ガキの頃、女なんてもんはちょっと甘い顔すりゃ落とせると、周りの奴等は言っていた。 その頃の俺は、そりゃ……女に興味が無かった訳じゃねぇが、付き合うという事には全く興味が無かった。そんな事は、面倒だとすら思っていた。 「クソッ、今更だが……」 あの頃、もう少し興味を持っていればと思ったところで、どうなるもんでもねぇ。金で事を済ませてきた俺にとっちゃ……そういう女じゃねぇ奴を、そこまで持っていく手段がわからねぇ。 そんな風に思う女も……居なかったんだが、そんな風に思っちまった。それを、自覚しちまった。 「どうしたもんか……」 ナマエは本の番人と呼ばれる、書庫の管理人だ。兵士では無く、外から通っているのだが、書庫には調査や兵団に関する文書もあり、ナマエはその管理も任される程信頼されている。 真面目でお堅い……そんなイメージだった。 だが……あの日から、そのイメージは変わっちまった。 ー2か月前ー 「すまねぇが、去年の壁外調査の資料が見たいんだが、どこにあるかわかるか?」 「はい、此方に……」 髪をきちんと纏め、眼鏡を掛けた書庫の管理人は、清潔な身形で悪くない。余計な事も言わねぇし、掃除も整理整頓も文句のつけようがねぇ程完璧で、皆は怖いと言うが、俺はそうは思わなかった。 だが、それだけで特に何とも思わなかった。 「この棚なのですが……」 チラッと俺を見て、辺りを見回したナマエは小さく溜め息を吐いた。 エルヴィンやミケならば、どうにかすりゃ届くかも知れねぇが……俺じゃ届かねぇだろうという溜め息か……? 無言で背の低さを指摘された気分になり、俺はナマエから目を逸らした。 「台を取って来る」 背格好の変わらねぇナマエにも、届く場所じゃねぇなら、そうするしかないだろう。 広い書庫の中を探し回り、持って戻った俺は、思わず台を投げて走った。 「どうした、オイっ!」 急に倒れてきたのを、床に着く前に受け止めた。 「すみ……ま……せん」 「熱があるじゃねぇか!」 「そう……ですか」 受け止めた衝撃で、纏めていた髪がほどけ、眼鏡も床に落ちていた。抱き抱えている状態は思ったよりも顔が近く、潤んだ瞳と赤く染まった頬に……違う場面を想像しちまった俺は、腕の中で眠っちまったのを見て、ハッとした。 救護室に…… だが、書庫を開けっ放しにしておく事も出来ねぇ……と、鍵を探したが見つからねぇ。 声を掛けたが、起きる気配もねぇ。 「鍵を、探す為……だ」 後はポケットくらいだろう……と、誰も聞いちゃいねぇだろうが、言って手を突っ込んだ。 「借りるぞ……」 返事はねぇが、見つけた鍵を取り出し、俺はナマエを救護室に運んだ。 たかが、それだけの出来事だったんだ…… その後数日休んだナマエは、俺のところにあの日の礼だと、紅茶を持って来た。折角だから飲んで行けと言ったのだが、「失礼します」と出て行った。 まぁ、そりゃ……仕方ねぇかも知れねぇが…… それから俺は、書庫に行く度にナマエを見ていた。 表情ひとつ変えず、淡々と仕事をしている。たまに本を乱暴に扱ったり、仕舞わずに帰ろうとする奴に説教しているが、それ以外は会話もしない。 俺はどうしてこんなにも気になるのかと、それから暫く考えていて、自覚した訳だ。 だがな…… どうしたら良いかなど、わからねぇ。それでも俺は、本や周りの奴等の会話から学び、努力したんだ。 「いつも、精が出るな」 「……仕事ですから。今日は何をお探しですか?」 「資料を……だな……」 適当に言った資料を渡され、ナマエは机に戻った。 「花は、好きか?」 「ええ、殺風景な書庫が明るくなりました。ありがとうございます」 「そうか……」 ナマエの為にと買った花は、書庫の閲覧スペースにある大きなテーブルに飾られた。 「王都の土産で貰ったんだが……」 「書庫は飲食禁止です!」 ……追い出されちまった。 引っ張り出して、通路で口に突っ込んで食わせてやろうかとも思ったが、出来る訳もねぇ。 一体……何が間違っているんだろうか? 「へ、兵長……そ、それは行列の出来る有名店の……」 「あ?」 「み、見るだけでも良いんで、あの……」 「………………やる」 ナマエが要らねぇなら……と、ポイッとそいつに箱を投げると、女共が群がった。 他の女は簡単に釣れたんだがな、俺じゃ駄目なんだろうか? 倒れて以来、兵長を良く見掛ける様になった。でも、用があるから来ているだけだろう。ここはそんな場所だから…… 「お前は、休みはあるのか?」 「ありますが、代わりに開けて下さる方が居ますので、此処は開いています」 「そうか……」 話はそれだけだろうかと、私は返却された本を片付けに行った。 兵長が来た後は、女の子達が騒がしくなる。本棚の端に寄り掛かり、取り出した本を数頁捲って、気に入ると借りて行く。