ずっと、ずっと一緒に居ようね。

それは二人ぼっちの世界で交わされた切なる願いだった。




生まれた時から視える体質だった。
物心つく頃にはそれは常に自分の傍に在る存在で。
だから、あまり恐ろしいと思わなかったのは仕方のない事だったと思う。

「よぉ。嬢ちゃん。人間にしちゃあ珍しいもん、持ってんじゃねぇの」

学校からの帰り道。
山道を歩いていた少女は見知らぬ男に声をかけられた。
今時、珍しく着物を着た若い男は切り株に腰掛けて少女を見上げる。
黒髪の男は何故か前髪が爆発していて、もさもさと揺れているのが妙に気になるが、そのインパクトのある前髪にも負けず、印象的な金色の瞳を見た瞬間、少女の脳が警鐘を鳴らした。
これは、人じゃない。
それに、独特の匂いがする。

「あんた、人じゃなかね」

「………ほぉ?何でそう思うんだ?」

「匂い。あんた、人の匂いがなかとよ。獣の匂いがするったい」

すんと鼻を鳴らして少女は男を見据える。
男は真っ直ぐに少女の藍色の瞳を見返すと、口角を三日月の様に吊り上げた。

「面白ぇ。珍しい眼を持ってんのにその鼻で気付いたのかよ」

男は着物の袂に手を入れると賽子を取り出した。

「賭けをしようぜ?賽の目を当てられたらお前の勝ち。もし、当てられなかったらお前の目玉を俺が貰う」

にたり、にたりと男が嗤う。
風も吹いていないのにざわざわと葉が揺れた。
いつの間に陽は落ちたのだろうか。
夕闇が辺りを包み、より一層濃い影を落とす。
早く、この場から立ち去らなければ。
こんな馬鹿げた事を言う男の言葉など耳に入れてはいけない。
少女が踵を返そうとした瞬間を見計らったかの様に男は再度、口を開いた。

「逃げんのか?それもまた一興だが、残念ながらここは俺の縄張りだ。お前はここから出られねぇ」

さあ、どうする?
賭けに乗るのか、乗らねぇのか?
金色の瞳が怪しい光を纏ってにやにやとほくそ笑む。
少女は堅く拳を握ると正面から金色の瞳を睨み返した。

「……上等ったい。受けて立つとよ!!」





「なんっでだよ!!!!!」

山の中で男の絶叫が轟いた。
地に膝を突いて頭を抱える男を横目で見た少女は呆れた表情で立ち上がる。

「何回やってもあたしの勝ちったい。早う家に帰らんといけんし、これで終わりったいね」

「いーや!まだ、帰さねぇ!!まだ俺にツキが回ってきてねぇだけだ!!!勝ち逃げなんざ許さねぇぞ!!」

「その台詞、何回目やったけ?」

帰ろうとする少女の腕を掴み、行く手を阻もうとした男は少女の一言に撃沈した。
項垂れた男は唇を噛みしめて悔しがる。
何でだ。畜生………!
ここは俺の縄張りだぞ………!?
縄張りの中なら俺は最強だし、どんな事だって出来る筈だ。
例えばそう。イカサマでも。
なのにこのガキときたら、俺がどんなイカサマをしようとも必ず当たりを引きに来やがる………!
どうなってんだ!?

「あんた、あたしに言うとったよね?賭けに勝ったらあたしの勝ちって。男に二言はなかと思っとったけん。残念ったい」

「んだとぉ!?」

ぐるぐると思考の海に沈んでいた男は勢い良く顔を上げた。

「本当のこつでしょ。何回賭けばしたと思っとるん?」

「うるせー!俺が勝つまで一回にはならねーんだ…よ…………」

威勢良く少女の言葉を一蹴した男は、しかし、ふと真顔になり、辺りを見回した。

「おい。今日はもう帰れ。で、明日また来い」

あまりにも横暴。あまりにも自分勝手。
そもそも少女に声をかけて勝手に賭けを持ち出し、幾度も勝負に挑んでは敗北を繰り返したのは男の方なのだ。
少女が怒るのは仕方のない事だった。

