涙の後にはキスが降る


先日、俺はハンジの代理で視察に行ったのだが、惚れている相手と行けると知って喜んだのも束の間、俺を見て怯えるナマエに悲しくなった。

馬車が壊れ……日帰りが一泊になり、運が良いのか悪いのか、同じ部屋に泊まる事になったが、怯える相手に手出しなど出来る筈も無く、悶々とした一夜を明かした。

しかし、何故か怯えていた筈のナマエは今、一緒に食事をするために、俺の横を歩いている。

「兵長は……何がお好きですか?」
「大概何でも食うが……仕事じゃねぇんだ、敬語は要らねぇよ」
「は、はい……」
「それから、出来れば私服で兵長も……」

そこまで言って、オロオロと口をパクパクさせて困っている姿を見て、「わかったから好きにしろ」と溜め息混じりに言えば、「すみません」と俯いた。

少し歩くと、街の大きな通りに出た。
尚も俯くナマエが危うく馬車に轢かれそうになったのを、俺は引き寄せた。

「馬車が壊れても直せるが、お前はそうはいかねぇだろうが……」
「……すみません」

あぁ……やっちまった……

恐る恐る顔を上げて俺を見るナマエは涙目だ。怒っている訳では無い、言い方が悪かったのだろう……

それにしても、普通の状態ならただ困るだけで済むんだが……我慢が続いている状態でのこの表情は避けたい。
食事よりもナマエを食いたい衝動がどこまで抑えられるか……不安だ。

「怒ってる訳じゃねぇ、泣くな」
「……ごめんなさい」
「こ、こうしてりゃ大丈夫だろう? 危なく……ねぇよな?」
「はい」

仕事は驚く程出来る奴だが、どうやら仕事を離れるとダメらしい。そそっかしくてどこか間が抜けている。それはそれで可愛いんだが……だが、今の俺には毒だ。

手を繋いで、壁に沿って歩く様にしてやれば、ふわりと笑った。

「それで、何処に連れて行ってくれるんだ?」
「この先の……」
「あぁ、どうかしたか?」

指を差して、動きが止まった。

「やって……ない……です」

取り敢えず店の前まで来たが、やはりやっていない様だ。
定休日では無いし、何で? どうして? と、またオロオロしているが、良く見れば臨時休業と書いた紙が貼ってあった。

「お前のせいじゃねぇ、なっ、落ち着け」
「でも、兵長連れて行ける様なお店なんて、他に知らない……」
「なら、また今度連れて来い。今日は俺が連れて行ってやるから」

でも、それじゃ申し訳無いだの何だのと、結局また涙目だ。

「わかった、店じゃなきゃいいよな?」

俺はナマエの手を引いて歩き出した。パンにハムやチーズの挟まったものを2つ買い、更に歩いて人気の無い公園のベンチに座った。

「お前は此処に座れ」

引き寄せて、俺の膝に横向きに乗せた。

「へ、兵長?」

買って来た物を膝に乗せてやり、食べろと言うとまた、困った顔で俯いたのを胸に寄り掛からせた。

「俺は、地下街の出身だ……知ってるだろう?」
「はい」
「食い物があるだけでいいんだ。贅沢は言わねぇ……今は、こうして一緒に食事が出来るなら、何処だって何だって構わねぇ」

食い物も手に入らねぇ……そんな事も当たり前だったんだ。俺は旨いものが食べたい訳じゃねぇ、お前と食事がしたかっただけだと続けると、ぎゅっと拳を握ったナマエは背を丸めた。

