誰だって同じ轍は二度と踏みたくないし
他の奴らが早々に練習に戻っちゃったからオレも理科室に戻ると、そこには楠瀬先輩がいた。フルートの音が聞こえるなーとは思ってたけど、まさかその音の正体が楠瀬先輩だとは思わなくてオレは固まる。鳩村先輩の音とは違うなとは思ってたけど、予想外過ぎて。
「ホルン、吹く?」
ドアのところで固まってるオレに気付いた楠瀬先輩の第一声がそれで、オレの口からは「へっ?」という間抜けな声が漏れた。
「ほ、ホルン……ですか?」
「だってうららくん、昔ホルン吹いてたんでしょ?」
楠瀬先輩が指さす方向には、先輩のらしきホルンがあった。さっきまで鳩村先輩と一緒に練習でもしてたんだろうか。あとうららじゃないです、ううらです。
「えーっと……オレ、元ホルンじゃなくて元ユー……じゃなかった、元ボーンです」
「そうだっけ? ごめんね」
「……別にいいですけど」
そういや、この間はチューバ、その前はトランペットに間違われたっけな……。一応、金管ってのは覚えてくれてるらしい。
ちなみに元ボーンというのはうそで、実際長くやってたのはユーフォ。木之下先輩につかまるとめんどくさそうだから隠してる。ボーンもちょっとだけだけどやってたのは事実だしな。
予想外だったってさっき言ったけど、そういえば楠瀬先輩、中学ではフルートだったんだっけ。オレがフルートってのもらしくないけど、楠瀬先輩も全然イメージじゃないよな。ホルンのほうが性格的には合ってると思う。
まだ昼休みだけど、できないところがあるからちょっと練習すっかな。そう思ってたんだけど、なんだか練習する気になれなくて、その辺の椅子に適当に腰を下ろして楠瀬先輩のフルートに耳を傾ける。いつもはねぼすけで、何をするにもワンテンポ遅くてめちゃくちゃのんびりしてるのに、六連符や七連符、三十二分音符を流れるように駆け上がってて、中に別の人でも入ってるんじゃないかと思うくらいにはなんかすごかった。
「……音、きれいですね」
「そう? うららくんには負けるよ。だって、もう二年もちゃんと吹いてないし」
その割には、芯のある音でしっかりとした響きを持っているようにオレには感じられた。この間成子に借りて久しぶりにボーンを吹いてみたら、思ってたよりも感覚は忘れてなかったし、それと同じなんだろうな。
「あ、楠瀬くん、まだいたんだ」
「あ、朔楽くん。おかえり」
「ただいま。もう昼休み終わるし、早く戻ったほうがいいよ」
「ほんとだ。じゃあまた合奏でね。貸してくれてありがとう」
「どういたしまして」
その後すぐ、鳩村先輩が戻ってきて楠瀬先輩は行ってしまった。オレにも「またね」って言ってくれたけど、目も合さずに苦笑いを浮かべながら、曖昧に手を振るしかできなかった。
だって、なんかおもしろくなかったから。二年もちゃんと吹いてないって言ってる割には、オレが今必死に練習してる連符を目の前で、しかもおそらく初見ですんなりできちゃうなんて。そりゃあ、中学で三年吹いてた先輩と、高校入って始めたオレじゃ、キャリアの差があるから仕方ない部分はあるだろうけどさ。
「どうしたの? 鵜浦くん。具合でも悪い? それとも寒い?」
「いえ、なんでもないです。昼飯食べたばっかだから、ちょっとボーっとしちゃって。すみません」
「そっか。それならよかった。午後の練習ってぼーっとしちゃうよね」
「眠いですよね。……あの、鳩村先輩」
「ん?」
「午後も付き合ってもらっていいですか? 午前と同じ、連符のところ」
「いいよ。ここ、難しいよね。でも、もう少しだから、頑張ろうね」
「……はい!」
この間、久しぶりにボーンを吹いた時、やっぱりペットのほうが楽しいし、フルートじゃなくて高校でもトロンボーンを続けたかったなんて思ってたけど、やっぱりオレ、フルートも頑張りたい。
――中学の時みたいな思いは、できればもう二度としたくないし。