「勝手なこつばっか言わんでよ!」

「勝手ぇ?そりゃ、そうだろ。手前勝手に生きて何が悪い?俺達はそーゆう生きもんだぜぇ?」

男の暴論に少女が反論しようと八重歯を剥き出しにした刹那。

ーー……みぃつけた。

狼の遠吠えと共に世界に爪痕を立てるような、それでいて布を引き裂くような音がしてー……紅い瞳の巨大な狼が現れた。
2メートルはゆうに超えるだろう体躯をした真っ黒な狼は紅い瞳をぎらつかせて少女に焦点を合わせる。
狼の紅い瞳と少女の海を思わせる深い藍色の瞳がかち合った。
途端、狼は興奮したのか、空に向かって遠吠えを上げると少女へとゆっくり歩み寄った。
逃げなければ、と思うのに足が地面に縫い止められたかの様に動かない。
狼が目前に迫る直前に少女の身体は後ろへと引っ張られた。

「おぅおぅおぅおぅ。お前どこのもんだ。他人様の縄張りに遠慮無く土足で踏み込みやがって。覚悟は出来てんだろうなぁ?」

少女の腕を掴み、背後へと庇ったのは先程の男だった。
ざわりと空気が揺れる。
漆黒の狼は憎々しげに男を睨めつけた。

「はっ。上等だ!売られた喧嘩は買わなきゃ男が廃るってなぁ!」

口角を吊り上げて男は笑うと淡く鈍い金色の焔が彼の全身から迸った。
手の甲を狼に向けて自分に向かってくる様に挑発をする。
狼は低く呻ると跳躍し、一息に間を詰めた。

「遅ぇ」

狼の鋭い牙が、凶暴な爪が男を襲うよりも早く、彼の身に纏わりついていた焔が躍り出る。
金色の焔は狼を包み込むと一瞬で青白い炎へと変わった。
生き物の焼ける匂いが少女の鼻に届く。
狼は炎を振り払うように身体を震わせたが、炎はまるで意思を持っているかのように執拗に狼に纏わりついた。
これで終わりだと示すかの様に男が諸手を挙げる。
しかし、掲げられた男の手は少女によって阻まれた。

「何だよ?邪魔すんな」

冷徹な光を宿した金色の瞳が少女を冷ややかに見下ろす。
びくりと少女は戦いたが唇を噛みしめて勇気を振り絞り、男へと叫んだ。

「もうよか!あの狼は闘う力なんて残ってなかよ!これ以上は可哀想ったい!」

「分かってねぇな。妖怪同士の縄張り争いがそんな甘い考えで終わるかよ」

獣の本能と同じだ。
争うことでどちらが強者なのかはっきりさせる。
縄張りに侵入したものを許しはしない。
そこに慈悲など存在しない。
冷徹で無慈悲な声が少女の訴えを袖にする。
じわり、と少女の網膜に涙が広がった。

ばってん、あげにボロボロやのに。

男の面妖な炎に焼かれて狼の艶々とした艶のある体毛は縮れて焦げ臭い匂いを放っている。
満身創痍で荒い息を吐く狼と少女の瞳が合った。
燃え上がる焔のように紅い瞳がふと夕陽色に解けて和らいだ。
一瞬。
少女は息を呑んだ。

ー…駄目だ。
彼を死なせてはいけない。
彼だけは、何があっても今度こそ。

男が操った炎が火柱を立てる。

「駄目ーーーーっ!」

少女の瞳の海が溢れて、悲痛な制止の叫び声がつんざき、狼の遠吠えがそれを掻き消した。
狼の遠吠えに応えるようにどこからか緋色の粒子が現れ、毛を逆立てた狼を包み込む。
粒子は男の放った炎へと伸びて、喰らい、火柱ごと飲み込むとまた狼の元へと戻った。
狼の焦げた肉が徐々に修復されていく。

「マジかよ……」

入念に炎で焼いた筈の四肢は癒え、奮い立つ狼に男は口の端を引き攣らせる。
縄張りの主は男だ。
縄張りの領域内であれば彼に勝利することは不可能だ。
不可能である筈だ。
しかし、腕にしがみつく少女然り、目の前の狼然り。
思い通りにならない存在が居る。

「……しゃあねぇ。出し惜しみは無しだ!」

早期決着を試みようと男が再び焔を召喚するよりも速く、狼はこの場を立ち去った。
疾風が如く山を駆け抜けた狼はもうどこにも見当たらない。
狼を逃した事実に男は舌打ちを打つと腕を振り払った。
腕から離れた少女の手を男が引くと少女は目を瞠り、慌てて振り払おうとしたがしっかりと握られた手を振り解く事は叶わなかった。
せめてもの抵抗として少女は牙を剥く。