膝の上の袋を退かして、小さくなったナマエを抱き締めた。

「俺は……恋愛には向かねぇのかもしれねぇな、困った顔しかさせられねぇ……」

黙ったままのナマエは暖かいが、胸にはひやりとした風が吹いた様な気がした。




兵長を困らせた……

私の頭はそればっかりで、せっかく一緒に来れたのに、自分の運の無さと仕事みたいに対処出来ない事が申し訳なくて……兵長の気持ちまで考えられなかった。

悔しくて辛くて、何か言わなきゃいけないのに、出なくて……でも、寄り掛かった胸から離れたくなくて、背を丸めた。

そして、兵長は恋愛に向かないと……私がダメなのに、自分のせいだと思わせてしまった……

「ちがっ……違います。兵長は悪くない、私が悪いんです……」

黙って頭を撫でてくれている、そんな優しい人はきっといないと思う。

「お前は頑張ってる……無理をさせて悪かったな」

違う……違う、そうじゃないの……

言葉が見つからない。こんな時、どうしたらいいか知らない。
腕の力が弱まって、離そうとしてるのがわかった。

「いやっ!」

離れてしまうのが嫌で、慌てて首にしがみついて、もう、何も言わないで……と、兵長にキスをした。

頭が、真っ白だ……




離そうとしたら、キスをされた。

少なからず、嫌われてはいないのだろうとよそよそしい思考は答えを弾き出すが、そんなものはすぐに何処かへ行っちまった。

ダメだ、ダメだ……我慢しろ……

触れるだけ、押し付けられただけの唇を割って入りたい衝動と、今すぐにでもと逸る身体を押さえ込む。

「好き……です」

ゆっくりと離した唇が動いた。

気持ちも、身体も揺さぶられる。どうすればいい? 何が正解だ? こんな風に考えた事など無い、わからない。

「ずっと前から、お前を見ていた。あの日も、お前と一緒に行けて俺は嬉しかったが、お前は俺を怖がっていた……」
「ごめんなさ……」
「でも、今……こうしている。それだけで、俺は嬉しい」

首に回っている細い腕に力が入った。

ダメだと思っていた。だが、それが変わった。そうすると、もっともっとと思うものだったのかと気付いた。
見ているだけしか、出来ないのだろうと思っていた筈だったが……

「私も、嬉しいです」
「だが、困った顔ばかりだ……」
「それは……自分に自信がないからです。兵長……リヴァイさんのせいじゃないです」
「……っ、今……」

名前で呼ばれた……?

「は、恥ずかしかっただけです。でも、お仕事じゃないから、それはおかしかったですよね、わ、私の……恋人……ですよね?」
「あぁ、そうだ」
「……あ、明日は休みですよね?」
「そうだが……?」

パッと立ち上がったナマエに驚いていると、袋と俺の手を握ったかと思ったら、「一緒に来てください」とだけ言って、今度はナマエが俺の手を引いて無言で歩いた。

街外れまで来ると、一軒の宿の前に着いた。そのまままた、俺の手を引いてナマエは中へと入った。
何がしたいのかわからない。けれども、痛いくらいに握られた手が、とても心地好かった。




凄く、不安だった。魅力が無いのだろうと思っていた。でも、何故か……やり直したくなった。

「勝手に……ごめんなさい」
「いや、構わねぇが……」
「……」

部屋に入って、取り敢えずソファーに座ったけれど、会話も続かなかった。

「腹減ってるだろう?」

気を遣わせてしまっている……

私は立ち上がって、また、手を引いてベッドに向かった。

「私には……魅力は無いですか?」
「お前は……わかってねぇだけだ」

手前で立ったまま背中を向けていた。手を離されたと思ったら、体が宙に浮いた……ら、当然落ちる。でも、そこはベッドの上で、目の前にはリヴァイさんの顔があった。

「……?」
「あの夜……俺がどれだけ我慢したか知らねぇだろう?」

眉を少し寄せて切なそうに目を細めた……その顔が近付きながらうっすらと口を開いた。

「欲しい……」

掠れた様な……耳に直接入って来た言葉に、全身が熱くなる様だった。
どんなに、好きだとか愛してると言われるよりも、胸に響く言葉だと思った。

「っ、ひゃあっ!」

急に首をペロリと舐められ、変な声を出してしまった。




欲しい……と、素直に言葉が出た。
だが、首筋に舌を這わせると本気で驚いている様だった。

まだ、我慢だな……

ゆっくりと顔を上げて見れば、真っ赤になってぎゅっと目を瞑っている。
そっと頬にキスしてナマエの上から退いた。

「り、リヴァイ……さん?」

不安そうに呼ぶ声が可愛く思えた。

「無理をするな……だが、わかってくれ」
「えっ?」
「俺はあの日からずっと……同じ気持ちだ」

だがな……と、俺は続けた。

「何を思ったか知らねぇが、魅力なんてもんは惚れた時点であるって事だろう? 服を着ていようがいまいが、泣こうが笑おうが、俺にとっちゃ全部が魅力的だ。だから、欲しいと思う」
「あ、あの……」
「お前はまだ、どっかで怖がっている。それが何にかはわからねぇが……」

