「だ、旦那様……」 その日、執事が駆け込んで来たのを、俺は静かに見ていた。 「行こう」 立ち上がり、何も言わずに頷いたハーラルトを連れ、俺は屋敷に戻った。 「間に合ったか?」 「は、はい。旦那様……」 あちらへ……と、ティアナも顔を強張らせている。 ナマエの部屋には母親も来ていて、数人で囲んでいる。 「旦那……様」 「リヴァイで良い。待たせたな」 苦しそうな顔をしたナマエだが、「はい」と笑って見せた。 忙しそうにしていた使用人達が役目を終えて出て行くと、我慢していたのか……ナマエは苦しそうに唸った。 ナマエの額の汗を拭い、頭を撫でてやったりしていた母親が、俺を見て代われと合図した。 「ナマエ……」 「っ、リ、ヴァイ……」 「痛むのか?」 頷くのすらも辛そうな、そんな姿に、代わってやれない事が……どうにも俺の居心地を悪くしていた。 何故、こんなにも…… 辛い思いをナマエがしなきゃならねぇのか、俺が居ても何も出来ねぇ事も、全てが苛立ちに変わり始めた頃、皆の顔に緊張が見えた。 そろそろ……なのか? 恐る恐るナマエを見た俺は、歯を食い縛り、涙を流すナマエを見て、恐ろしくなった。もう、周りの声すら聞こえなかった。 だが、俺が逃げ出す訳には行かねぇ…… 暴れそうな程苦しむナマエの手に、俺の手を重ねて握らせ、ベッドに押さえる様に顔を寄せた。 普段のナマエからは想像も出来ねぇ程の力で、下手すりゃ握り潰されるかと思う程だ。だが、俺も耐えるしかねぇ。 ナマエが更に力を込め、体を起こそうとする様に動いた。 オイ…… その時。 「産まれましたよっ!」 背後から聞こえた声に、振り返った。 血塗れの赤ん坊……? 持っていた女が、足を持って逆さまに吊るすと、叩き始めた。 「や……めろ……、何をする……」 咄嗟に駆け寄って奪おうとしたが、止められた。 やめてくれ…… 「……っ、ぎゃ……んぎゃぁぁぁぁぁ!」 それまで、ピクリとも動かなかった赤ん坊が、勢い良く泣き出すと、女は急いで赤ん坊を湯に浸けて洗った。 「旦那様、もう大丈夫ですよ」 「大丈夫……?」 力が抜けて床に座り込んでいた俺は、ハッとしてナマエを見れば、いつの間にかその手には赤ん坊を抱いていた。 「ナマエ……」 「男の子、リヴァイそっくり」 見た事もない、母親の顔でナマエはそう言った。 「良くやった。少し休め……な?」 「はい、リヴァイ……お願いします」 ナマエが赤ん坊を俺の方へやったが、受け取れずにいると、ナマエの母親が受け取った。 「こうやって、抱いてあげるのですよ」 「あ、あぁ……」 それでも手を出せずにいると、座る様に言われた。 「これなら、落としてしまう心配はありません、手を出して下さい」 「……」 だが、出そうとしたその手は、酷く汚く見えた。 「少し、待っててくれ」 手を見たまま、俺は部屋から出ると、何度も何度も洗った。だが、綺麗にならねぇ。心配したハーラルトが止めたが、俺は止められなかった。 「綺麗にならねぇ……」 「もう、大丈夫です、汚れてなんかいません」 「落ちねぇんだ……これじゃ触れねぇ」 尚も洗い続ける俺に、困ったのだろう。 「旦那様っ!!」 ハーラルトが、大声を出した。 俺の動きがピタリと止まったのを見て、水を止めてタオルを差し出した。 「お部屋に戻りましょう」 連れられて戻れば、ナマエも赤ん坊も眠っていた。 ソファーに座り、ティアナが手の格好を教え、赤ん坊が俺の手に乗せられた。 「手の掛かるお父様ね……」 優しく笑ったナマエの母親が、赤ん坊の頬を撫でてそう言った。 「すまねぇ……」 「誰にだって、初めてはあります。あの子の父親は、首が座るまで抱く事も出来なかったんですよ」 「そう……なのか」 抱いているというよりは、ただ乗せられただけだったが、少しだけ持ち上げてみた。 「こんなに、小さくて軽いんだな。俺も、こんなだったのか?」 「そうよ。