Rainy March


 今日は日曜日。世間では休日だが、吹奏楽部には休日はあまり関係ない。土曜日だろうが、日曜日だろうが、祝日だろうが、基本的に部活がある。夏休みなどの長期休暇も例外ではなく、むしろちょうど大会とかぶるため休みであるほうがめずらしい。長期休暇にも関わらず、丸一日休みの日が三日しかないという学校もあるらしい。

 今日の曜日は土曜日、時刻はもうじき午後一時を回る頃。もう少しで午後の練習が始まる。
 いつもなら午後の練習が始まると同時に合奏が多いのだが、今日は先生の都合で二時からの予定だ。それまでは午前と同じく、各パートごと割り振られた教室でパート練習かセクション練習という予定になっている。
 移動のできない打楽器と、今日は大変な低音パートも音楽室だった。あと十分ほどで昼休みも終わるというのに、音楽室にいるのはパーカッションの律とチューバの音哉の二人だけだった。

「ねえ、ねむのんはさ」
「ん?」

 空気の入れ替えのために少しだけ開けられた窓から聞こえる雨の降る音にまじって、不意に呼ばれた名前に音哉は閉じていた目を開ける。ねむのんというのはあだ名をつけるのが好きな律が音哉の苗字からつけたあだ名。昼食を終えた直後の満腹感と天気のせいで、音哉は睡魔に襲われつつあった。昨日の夜から降り出した雨は止む気配がなく、空気は湿気を多く含んでいてなんだか重たい。

「吹奏楽を――音楽を嫌いになりそうになったこととか、やめたくなった時ってある?」
「……いっぱいあるけど」
「どんな時?」

 たくさんある、と答えたものの、いざそれを言葉で説明しようと思うとなかなかまとまらない。
 こちらを見つめる律の視線から逃れるように目をそらして音哉は考え込む。

「自分の思うような音が出ない時とか、どんなに頑張ってもできないところがある時とか、ありがちだけどそんなん」
「僕も何度もあったな、そういう時」
「仲間割れ起こした時とか、他のパートが揉めてると関係ないけどなんだかなーって思ったりするし」
「うんうん。自分には関係ないけど部活全体の雰囲気が悪くなったりするもんね」
「そうそう」

 少し思い返すだけでも嫌いになったこと、なりそうになったことは本当にたくさんあった。楽しかった思い出もたくさんあるけれど、同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に嫌な思い出もたくさんある。

「お前もそういうことってあるの? 嫌いになりそうになったこと」
「僕もいっぱいあるよ。自分って必要ないんじゃないかなって時々思って、やめちゃいたくなる」

 どういう意味、と聞こうとして、律の後ろ、打楽器が並べられている中に鍵盤打楽器が今日はひとつもないことに気付く。

 今練習している曲に鍵盤打楽器のパートはあるのだが、人数はそれなりにいるものの手が回らないため今回はカットされてしまった。律の得意な、大好きな鍵盤打楽器を削られて、自分や同じパートの奏斗にも弱音や愚痴を吐いたりはしていないそうだが、ショックな部分はあるだろう。

「それは俺もあるな」
「そうなの? 低音って大事じゃない。前奏や間奏はメロディーでは作れないものだし」
「まあそうだけど。パーカスだって、同じ動きを管がやってても、打楽器の音は管には出せないし、たった一発でもシンバルがあるのとないのとじゃ違うし……」
「パーカスの一発って大きいよね」
「いろんな音がひとつになってはじめてできあがるのが曲なんだし、ってか吹奏楽ってひとりでやるもんじゃないし……」
「ねむのんいいこと言うね」

  ふふっと笑う律に、音哉は我ながら恥ずかしいことをさらっと口にしてしまったことに気付いて、咳をするふりをしてそっぽを向く。じんわりと顔に熱が集まるのが分かった。

 それからしばらく二人はしとしとと降り続いている雨をじっと眺めていた。雨はあまり好きではないけれど、雨の音は心地いい。

 なぜ自分に聞いたのだろう、と窓の外の灰色をぼんやりと眺めながら音哉は思った。奏斗のほうが同じパートだし、仲もいいし、前向きな答えをくれるはずだ。自分よりももっといい答えをもらえるはずなのに。距離が近い相手だからこそ言いにくいこともあるけれど、それにしたってなぜ。