そこまで言うと、ナマエは俺に抱き付いた。ごめんなさいと何度も言った。だが、好きな気持ちも本当だと言ってくれた。

「我慢できるうちはいくらでもしてやるよ」
「リヴァイさん……」
「お前が本当にそうしたいと思ったら言えばいい」
「……」
「ほら、飯食っちまおう……な?」

無理やり頭を違う方向へ向けて、今夜も出番はねぇぞと、窮屈そうにしている部分に言い聞かせた。

また、シャワーで、か……?

それも仕方あるまい……格好つけずに食っちまえば良かったんだと思う反面、そうしなくて良かったと思う自分がいる。

「ほら、ソファーへ行くぞ」

背中を軽く叩くが、離れようとしない。
どうしたもんかと思ったが、大きく息を吐いてドカッとベッドに胡座をかいた。
首にしがみついていたナマエを上に乗せ、確りと抱き締めた。

「どうした……?」

頭から背中までゆっくりと撫で、落ち着いてくれと願った。
細身な割には大きい胸が当たる……そんな事を考えるなと思っても、どうしたって思い出す肢体……柔らかな曲線は……美味そうだ。

いや、だから、それはヤベェ……

思わず、ツ……と、腰のラインから尻へと撫でてしまった。
それに驚いたのか、ナマエが身体をビクッと跳ねさせ、慌ててきつく抱き締めた。

「驚かせてすまねぇ……」
「り、リヴァイさん……」
「なんだ?」
「が、我慢しなくて……いいです」

一瞬、何を言っているのかわからなかった。

「どうしたんだ?」
「さっきはあんなこと出来たのに、恥ずかしくて……何て言って良いのかわからなくて、あの……」
「……」

お前も俺が欲しいのか……?

思わず、口をついて出そうになった。だが、もっと違う言い方もあるだろうし、俺が言ってもしょうがねぇ気がした。

すると、ナマエの息が耳に掛かり、「欲しいです」と、小さな声が聞こえたかと思ったら、首をそっと舐められた。
これには俺も一瞬呆けて、予想しない刺激に跳ねた。

「っ、はっ…………お前っ……」

何て事しやがる……俺と同じ気持ちだとでも言いたかったのか?

押し遣っていた感情も欲も呼び戻された俺は、とにかく優しく……それだけを考えながら、再びナマエを押し倒した。

……だが、途中からはそうもいかなくなり、今まで一度も無かったが、夢中で我を忘れた。
気付けば……気絶したナマエを抱き締めていた。




翌朝、特に何も無かったかの様にナマエは笑ってくれた。だが、どちらからもその話は出ず、また、悶々とした日々を送っている。

怖かっただろうか、辛かっただろうか、それとも……もう嫌だと思っただろうか? 俺は、訊けないでいた。

「リヴァイさん、我慢してますか?」

それは、突然だった。
普通に部屋で話して送るのが日課になっていたが、部屋に来るなり、突然言われた。

「……あぁ、している」
「我慢って……大変ですよね……」

私も我慢してみたんです。そう言って笑った。けれども、すぐに悲しそうな顔をした。

「……ごめんなさい」
「謝る様な事じゃないだろう?」
「でも、私が勝手に我慢したから、リヴァイさんにも……」
「俺は……」
「本当は、違うんです」

そっと首に手を回したナマエが、いつかの様に耳元で言った。

「リヴァイさんを見ると、そういう事をして欲しいと思っちゃう自分が恥ずかしかったんです……」
「そう……か、嫌になったのかと思った……」

俺もずっとそうだ……そう言って抱き上げた。ナマエはまた、涙目だった。

「今も、そうだろう?」

頷いたナマエに、俺はそっとキスを降らせた。

End



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