熊谷の昔話2
そうそう、あれは私が小学五年生の秋のことだったねぇ。
下校途中に車にひかれた私は――あぁ、そういうことになってるけど、実際は軽くぶつかっただけで、かすり傷と軽い打撲で済んだし、この通り後遺症もないよ、心配させて済まないね――少しの間、通院していたことがあってね。
運転手さんが連れてきてくれたのが大きい病院でねぇ、そこに通院していたんだけど、両親は仕事があって、学校から比較的近かったことと、もう五年生だからという理由でひとりで行っていたんだ。もともと私も病院はあまり好きではなかったから、心細かったのを覚えているよ。
ある日、診察が終わって帰ろうとした時に、病院の中で迷子になってしまってね。看護士さんに聞けばよかったんだけど、五年生にもなって迷子なんて恥ずかしくて言えなくてね。
うろうろしていると、足元に缶ジュースが転がってきてね。それを拾うと車いすの女の子がこちらにやってきたんだ。
「ありがとう」
缶を手渡すと、彼女はにっこり笑った。
頭を下げて去ろうとしたら、彼女は何か思い付いたような顔をして、私を引き止めた。そして自動販売機にお金を入れると、振り返って私にこう言った。
「何がいい? ジュース? ……拾ってくれたお礼だよ」
ちょうど喉がかわいていたこともあって、その時の私は彼女の厚意に甘えることにした。それじゃあオレンジジュースで、と言うと、「えい」というかわいらしい掛け声と共に、彼女の白い指が自動販売機のボタンを押した。
「誰かのおみまいに来たの?」
ランドセルを背負った子どもの足にかすり傷があっても変に思う人はいないだろうし、包帯を巻いたりもしていなかったから、私がここに通院しているとは思わないよねぇ。ここでも迷子だと思われるのは嫌だったから、そういうことにしておこうと私は頷いた。
「そっか。この病院、広いから迷子になるよね。これから行くんだったら、案内してあげるよ」
彼女の病室までは遠くて、自己紹介から始まって、いろいろな話をした。彼女は当時十二歳で、本来なら中学生なんだけど、小さい頃から病気で学校にはあまり通えないでいたらしい。
自己紹介が終わった後、どうして病室から遠いあんなところにいたのか聞くと、暇だから病院の中を散歩していたのだと、笑いながら彼女は答えた。
「そうだ。これ、持っていってよ」
ただ缶を拾っただけで、大量のお菓子をもらうのは気が引けて遠慮したんだけど、「たくさんあるから」と半ば押し付けられたからつい受け取ってしまった。
「ね。また、おみまいに来る?」
椅子に座り、さっきもらったオレンジジュースを飲んでいる私の顔を覗き込むようにして、彼女は聞いてきた。
「本当? じゃあついででいいから、わたしのおみまいにも来てくれないかな?」
両親が会いに来てくれるのは仕事の関係で夜、面会時間が終わるぎりぎりで、友人は中学生になってから学校が忙しく、来てくれるのはよくて一ヶ月に一、二回で、日中は暇なのだそうだ。
実は私も小さい頃に入院してたことがあって、ひとりでいる心細さは知っていたから、頷いた。
「やった。……でも、無理しなくていいからね?」
そう言ってどこか悲しそうに笑う彼女に、お菓子をもらったのでそのお礼におみまいに来ます、と言うと、彼女は真夏の向日葵のように眩しい笑顔を見せてくれた。