「なくてもいいならあればもっといいと私は思うけどな」

 突然聞こえた自分たち以外の声に、二人は驚いて思わず声を上げた。
 反射的に声の聞こえたほう――ドアへ視線と向けると、そこにいたのはいつの間にか戻ってきていたらしい美琴だった。

「必要だからそのパートがあるんだろうし。いらないんだったらそもそも作らないと思うけどな」

 ね、と同意を求めるように笑って、こちらにゆっくりと歩み寄ると美琴は音哉の隣に腰を下ろした。

「私も弦バス大好きだけど、嫌いになったことも何回かあるよ。律くんと同じ理由で」
「僕と同じ理由?」
「うん。正確に言えば、なりかけたこと、かな。弦バスってチューバの補佐みたいなものだし、やってることも大体一緒だったりしてさ。音も目立たないし、チューバがやってくれてるなら私って必要ないんじゃないかな? って」

 今回、鍵盤打楽器がカットされたのはそれだった。フルート、クラリネットとほとんど同じ動きをしているから。
 楽譜がある以上、必要がないわけではないけれど、他と同じ動きをしていない楽器や目立つ楽器が優先されるのは仕方ない。分かってはいても、好きな楽器だし、音源を聞いてやってみたいと思って部活にのぞんだから、未練は少しだけある。

「弦バスがあると全体の音が全然違うけどなぁ」
「私もそう思うし、同じこと言ってくれる人たくさんいて元気もらったんだ。ありがとね。そう言われると嬉しい」
「僕はあったほうが好きだよ。演奏も見た目も引き締まるし」
「ありがとー。私、打楽器のことはよく分からないけど、グロッケンとかも同じなのかなぁって。弦バスは隠し味みたいなもので、グロッケンはデコレーションとかトッピングみたいな。なくてもいいけど、あったらもっとよくなるものっていうか」
「あ、すごく分かるな、それ。ホイップといちごのケーキもおいしいけど、メレンゲドールが乗ってるとうれしくなるみたいな」
「そうそう! アラザンとか粉砂糖とか、あると見た目も華やかだしうれしいよね」

 二人のやりとりを聞いている音哉の顔は緩んでいた。やれやれと肩をすくめて、背もたれに倒れ込むようにしてもたれかかる。

 そこからそれぞれの楽器の惚気話になり、和やかな雰囲気の中、パーカッションの舞が「さぁ午後の練習だ!」と妙に張り切った様子で戻ってきた。その後ろにいた鳴海と奏斗、和希、鈴々依を含めて「はーい」と元気よく返事をして練習を再開する。

「あ、兎田! ちょっといい?」
「なんでしょうか?」

 律も練習に戻ろうとマレットを手に取ろうとした瞬間、舞に呼び止められた。律が振り向くと、舞はふふんと得意げに笑って腰に手を当て、一枚の紙を律に差し出す。

「さっき先生と千鳥と話してたんだけど、ここのチャイムとグロッケン欲しいから、やってもらってもいい?」
「ほ、本当ですか?」
「ここ休みだったよね? 持ち替え間に合わなかったらあたし休みだし代わりにやるから。グロッケン優先して」
「休みです、多分大丈夫だと思います、間に合うと思います」
「んじゃあんまないけどよろしくねー」
「はい!」

 笑顔で元気よく返事をして早速律は楽器を出しに準備室に向かう。――舞が差し出した楽譜を受け取るのも忘れて。
 準備室へと向かう律は小走りで、その背中を見て音楽室にいるメンバー全員が笑う。

 準備室からグロッケンを持って出てくる律の表情は嬉しそうで、窓の向こうでは雲の間から青空が顔を覗かせて、うっすらと虹が伸びていた。
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