みんな始めはこんなに小さくて弱いのよ」 その後、何でさっき赤ん坊を叩いていたのかも話してくれた。 あのまま、ナマエが家族と離れたままだったらと思うと、心強いと思った。俺とナマエだけでは、こうはいかなかっただろう。 「何と、礼を言って良いか……」 「お礼を言わなければならないのは、私の方です。貴方には、本当に感謝しています」 「ナマエの為にやった事だ……」 赤ん坊の顔を見ながらそう言えば、それが一番嬉しいと言われた。親とは、そういうものだと…… 「だが、俺が親になどなれるのか?」 「もう、立派な父親ですよ」 「……?」 「赤ちゃんは生まれたばかりで、会ったばかりなのに、守ろうとしましたよね」 「そりゃ、こんな小せぇのに、俺とナマエの……」 そこまで言ってハッとすれば、優しく笑った声と、「ほらね、父親でしょう?」と、優しい声が俺の中に響いた。 「リヴァイ、何考えてるの?」 「あぁ、もう寝たのか?」 「遊び疲れたのか……早かったわ」 「アイツが生まれた日を、思い出していた」 「そうなのね。私が覚えてるのは……」 あの日…… 寝ていろと言われた後、赤ちゃんが気になったのか、私は少し眠って目を覚まして、お母さんとリヴァイの会話を聞いていた。 私が……お母さん…… 「ほらね、父親でしょう?」 お母さんの笑う声が、その言葉が嬉しくて、訊きたくなった。 「わ、私も……お母さん?」 すぐに返事が返って来なくて、とても不安になった。けれども、リヴァイが近寄って、赤ちゃんを私に抱かせてくれた。 「コイツの母親はお前しかいねぇ」 「そうよ、あんなに頑張ったでしょう? お母さんにしか、出来ないのよ」 二人にそう言われて、認めてもらえた様な、背中を押された様な、不思議な気持ちになった。 「なれる……かな、立派なお母さん」 「立派かどうかじゃねぇと思うぞ」 リヴァイは「愛情ってやつを、やれば良い」と言いながら顔を逸らした。 ……耳、赤いです。 暫くは、お母さんが泊まっていてくれると言うので、次の日からリヴァイは仕事に行った。 でも、帰ると寝るまで、赤ちゃんを抱っこした私を……抱っこしていた。 「うふふ」 「何だ、急に……」 「リヴァイが赤ちゃんに焼きもちやいて……」 クスクスと笑うナマエから、顔を逸らした。 「そんな事、思い出すな」 「リヴァイは立派なお父さんね」 「っ、だから、何なんだ……」 「私もお母さんになったかな」 「わからねぇなら……もう一回母親になるか?」 ニヤリと笑って組敷けば、ナマエは笑って頷いた。 また、あんな思いをするんだぞ……? 「俺には、代わってやれねぇんだ」 「え?」 「お前が苦しんでるのを、見てるしか出来ねぇんだぞ」 「もう、忘れちゃった」 「んな訳……」 「それよりも、幸せだから」 あれから、3年。俺はそうならない様に気を付けていたのだが、そうか、欲しいのかと、どこかで何かが切り替わる音がした。 「なら、もっと幸せになれ」 思った以上に我慢していたのか、俺は朝までナマエを離してやれなかった。 「起きたか?」 「とーたま?」 「あぁ、ママは疲れて寝てるから、俺と飯食うぞ」 「あい!」 スッと手を出せば、飛び付いて来る。 そうか、幸せ……か。 「今日は休みだからな、お前も馬に乗せてやろう」 キラキラと輝かせた瞳は、真っ直ぐに俺を見ている。それがもうひとり増えたら、幸せも増えるのだろうか? 食事も乗馬も終えた頃、ナマエを起こしに行けば、息子がナマエに飛び付いた。微笑ましい光景とやらなんだろうが……気に入らねぇ。 「離れてろ」 息子を退かして、俺はナマエを抱き上げた。 「リヴァイ……?」 「とーたま……」 やっぱり、息子にもナマエはやれねぇ。 「ナマエは俺のだ」 抱いて逃げ回る俺を、必死に追う息子……それもまた、幸せな光景ってヤツだよな? End [ *前 ]|[ 次# ] [ request ]|[ main ]|[ TOP ] |