往年の残滓に突く
「あら・・・?昌浩、誰を連れているの?」
朝餉の用意が整ったので、昌浩を呼ぶのを彰子に頼んだ理紗は、現れた昌浩に重なる“影”に首を傾げた。
「・・・姉上にも、見えますか?」
「ええ。割とくっきりと、はっきりと」
年若い男の霊だ。長兄である成親と同じくらいだろうか。古めかしい粗末な衣で、げっそりとこけた頬が痛々しい。
「だけど今の今まで全然気がつかなかったわ・・・。いつ依り憑いたのかしら?彰子様がお気づきになられたのは、今ですか?」
「はい。昌浩を起こしにいったら、憑いていて・・・」
だったら昨日の夜に憑いたのか・・・・・・。昌浩が倒れて動揺していたとはいえ、気づかないとは、なんという失態だ。
理紗は昌浩に近寄って顔を覗き込む。昌浩の眼を通して、内に入った者を視ているのだ。
「・・・・・・白い・・・花弁?」
「え?花ですか?」
明白なことが読み取れず、理紗は首を傾けた。
「うーん・・・いまいち弱いわね。とりあえず、おじい様に伺いましょうか。朝餉を食べたら行きなさいね、昌浩」
「えっ」
心底嫌そうな顔をする昌浩。理紗は思わず苦笑を漏らしてしまう。
「憑依されたままなんて、昌浩の体がもたないわ。かといって無理に引き離すのもなんだし」
ね?と念を押され、昌浩は朝餉が済んですぐさま、物の怪と彰子に引きずられるようにして晴明の部屋に向かった。
朝餉の片付けを終え自室に戻った理紗は、六壬式盤の前に鎮座していた。
天盤を回し、示された占の結果に、表情を硬くする。
「主様?どうなされましたか?」
膝に乗っていた楓牙が、上目遣いに見やる。
理紗はやおら、口を開いた。
「・・・ねえ、楓牙。昨日の百鬼夜行、どう見えた?」
「あの黒い夜行ですか?何やらどろどろとしていて、さながら巨大ななめくじのようだと」
「え・・・やだ、想像したら怖いわ、それ。―――見た目じゃなくて、気配のほうなのだけど・・・」
「確かに異様な感じはしましたが、それ以外は何も」
「そう・・・」
口元に指を添えて考え込む理紗に、楓牙は言葉を付け足す。
「そも、我には感じ取るような力は特別ありませぬ。主様が何か感じられたなら、それこそ真なれば」
「・・・うん」
あの百鬼夜行・・・・・・やけに“歪”だったように思われた。崩れかけてどろどろしていたのではなくて、最初から継ぎ接ぎだらけだったところが、綻び始めているかのようだった。
ぱらりと扇を開いた理紗は、式盤を見つめて思考を巡らせた。
と、そこに慣れ親しんだ神気がひとつ、現れた。
「・・・邪魔したか」
「ううん、大丈夫よ六合」
理紗は自身の横をぽんぽんと叩いた。招かれるまま、六合はそこに腰を下ろした。
・・・珍しいな。
ちらりと横目で六合を見て、理紗は思う。
六合に限ったことではなく、神将たちは、理紗や晴明が占術や星見をしている最中には、集中力を途切れさせないように、と終わるまでやって来ない。始めから同室にいる場合は、そっと静かに控えているのが大概だ。
―――やっぱり、何かあったのかしら。
言いたくないことを無理やり言わせるようなことはしたくないので訊かないが、どこか表情が硬く、心が揺れているような六合が、気になって仕方がない。
つい先日は、自分が落ち込んでいたというか感傷的になっていたというか、とにかく精神的に結構きていたところを励ましてもらったのだ。自分だって、何か彩輝の力になりたいと思うのだが。
「昨夜の百鬼夜行か?」
式盤を一瞥した六合が問うた。
「ええ。・・・もしかして、おじい様も何か仰っていた?」
理紗は思案するのを止めて、尋ね返した。
「ああ」
「そう。禍つ風が吹き荒んでいる・・・なんて、気のせいであって欲しかったのだけど、おじい様まで何か感じていらっしゃるなら、それは無理そうね」
根の国。・・・・・・死者のみ住まう、闇の底。生者は決してたどり着けない異界の地。
昌浩に憑いた霊も、あの百鬼夜行も、そこから吹く風に導かれて、都に訪れた。
先日、紅蓮から聞いた大百足の言葉が脳裏に過ぎる。
―――胎動が、始まったのだ。
大百足が阻もうとしているのは、いったい何なのだろうか。
****
それから数日。物忌みもとうに明けているので、昌浩は当たり前ながら出仕を再開している。
しかし相変わらず男の霊に憑依されたままなので、その足取りは頼りなく、顔は青い。
それに加え、悪いこととは続くもので。陰陽生の一人に、あの夜の術者は昌浩なのでは、と疑われているらしい。
どうも、彼の術を食らったときに顔を見られたようだ。
「昌浩は嘘や誤魔化しが上手とは言えないものね・・・」
昌浩一人で欺くのは無理だろう。が、そこは術を使ったりしてなんとでも、どうにでも。なんせ、おじい様という心強いたぬきが・・・・・・ではなく、陰陽師が味方にいるのだ。陰陽生の一人や二人、適当に誤魔化す術などいくらでも。
となると、問題はやはり、霊のほうだろう。
本来、ひとつの体にはひとつの魂しか入らない。
寝ている間にわずかな時間だけ高淤の神が完全憑依するのと、意識があるときも常に憑依されているのでは、昌浩にかかる負担は全然違う。
衣を抜いながら、理紗は憂いを帯びたため息をついた。
今縫っているのは晴明のものだ。近頃は本当に冷え込むので少し厚手のものを、と思ったのだ。老齢の晴明には余計に堪えていることだろう。
「いっそのこと、仕事中に倒れでもしたらよいのではないですか?さすれば昌浩も堂々と休めましょう」
全身で、どうでもいい、と表現しながら楓牙は言う。
楓牙からすれば、昌浩がどこぞの霊に依り憑かれていようと、ゆえに体力も気力も霊力も根こそぎ持っていかれようと、それでぱたっと倒れようと、実際に心底どうでもいい。
主様が昌浩のせいで憂えておられる。
それだけが問題だ。
「私としては倒れる前に休んで欲しいのだけど、でも今休んでしまうと昌浩への風当たりが、また強くなってしまいそうで・・・」
年末の忙しい時期だ。雑務が多いのは想像できるし、体調不良という正当な理由があっても、やはり寛容にはなれないだろう。
昌浩は直丁だし、きっとあっちにこっちにと、くるくると忙しく走り回ってるに違いない。・・・・・・体力が削られてるところを、さらに走り回ってるなんて・・・・・・。頑張り屋さんなのは昌浩の良いところだけれど、でも、もう少し適度に手を抜くとか適当に休息するとかそこらの人にさり気なく仕事を回すとか何か。
彰子様も大変心配なさっているし・・・・・・そう言えば昌浩も少しは体を気遣ってくれるだろうか。
はぁ・・・と、再びため息をついた理紗は、止まっていた手をのろのろと動かし始めた。
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