なにかをはじめるのに理由なんていらないけど
バイトもなく部活もなく、久しぶりの休日。
「なるみん、お願いがあるんだけど」
その辺の喫茶店でお茶してたら、急にりっちゃんがかしこまって言い出した。
りっちゃんからのお願いなんて珍しい。やべえ、なんかドキドキしてきた。
身を乗り出して、緊張でどもりながら「なに?」って聞いたら、りっちゃんは目を伏せた。何言われるか分かんないけど、遠慮しなくていいのに。
「あのね、僕……」
「う、うん」
一瞬だけこっちを見て、目が合ったらすぐまたそらして、また一瞬だけこっちを見て、すぐまたそらしてを繰り返す。
そんなに言いづらいことなんだろうか。保証人になってください! とか、りっちゃんのことだからまさかないだろうけど、もしそんなことを言われたらどうしよう。
「僕……ユーフォを吹いてみたくて」
そんな俺のくだらない心配は杞憂に終わったらしい。マジで言われたら困ったどころじゃないけどさ。
「……それマジ?」
……こう、嬉しさと驚きが一周回って冷静になった。
俺の聞き間違いじゃないよな? ユーフォ吹きたいって言ったよな? 土曜日の夕方で混んでるから周りがちょっとうるさいけど、確かにそう言ったよな? UFOじゃないよな? いやUFO吹いてみたいとか意味分かんないけど。
ゆ、夢じゃないよな? 太ももつねったら痛いし。
「時間がある時でいいから、教えてもらえたら嬉しいなーって思って……無理にとは言わないけど、もしよかったらって思って」
「もっ、もちろん! いいよ! いつにする!?」
「……ありがとう」
テンションが上がってつい早口になった。
りっちゃんが! ユーフォ! 吹きたいって! ユーフォ!
立ち上がって叫びたい衝動を必死に抑える。
いつでも、と言いたいところだけど、俺もりっちゃんも予定があるからすぐには無理だけど、予定が合えばすぐにでも! 俺のほうがわくわくしてきた。
「でも、なんで急に? ユーフォに興味持ってくれたり、ユーフォ吹き人口が増えるのは大歓迎だし嬉しいけど……」
ふと気になった。別に何かを始めるのに理由なんてなくてもいいけどさ。
「僕、吹奏楽部に入ってずっとパーカスだったから、管楽器に憧れがあったのと、なるみんを見てて吹いてみたいと思ったからかな」
「え? お、俺?」
「うん。なるみんがいい楽器だよーって何度も言ってて、いろんな魅力を教えてくれたから、僕もいつの間にかユーフォ大好きになっちゃって」
待って、にっこり笑いながらそんなことさらっと言わないで。
ユーフォに興味を持ってくれただけでも嬉しいのに、ユーフォを好きって言ってもらえたら幸せなのに、俺のおかげでユーフォを好きになったなんて、やっぱりこれって夢の中なんだろうか。だってなんかもう、嬉しすぎて、めちゃくちゃ嬉しくてどうにかなりそう。
「管楽器はやったことないから、吹けるようになるか不安だけど……」
「大丈夫だって! ユーフォは楽器の構造上吹いたらまろやかな音が出るし、マッピもちょうどいい大きさだから!」
「そうなんだ。今から楽しみになってきた」
「俺も俺も!」
りっちゃんにユーフォってぴったりの楽器だと思う。音色とか、役割とか。
りっちゃんがユーフォを吹けるようになったらアンサンブルしたいなー。奏斗も管楽器はじめるって言ってたし、金管四重奏も面白そう。俺一応トロンボーンもいけるしね。おとやんもチューバ以外の楽器やってみてーって言ってたし、いろんな編成でできるんじゃね? 夢が広がる。
「それで、授業料は月々いくらですか? 先生」
「えっ!? じゅ、じゅぎょうりょう……? いやいやいやいや! そんなの全然いらないから! つか先生じゃないし! ただの素人だから俺!」
「えー? でも、ただで教えてもらうのは……」
「いいのいいの! ユーフォ吹きたいって思ってもらえただけでも俺は嬉しいから! ……それに、いつかりっちゃんと一緒にユーフォ吹けたら、って考えただけでわくわくするし」
「……じゃあ、頑張って吹けるようになるね」
ユーフォに興味を持ってくれて、しかも吹きたいって思ってくれたことが何より俺は嬉しかった。その理由が俺だしね。だから何もいらない。りっちゃんが楽しくユーフォを吹いてくれたら、それでいい。
その日の帰りに早速マッピ(あ、プラスチックのやつね)をりっちゃんに手渡した。とりあえずはマッピが鳴らせないことにははじまらないし。次に会えるのが来週だから、その時楽器を渡そう。
実はユーフォ、二つ持ってんだよね。りっちゃんには四番ピストンが下にあるのを貸そう。
練習用の曲はなにがいいかな。りっちゃんの好きな曲がいいかな。金四のアンサンブルってどんなのがあったっけ。ユーフォで吹きたいって思ってた曲があるから、それを二重奏にアレンジしてみっかな。
俺の妄想は膨らむ一方だった。