「なんばすっとね!」

「あん?何って送ってくんだよ。お前の家まで」

「あんたに送って貰わんでも一人で帰れるったい!」

「へー?いいのかねぇ。またあの狼に襲われても?お前、怖がってたじゃん」

きゃんきゃんと騒いでいた少女は口を噤んだ。

あの狼が怖かったのは本当だ。
けれど、恐ろしくはなかった。
恐ろしかったのは。本当に恐ろしかったのはー……。

「第一、この時間帯じゃあ、人の子一人で帰れねぇよ。一歩、間違えりゃあ、妖の道に迷って喰われんぞ。」

俺の獲物に手を出されるのは気に入らねぇ。
言外にそう告げた男の本心に少女は気付かない。

「…………そ、そぎゃんに言うんなら送らせてあげてもよかよ」

「可愛くねーな!」

素直じゃない少女に笑いかけて男は彼女の頭を乱雑に撫でた。
髪の毛を乱された少女が抗議を挙げようと口を開くよりも先に男は指を鳴らすと少女を抱えて跳躍した。

「ぎゃーーーーっ!?」

抗議の声は悲鳴へと変わり、少女は叫んだ。

「耳元で叫ぶな!鼓膜破れんだろーが。それより、前見ろ。前!」

「俵担ぎされとるのに前もなんもある訳なかとやろ!」

「あー?じゃあ、これで満足か?」

俵担ぎから少女を抱え直し、片腕で抱いた男の後頭部を少女は叩いた。
スパーンといい音が男の頭から鳴る。

「いってぇ!何すんだよ!」

「それはこっちの台詞ったい!どさくさ紛れにお尻ば触らんで!」

「誰が触るか!おめーみたいなちんちくりんを!」

「あたしはちんちくりんじゃなか!」

暫くの間、男と少女は口喧嘩をしていたが、疲弊してきたのかぜーはーと息を吐いて口論を止めた。
空に浮遊したまま口論を始めた為に時間ばかりが悪戯に過ぎていった。

「あー。無駄に体力使った。オラ!さっさと帰んぞ」

男が跳躍しようとした瞬間、少女は感嘆の声を上げた。
少女の視線の先には夜空に浮かぶいくつもの焔。
焔は淡く鈍い金色を揺らめかせて点在していた。
その光景は怪しく不気味でありながら、しかし、美しかった。

「きれいかねー…」

「だろ?まぁ、それはそれとしてだな……。舌を噛み切るから口、閉じとけよ!」

景色に見とれたのも束の間。
点々と点在する焔目がけて跳躍する男の腕の中で少女は声にならない悲鳴を上げた。





「ほんっとう、あり得なか………………」

少女は青ざめた表情で呟いた。
山の上空から少女の家まで跳躍を繰り返した空の旅はジェットコースターよりも危険で振動が激しく、少女を酔わせるには充分だった。

「なんだよ。あれくらいで。人間は弱ぇなぁ」

あんたと一緒にするんじゃなか。

酔いから回復していない少女は心の中で恨みがましく男に悪態をついた。




「つまらないもんやけど………」

少女に出されたお茶請けは煎餅だった。

「おぅ。サンキュー」

男は煎餅を手に取ると大きな口で齧り付く。
何故、男が少女にもてなされているのかというと、一応は送って貰ったお礼にと少女が家に上げたからである。
少女が家に帰るのが遅くなったのは、元々はこの男の所為なのだから気にしなくても良い筈だが、少女は律儀な性格のようだ。
煎餅を咀嚼すると男は湯呑みへと手を伸ばす。
よく冷えた冷茶は暑さで乾いた喉を潤すのに丁度良かった。
男は湯呑みをちゃぶ台に置くと少女を一瞥した。
少女の周りにはわらわらと雑鬼が纏わり付いている。
視えている筈の少女はさして気にした様子もなく、雑鬼に自由にさせていた。