そのまま戻したのは、それ程興味が持てなかったのだろう。 格好いい、素敵だと騒いでいるけれど、私にはどうでも良かった。 「騒ぐなら、他所でやって下さい」 「煩いなぁ、少しくらい良いじゃない、兵長に相手にされないからって僻まないでよ」 「あら、貴女達なんて……視界にも入ってないみたいだけど?」 何処に僻む要素があるのかと訊けば、返す言葉も無かったのか、「オバサンの癖に」という、何とも間抜けな捨て台詞を吐いて出て行った。 失礼ね、まだ24なのに…… でも、まあ、恋愛に希望が持てるのは、羨ましいと思うけれどね…… 私は、恋愛はやめた。向いていないのだろうと思った時点で、あっさりやめた。 洋服や髪型、化粧にも拘って頑張った時期があった。当然好きな人も居たけれど、引っ越すからと振られたのをはじめ、二股や友達に近付く足掛かりにされたり、遊びだと笑われたりと……散々だった。 親にまで、見る目が無いんだと言われれば、ひとりで生きて行こうと思うのも仕方無いと思う。 それから私は、雑誌で見た……"近付きたくない女"というのをやっている。無愛想でひっつめ髪で眼鏡、これはなかなか効果がある様で、声を掛けられる事も無くなった。 この仕事もちょうど良い。ひとりで過ごすのも、合間に本が読めるのも、ある程度年を取っても続けられそうなところも、私には最高の仕事だろう。 ある日、俺は終わりの時間に書庫に行った。帰るところを捕まえて、食事にでも誘おうと思ったのだ。 だが、それも失敗した。 「もう、終わりの時間ですが」 「あぁ、待っていたんだ」 「何か……?」 「予定が無ければ、食事でもどうかと思ってな……」 「それは、仕事でしょうか?」 「いや、あれから体調はどうかと……」 話しながらどうかと思ったんだが…… 「気を付けておりますので、体調は万全です。ありがとうございます。では、失礼します」 顔も見ねぇで……置いて行かれた。 やはり、俺には興味もねぇのか? 「リヴァイ? こんな所でどうしたんだ?」 「何でもねぇ、書庫は閉まっちまったぞ」 「遅かったか……」 資料を抱えたエルヴィンは、困った顔で引き返そうとしたが、振り向いた。 「管理人について、知りたいなら付いて来ると良い」 バレているのは面白く無いが、俺が知っている事は少ない。今は……と、俺はエルヴィンの後について歩いた。 「これを見た事は、誰にも言わないでくれよ?」 「あぁ、約束しよう」 見せられたのは、管理人を募集する時に書いて貰った物だというが…… 「問題は此処だ」 エルヴィンが指を差したのは、志望動機の欄だった。 「それを見れば、何となくわかるんじゃないかと思ってな」 本当は書庫の時間には間に合ったのだが、俺が何やら思い詰めた顔をしていたんで、隠れて見ていたとぬかしやがった。 あれを見ていたというのか…… 「この内容からすると、ひとりで生きて行く覚悟をしていると見えないか?」 「あぁ、そう見えるな」 「そう仮定して、原因は何だと考えれば、恋愛や結婚に興味が無いか、酷い目にあったか……どちらかだろう」 「だろう……な」 諦めるかとエルヴィンは訊いたが、そんな風には思えなかった。俺はどうやら執念深い性格の様で、本人に断られても納得出来なきゃ終わらねぇ……そんな気がした。 それからも、俺は暇さえ見つけちゃ書庫に通った。 だが、声を掛けずに……見ていた。すると、時々気付いて俺を見る様になったが、それでもすぐに逸らされちまった。 そんな事を続けていたある日、書庫の奥へと兵士を案内して行った方から、物音が聞こえた。 何か、嫌な感じがする…… 急いでそこへ向かうと、「やめて下さい」という声に続いて、「いつもうるせぇんだよ」という男の声がした。 そこか! 棚の角を曲がると、男がナマエを押し倒し、馬乗りになっていた。 「何をしている」 「っ、こ、これはこの女が俺を誘って……」 「嘘よ!」 「だから、何をしているんだと訊いている……」 男は慌てて逃げようとしたが、足を掛けて踏みつけた。 「大丈夫か……」 「お騒がせしてすみません」 「少し待っていてくれ」 破られちまったブラウスを手で押さえているナマエに、上着を脱いで掛けてやると、俺は男を引き摺って書庫を出た。 「男の強さは、こんな事をする為のもんじゃねぇ……頭を冷やせ」 現行犯じゃ、言い逃れも出来ねぇ筈だが、それでも逃げようとした事は許せねぇ。 牢に放り込んで、他の兵士にエルヴィンへ伝達を頼んだ。 「俺ので悪いが、それよりはましだろう?」 走って自室からシャツを持って書庫に戻ると、さっきの場所でナマエは俯いて座っていた。 