導く記憶に誓う 2


翌日、訓練も何も無いが、起きる時間は変わらなかった。もう少し寝ていようかと思ったが、すっかり目が覚めてしまい……馬の様子でも見るかと厩舎へ向かった。

途中、薬草等を栽培している花壇や温室がある場所を通れば、ナマエが水をやっているのが見えた。
近寄って……腕を掴みたい衝動に駈られたが、ハンジがナマエを呼ぶ声にハッとして向きを変え、目的地である厩舎へと歩き出した。

その時、ナマエが左手首を押さえ、俺の後ろ姿を見ていたなどとは、知らずに……





「ナマエ〜こっちも頼むよ!」

朝からテンションの高いハンジさんが薬の材料を集めながら近付いてきたが、私は後ろ姿を見送ったまま、ぼーっとしていた。

「あれ? その手どうしたの?」

押さえていた左手を取られ、痛みに声を漏らせば、袖を捲られた。

「酷いね、これ……」

腫れて痣になりかけているそれは、明らかに人に掴まれた様な痕が付いている。ハンジさんが怪訝な顔をしながら、心配そうに訊いてきた。

「誰かに、襲われたりしたのかい? こんな風には、普通に掴まれたくらいじゃなかなかならないよね?」

いや、あの……と、口ごもれば、「言いにくいよね、大丈夫かい?」と、完全に勘違いをしているのがわかる。
どうにかしなくてはと思いながらも、上手く誤魔化す言葉が浮かばない。ナマエ? と、顔を覗き込まれて

「ち、違うんです! これは、そういうのではなくて……大丈夫ですから……」

咄嗟に声を上げたけれど、どんどん小さくなっていく……

「じゃあ、どうしたんだい?」
「え、あの、これは……」
「うん。これは……?」

当然と言えば当然なのだろうけれど、このままうやむやに逃がしては貰えそうに無い。正直に話そうと思っても、思い出すだけで顔が赤くなっていくのがわかった。

「た、助けてもらった時に……」

ん? と、ハンジさんが思い出す様に視線を泳がせる。

「壁外調査では、そんな目には遭ってなかったよねぇ?」
「はい」
「じゃあ、帰ってからだよね……?」

ニヤリとハンジさんが笑ったように見えて、顔が引きつった。

「必要な物は揃ったし……続きは部屋で聞こうか」

楽しそうに肩に手を回し、そのまま執務室まで連行……いや、連れて来られた。
先ずは、と……ハンジさんは湿布と包帯を救急箱から取り出して、手際よく巻いていく。

「ありがとうございます」
「いや、腫れが酷いから、もしかしたら骨にヒビが入ってたりするかもね」
「えぇっ?」
「だって、それ、リヴァイが掴んだんじゃないの?」
「何でそれを……」

そこまで言って、やられたと気付いた。
お腹を抱えて笑うハンジさんに返す言葉もない。

「ナマエってば、本当にわかりやすいよね。よしよし」
「頭撫でられても嬉しくないです……」

恥ずかしさと逃げたい気持ちで涙が滲んできた。

「な、何でわかっちゃうんですか?」
「あぁ、確信はなかったけど、思い出してさ……」

ハンジさんが種明かし……ではなく、説明を始めた。

壁外調査の帰りに、リヴァイの後から同じフロアにある執務室へ向かうために、自分も階段を昇っていたのだ、と。そこへ、私が慌てた風に駆け降りて来るのとすれ違ったのを思い出し、昨日の会話の『階段でぶつかった』というのと、その時に無意識だろうが私は左手を押さえていたと。

「全部繋げたら……階段でぶつかって、ナマエが落ちそうになったのを、咄嗟にリヴァイが掴んで助けたんじゃないかな? って、思ったんだよね」

どう?当たり?と、胸を張るハンジさん。
あなた探偵ですか?と、訊きたくなりながらも、正解だと頷いた。

「咄嗟の力って……驚くほど強かったりするから。それもあの、人類最強でしょう? 折れててもおかしくはないと思うよ」
「そ、そうですよね……」
「で?」
「……で? って?」
「ハートもがっつり掴まれちゃった訳だね?」

ボンッ!っと効果音が付きそうな勢いで、一気に顔がこれでもかというくらい赤くなっただろう……もう、言葉も何にも出ないで、俯いて首を振るしかなかった。

その後、強く抱き締められた気がしたのは……絶対に知られてはいけないと思った。今日が終われば、明日からは私も休暇だ。普通に仕事をしていれば……と、ちらっと見たハンジさんの顔は、どこかで見た。あれは……巨人を前にした時の様な、楽しくてしょうがないといった時の顔だった。





厩舎で馬の世話を終えた俺は……ナマエがまだ居るのではないかと思いながら、少し早足で来た道を戻った。しかし、そこにはもうナマエの姿はなく、先程よりも重い足取りで自室へと戻った。

朝食までにはまだ早かったので、いつもよりも念入りに部屋の掃除をしたが、気分は晴れなかった。

気付けば朝食の時間はとうに過ぎていて、今から行っても間に合いそうにない。

(俺は一体何をしているんだ?)