「お前さぁ……いつもそうなのか?」

「どげんこつ?」

「だから、それだよ!それ!」

男が指で指し示したのは少女の足元に纏わり付く雑鬼。
少女の膝で寝たり、遊んだり、ちょろちょろと喧しいことこの上ない。

「この子達ずーっとこの家に居るったい。それが当たり前やけ、気にしたこつなか」

物心ついた頃にはとっくにそれは視えていた。
常に傍にある雑鬼はある意味家族のような存在だ。
悪さをするでもなし。
こちらが笑ってしまうような悪戯くらい可愛いものだった。

「ふーん」

幼少期から今まで悪いものと遭遇しなかったのだろう。
健やかに育ったが故に少女は異形に恐ろしさを覚えない。
危なっかしい。
そして、よくこれだけの上玉が今まで狙われずに済んだものだと男は思った。
しかし、その安穏の日々も今日までだろう。
男は最後の煎餅を食べ終えると立ち上がった。
懐から黄金色の組紐を取り出すと少女の手に握らせる。

「なんね?これ?」

「まぁ、目印みたいなもんだ。これから毎日この紐を身に付けとけよ!」

窓を開けて身を乗り出すと男は振り返った。

「俺の名前はゴールド!他の妖に襲われたら俺を呼べ!」

じゃあな、と軽快に笑うと男は金色の焔に身を包み、空へと跳躍した。
後に残されたのはゴールドに無理矢理握らされた組紐を持った少女と彼女の足元で空を見上げている自由気ままな雑鬼のみだった。





昨日は忙しない一日だった。
帰り道まではいつも通りだったが、男と出会ってからの数時間が濃厚過ぎた。
非日常にも甚だしい、ともすれば夢物語にも思える男との出逢いはしかし、現実であると少女の髪をまとめ上げる組紐が物語っている。
夢物語といえどあれは悪夢だ。
一体、少女は何度悲鳴を上げたことか。
そこまで考えていた少女はふと教室が騒がしくなった事に気付いた。
前を向けば担任であるナギと見知らぬ少年が立っている。

「初めまして。城都から来ました。ルビーです。先日越してきたばかりなので、色々と教えて貰えると嬉しいです。よろしくお願いします」

「ルビーの席はサファイアの隣だな。後ろの席が空いてるだろう?あれがそうだ」

紅い瞳に艶やかな黒髪。
既視感を感じて、サファイアはルビーを見つめた。

あたしはこん人を知っとるー…?

ナギに促されてサファイアの隣の席へ移動したルビーはにこりと笑った。

「隣の席、よろしくね?」

頭部にネットを被っているルビーにサファイアは慌てて笑い返した。

「こちらこそ、よろしくと!」

ルビーが簡単に自己紹介を追えた後、ナギは授業を始めた。
時季外れの転校生は未だ教科書が届いていないらしく、隣の席のサファイアが見せることになった。
真剣に黒板を見つめてはノートを取るルビーの横でサファイアはそっと彼を盗み見た。
紅い瞳。艶のある黒髪。それは昨日、遭遇した狼と酷似していた。
しかし、彼は人間だ。
狼と同じである筈がない。
馬鹿な考えはよそうとサファイアは首を振って授業に集中する。
サファイアが前を向くと今度はルビーが彼女を一瞥した。
正確にはサファイアの髪を縛るキラキラと輝きを主張する黄金色の組紐へと。
鋭い視線を投じたルビーは一瞬で表情を常の穏やかなものへと変えるとノートへと視線を落とした。




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ひなたさんに捧げます。
ツイッターにて画像を上げて気付かれたら気付いた人のお願いを何でも聞くみたいなタグでルサの小説のリクエストを頂きました。
ん?ルサ?ゴーサファじゃなくて?
と、思う方もいらっしゃるとは思います。
ル(ゴー)サですね。
でも、ルサで始まってルサで終わってるので、これはルサです(ジャイアニズム)
設定としては前世から繋がりのあるルサ、生まれつき視える体質のサファイア、サファイアに絡む妖怪ゴールドを基盤に色々こねくり回しました。
楽しかった………!
設定を全部、説明してないよ?
謎が多くない?と思われる方も居るとは思いますが、そこを楽しんで頂けたらなー…と!
先を想像してしまう物ほど楽しいと思ってしまう質なのです。
それから、自由に書かせて頂いてとても楽しかった反面、小説を書かなさすぎてとてもヘタクソなので申し訳なさも感じております。
書き直し等受け付けておりますので、何かありましたら仰ってください。
それでは、リクエストありがとうございました。




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