「ご迷惑ばかり掛けて、すみません」 「迷惑とは思ってねぇ……」 「結局私は、こういう運命なんです」 「……」 「目立たない様にしていたのに、こんな事になってしまっては、仕事もクビでしょうか……」 「お前は被害者だろう? クビにする理由はねぇし、例え怒りが先行していようが、興味もねぇ女を押し倒したりはしねぇと思うぞ?」 「そんな事……」 俺は、アイツもよく此処に来ている事を知っていた。多分奴なりに気を引いてるつもりだったんだろうが、全く自分を見ない事に腹が立ったのだろう。 「何でわかるか……か? 俺も同じだからだ」 「えっ?」 「俺はそんなに毎日、此処に用事はねぇが、お前の顔が見たくて来ている」 驚いた顔で俺を見たが、そうでもなきゃ……こんな奥で何か起こっても、気付かねぇと思うぞと言うと、今度は困った顔をされた。 「そ、そんな事言われても……」 「あぁ、俺には悪い噂しかねぇから、信用出来ねぇだろうが、花も菓子も……俺なりに気を引こうとだな……」 上手く言えねぇが、好きだと言う前にナマエは更に困った顔になっちまったのを見れば、これ以上言っても無駄だろうと諦めた。 「すまなかったな、そのシャツは返さなくて良い。此処にはお前が必要だから、辞めないで貰えると有難い」 男絡みで嫌な思いをしてきたのだろう……そう思えば、俺ほど避けたい相手もいねぇだろう。 一歩下がって向きを変えた俺は、そのままナマエを見る事も出来ずにその場を後にした。 悪いのは私……なのに、あの男性にも兵士長さんにも嫌な思いをさせてしまった。 「何で……放っておいてくれないの?」 もう嫌だ、誰かを好きになれば、また必ず辛い思いをする。 でも……もう手遅れかも知れない。だって、兵士長さんの顔を見て、胸が痛い。 どうしてこんな事になってしまったのか……どうしたら良いのか……相談する相手すら、今の私には居ない。 兵士長さんのシャツを着て、ほっとしてしまう私には、恋をしないでいるなんて、出来ないのかも知れない。 それから、来たら返そうと思って洗ったシャツは、持ち主の手に渡る事も無く……ずっと書庫(此処)にある。 返さなくて良いと言った兵士長さんの気持ちは、痛いほどよくわかる。わかるからこそ、返しになど行けない。 でも、凄く寂しくて、ひとりで居ると、此処がこんなに広いなんて思わなかった…… また、来てくれたなら…… ナマエにとって迷惑でしかないとわかれば、書庫に行ける筈もなく、俺は書庫への用事は人に頼んで過ごしていた。 気持ちというものは、厄介だな…… 駄目だとわかったからといって、消えてなくなるもんじゃねぇ。駄目だと知りつつも、フラりと足は書庫へと向いた。だが、ドアを開ける事は出来なかった。 しかし、これは絶対にエルヴィンの仕業だとわかる書類が回って来た。実家が農業の奴等が、手伝うために休暇を取っているために人手が足りない状況で、何種類もの資料が要る物となれば、自分で行くしか無い。 そうなっても、やはり足はドアの前で止まっちまった。それでも、一生此処に入らない訳にも行かねぇ……と、思いっきりドアを押し開けた。 ……ゴン? 思ったよりもドアは重く、派手な音がした。これは不味い状況だとわかるが、酷く嫌な予感がする。 恐る恐る覗いてみれば、中ではナマエが倒れていた。 「オイ……大丈夫か?」 弱々しい声だからか、気を失っちまってるのか、返事は無い。そっと揺すってみても、反応が無い。 余計な事をしちまったと焦る頭に反して、手はナマエを抱き寄せている。目を覚ませば拒絶されるとわかっていて、それは何より辛い事だとわかっていて、それでも俺は抱き締めずにはいられなかった。 すまねぇ……今だけだ、許せ…… 何度も繰り返していると、ナマエが小さく声を漏らした。 「兵士長さん……?」 「あぁ、急に開けて悪かった……許してくれ」 そっと床に座らせようとしたのだが、ナマエが俺を抱き締めた。 「行こうと……思ったんです……」 見れば、綺麗に畳まれたシャツが床に落ちていた。 「そうか……」 俺は床に座り、ナマエを抱え直した。 「兵士長さん……」 来てくれてありがとう……ナマエはそう言った。来なくなって寂しいと思ったと、そう、伝えてくれた。 「俺も、会いたかった。だが、迷惑だろうと思っていた」 「すみません」 「いや、もし、辛い事があったなら、もう要らねぇと思うのもわかった。俺も、そう思った」 だから、もしそうならば、俺はこれ以上望まないつもりだと……ナマエを見た。 「もう要らないと……恋なんてしないと思っていたんです。でも……してしまった。あの日、兵士長さんが行ってしまってから気付いてしまって……」 「なら、もう一度だけ、俺を信じてみてはくれないか?」 その日俺はまた、ナマエに花を贈った。ゆっくり、ゆっくり……思いを伝えるところから、やり直しだ。 End [ *前 ]|[ 次# ] [ present ss ]|[ main ]|[ TOP ] |