊気がかすかに混じる、おぞましい瘴気の中に、ほんの僅かに滲んでいる、気配。
「―――っ、風音!?」
不意に理紗の目が見開かれた。
間違いない、この清冽な、研ぎ澄まされた氷刃にも似た力は、彼女のものに他ならない。
それを聞いた太陰が、驚いて声を上げた。
「どうして?風音は凄まじい霊力を持っているんでしょう、なのにどうして、あの化け物の中に呑まれているの!?」
それはおそらく、限界まで力を削られていたからだ。
夕方、風音は昌浩と紅蓮と対峙していた。
昌浩は化け物の気配をたどっていったらしいから、つまりあの化け物は風音を狙っていたのだ。
だからふたりと戦った後、弱っていたところを取り込まれた。
「楓牙っ」
理紗の呼号が響く。楓牙の起こす風が、針のように化け物に突き刺さり、地面に縫い付けた。晴明が諸手を叩く。鋭利な拍手が風をつんざいだ。
「縛縛縛、不動戒縛、神勅光臨!」
晴明の神咒が霊縛の網と化す。
六合の振るう槍の切っ先が、化け物のわき腹を一文字に切り裂いた。白銀の槍が幅広の腕輪に立ち戻って右腕にきらめく。同時に化け物の裂部から、どろりとしたものが溢れ出た。
その傷口に、理紗は一瞬の躊躇もなく、右腕を突っ込んだ。黒い粘液が跳ね飛ぶ。目の際に跳ねてきたそれを気にもせずに、理紗は更に奥深く、肩までどろりとした粘液に浸す。
のばした指が、どろどろと蠢くおぞましい粘液に漂う、冷たいものに触れた。
化け物が怒号を上げて全身をくねらせる。その拍子に指先に触れていたものの所在がわからなくなってしまった。
顔をしかめた理紗は、一度大きく息を吸い込むと、目を瞑って上体を化け物の中に突っ込んだ。
「ぎゃぁぁっ!主様っ、何をなっているのですかーっ!!」
そんな叫びが聞こえたが、理紗は構うことなく腕をさまよわせた。再び、冷たいものを捉える。
今度こそ離さないようにしっかりと両手で掴むと、引っ張り上げようと足に力を込めた。
上手く力が入らない。この粘液に浸かっているだけで、気力をごっそりと持っていかれるようだ。
・・・早く、風音を出さないと。
彼女は、もうどれほどこれに取り込まれていたのか。下手をすれば二刻は経っている。
再度、両足に力を込めた理紗は、しかし踏ん張る前に、腰に回された腕に引っ張られた。
そのまま一気に引き抜かれる。
ごぼりと音を立てて、瘴気に満ちた体液とともに、人影が引きずり出された。
力が抜けた理紗は、それでも風音だけは離すまいと抱き締めたまま倒れそうになるが、六合がしっかりと抱き留め、ゆっくりと地面に座らせた。
すぐさま、楓牙が風刃で化け物の首を切り落とした。ついでだ、と言うように、竜巻を叩きつけて頭部を粉砕する。
理紗は肩で大きく息を吸って、途切れ途切れに六合に礼を告げた。
「信じらんない!理紗、なんで平気なの、気持ち悪いじゃない、きゃあきゃあ!」
「そうです主様!あのような不潔極まりないものに御身を浸すなど!ああっ!主様の風にそよぐ見事な御髪にまでべっとりとっ!」
震え上がる太陰と、涙目になりながら、理紗に付着したままの粘液を吹き飛ばす楓牙。
「あはは・・・ごめん、ね・・・」
力無く苦笑した理紗の許に、晴明は慌てて駆け寄った。
「大丈夫か!?お前はまた無茶を・・・」
「・・・おじい様には言われたくありません」
此度とて、離魂術を使おうとする晴明に物申した理紗を強引に押し切ったのだ。自分の年も鑑みずに。
玄武は無言で水気を集結させた。
水の塊で理紗の髪を包んで、体液を洗い流す。
「そこまでしてくれなくても・・・・・・」
「否。理紗が散々たる様だと、帰ったときに何人の同胞が周章し、叫喚するかわからない」
「・・・そう。ごめんね。ありがとう、玄武」
確かに、女性陣にはよく髪をいじられた。あんな有様では天后辺りは泣き出してしまうかもしれない。
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