苛立ちを吐き捨てるかの様に、盛大に舌打ちをして、整えたばかりのベッドに背中から倒れ込んだ。

休みと言われても、帰る場所も無ければ、行きたい場所もやりたい事もこれといって無い。
やはり、もう少し寝ているべきだったかと苦笑して、瞼を閉じた。

浮かんだのは、階段で手を伸ばしてきたナマエの顔だった。目を閉じたまま、右手を軽く握れば、あの時掴んだ感触が伝わって来るようで……掴まえられた安心感が続いてやって来た。
心地好い感覚に包まれて、俺はゆっくりと沈んで行くように意識を手放した。




パッと目を開ければ、窓からの陽射しがいつの間にか自分の上に来ていた。時計を見れば、昼食の時間には少しだけ早いくらいで、ゆっくり支度をして丁度良いくらいだった。

上半身を起こし、何の気なしに部屋を見回した。別に気になる汚れは無い。
この違和感は何だろう?と、考えていたら……夢を思い出した。

俺が寝ているベッドの横に、あの夫婦が立っていた。色んな話をした筈だが、全く思い出せない。更に思い出そうとすれば、目覚める前の……最後の言葉を思い出した。

『私達のーーをお願いします』

笑ってそう言っていた。
そしてまた、俺も「任せろ」と答えていたのだが、肝心の何を頼まれたのかが思い出せない。
父親の事かと考えても、それは頼まないだろうと思った。では、何か?
弔いだろうか……?
違う気もするが、明日にしようと思っていた花を供えに行くのを、今日に変更することにした。

(食ったら花を買いに行かなきゃならねぇな……)




食堂は普段の賑わいには及ばないが、それでも全員が一斉に休暇を取れる訳では無いからか、そこそこ賑わっていた。
パンとスープ……いつもと変わらないメニューだが、毎日、毎食食べられる事は有難い事なんだと……俺は思う。

(地下じゃ……このパンひとつのために命を落とす子供もいる……)

歩きながらそんな事を考えていた。
窓に近い、奥の席は幹部連中がよく使うためか、大体いつでも空いている。俺は8人掛けのテーブルに一人で着いた。

手を付けようとしたところで、近付く気配に顔を上げた。

「やあ、リヴァイ」

ここ、いいかな?と、ハンジが答える前に椅子を引いている。

「別に俺の場所って訳でもねぇだろうが」
「まあ、そうなんだけどさ、一応ね」
「一応も何も、答える前にてめぇは座ってるだろうが。空いてるんだから文句は言わねぇよ」
「……だってさ、ほら、ナマエも座りなよ」

ハンジの後ろで小さくなっていたナマエにハンジが座るようにと椅子を引いてやった。
普段は幹部連中しか座らない場所は落ち着かないのだろう。俯いたまま、小声で「失礼します」と言って漸く席に着いた。

「そう言えば、リヴァイ朝食の時居た?」
「……いや、来てねぇ」
「珍しいよね、リヴァイが食事に来ないって……」

休みだから寝てたんでしょう!と、的外れな答えに怒るのも面倒で、食事を続けていれば……

「朝は、厩舎の方へ行かれましたよね?」

ナマエが遠慮がちに声を発した。

(気付いてたのか……?)

そう思うと、胸の辺りが苦しくなった。本当に、俺はどうしたんだ?

「え? まさか、ずっと厩舎に?」
「んな訳あるか、クソ眼鏡……てめぇじゃあるまいし」
「厩舎の掃除でもしてたのかと思ってさ。ほら、リヴァイって掃除大好きじゃないか」

ちょっと汚れててもすぐ掃除でさぁ……大変なんだよね。などと隣のナマエに話している。

「俺は掃除が好きな訳じゃねぇよ……汚れているのが気に入らないだけだ」
「……出た、潔癖症!」
「うるせぇ。てめぇが気にしなさ過ぎなだけだ」

ナマエを見れば、クスクスと笑っている。「お二人は仲がいいんですね」と微笑む。全力で否定したいところだが……何故か出来なかった。

「あ、リヴァイ……またエルヴィンに頼まれてるんでしょ? いつ行くの?」
「あぁ、明日のつもりだったんだが、やることもねぇから、この後花を買いにいくつもりだが……まさか、てめぇも頼むとか言わねぇよなぁ?」
「それは大丈夫さ。今回はナマエに頼むことにしたから」
「そうか……」

少し寂しそうに笑うナマエを不思議に思ったが、そのまま食事を続けた。
他愛もない話をしている二人を何の気なしに見ていたが、パンを千切ろうとしたナマエが一瞬苦痛に顔を歪めて、パンを落とした。

「どうした? どこか痛むのか?」

咄嗟に声を掛けたが、ナマエは左手を隠す様にテーブルの下へ下ろすと

「大丈夫です」

そう言って俯いた。

「大丈夫じゃないよ! そこまで痛いなんて……やっぱり救護室に行かないと……」

慌てるハンジに……どうした?と訊けば……

「手首が腫れてるんだ……本人が大丈夫だと言うから、湿布だけしかしてないけれど、もしかしたら骨もやられてるかもしれない……」
「左手……か……?」
「そうだよ、リヴァイ? どうかした?」

俺は、自分の右手を見て、眉間に皺を寄せた。

「俺の……せいだな? すまない……」
「兵長のせいだなんて! 助けていただいたのに」
「え? なに? それ、リヴァイがやったの?」
「ぶ、分隊長? (知ってますよね?)」

ナマエが目で訴えるも、ハンジは申し訳なさそうに俯くリヴァイを優しい顔で見ていた。

「あぁ、俺の責任だ。階段でぶつかったと言ったろう? 落ちそうになったのを咄嗟に掴んだんだ。加減も出来なかった……」
「そ、そうだったんだね。でも、あんな事の後じゃ……仕方ないよ」
「いや、冷静じゃなかった俺が悪い」

話の見えていないナマエはオロオロと二人を交互に見ていた。


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