昼休み、ドラムの音が聞こえて


「失礼しました」

 軽く頭を下げて和希が職員室から出ると、昼休みで廊下は混雑していた。

(何を言われるかと思ったら)

 午前の授業を終え、気が抜けた瞬間校内放送で自分の名前が呼ばれたものだから、驚いたなんてものではなかった。クラスメイトにやれお説教だ何をやったんだと茶化され、心当たりがまったくないといったら嘘になるので、心臓が早鐘を打っていた。先生に呼び出されると不安になるのは和希だけではあるまい。

 購買や食堂に向かう生徒たちの流れに逆行し、階段を駆け上がって職員室へと急いで自分を呼びだした先生の元へ行けば、なんてことはない、先日なくした筆箱が見つかったというだけだった。筆箱が無事戻ってきたことと、説教ではなかったことに和希はほっと胸をなでおろした。

 教室に戻るのにもっとも近いであろうルートは購買と食堂へ向かう生徒たちで未だ混雑していたので、諦めて少し遠回りをすることにする。

 特別教室が集まっている校舎の方へ回ると人はまったくおらず、喧騒が遠くに聞こえた。渡り廊下の向こうでは、生徒がひしめき合っている様子が見える。

 階段を下りようとした時、ふとドラムの音が聞こえたような気がして和希は足を止める。気のせいだろうかと音の聞こえた上の階を見上げ、耳を澄ますとやはり聞こえた。

 和希は気になって方向を変え、階段を上る。

(熱心だなぁ、猫柳先輩……)

 このドラムは間違いない、奏斗が叩いている音だ。全身に響くような力強いビート。裏に入るリムショットが聞いていて気持ちいい。

 音が聞こえるのは準備室からだった。ドラムセットは出すのに時間がかかるから、出さずにその場で練習しているのだろう。
 ドアについている窓からこっそり覗くと、中にはやはり奏斗の姿があった。和希が覗き込むのとほぼ同時に音が止み、視線に気付いたのか奏斗がこちらを向く。それに驚いて和希が固まっている間に奏斗がやってきてドアを開けた。

「和希じゃん。なんか用?」
「あ、いや……えっと……邪魔してすみません。ドラムの音が聞こえたから、誰か練習してるのかなって思って……」
「なんだ、練習に来たわけじゃないんだ」
「す、すみません……」
「別に謝ることじゃないよ」

 謝る和希に笑うと、奏斗は戻ってドラムの椅子に腰かける。少し悩んで、和希も中へ入った。

「あの、猫柳先輩」
「ん?」
「見ててもいいですか?」
「何を? 俺が練習してるとこ?」
「はい。気が散るんだったら帰りますんで」
「別にいいよ? 見ててもおもしろくないと思うけど」

 そう言って奏斗は自嘲するように笑ったが、和希からしてみれば見ていておもしろいし、だからこそ見たいと思ったのだ。奏斗のドラムは見ていて勉強になるし、技術の高さもだが本人が楽しそうに演奏するので見ていて飽きない。ここだけの話、練習中に気が付くと見惚れていることも多い。

 中学の時はサッカー部だった和希が高校で吹奏楽部に入ったのは、奏斗のドラムに憧れたからだった。勇気を出して入部して、念願のパーカッションになれたのはよかったものの、何年頑張っても奏斗のようにはなれる気はしなかった。

 調辺高の和希以外のパーカッションは全員中学生からやっており、キャリアがあるせいもあるが、和希が同じ期間頑張ったとしてあそこまでできるようになれるとは到底思えなかった。好きこそものの上手なれというが、奏斗たちはまさしくそれだ。

 隅のほうで、楽器の間に埋もれながら和希はしゃがむ。視界に入ったら気が散るかもしれないと思ったのだが、その間に奏斗は和希のことなど気にする様子はなく、再びドラムを叩いていた。

 途中、間違えたのか、一瞬手を止めて顔をしかめることはあっても、やはりドラムを叩いている時の奏斗の表情は生き生きとしていた。
 和希から見て譜面台の手前、ドラムの斜め前の机の上に置かれたメトロノームの音はまったく聞こえない。拍が取れている証拠。フィルインでもまったく乱れないテンポに、和希はただただぽかんと口を開けるしかできなかった。

 それからしばらくして、満足したのか、それとも少し疲れたのか、奏斗は手を止めた。ふぅと息を吐き、スティックをスネアの上に置く。その際にスティックがスネアのリムに触れる音が、奏斗の音だなと和希は思う。

「先輩って、真面目ですよね」
「そう? 部活以外で個人練習してる人って他にもたくさんいるけど。俺が知ってる範囲だと、鳩村とか千鳥先輩は持ち帰って帰りに公園とかで練習してるみたいだし」
「そうなんですか?」
「千鳥先輩が吹いてるのは見たことあるよ」
「へえ……」
「まードラムがしっかりしてないと曲が通らないからね。パーカスと低音がしっかりしてればそれなりに曲は通るけど、逆に言えばダメだったら曲も通らない」
「そ、そうなんですか……。でも、先輩はいつも叩けてるじゃないですか」
「譜面通りには叩けてないよ。無理そうだったら曲の流れを止めないように勝手にアレンジしてる」

 それでも曲がきちんと通るのは事実だ。叩けないのであれば自分なりにアレンジするというのも、和希だったら思いつかないだろう。無理だと思ったら手を止めてしまうと思うし、入れそうなとこからまた入ろうと思っても見失っておろおろうろたえるしかできないと思う。

「次あたり和希にドラムが回ってくるだろうから頑張れよ」
「えっ? 俺に? む、無理です……」
「無理、できないじゃない、やれ。そのうちお前がパーカスひっぱっていかなきゃなんないんだからさ」

 奏斗の言うことはもっともだ。今は先輩がいるからと呑気にかまえているが、もう少ししたらそうもいかなくなる。それは分かっていても、ついつい先輩たちがいるからと甘えてしまっている。
 中学時代があっという間だったように、高校生活もあっという間に過ぎるのだろう。三年という期間は長いように思えて短い。

 他愛のない会話をしていると、不意に奏斗の携帯が鳴った。それを合図に奏斗は片づけを始める。
 なんでも練習に没頭して時間を忘れ、チャイムに気付かなかったことが何度かあり、昼休み終了十分前、予鈴がなる五分前にアラームをセットしているのだそう。

「ていうか和希、昼食べたの? 来たの早かったよね?」
「あっ」
「食べてないのかよ!」
「そういう先輩は食べたんですか?」
「三時間目が終わって早弁した! ドラム好きだけど昼食わないのは午後もたないしね」

 準備室を出てすぐに予鈴が鳴る。奏斗に言われて昼食をとっていなかったことを思い出したがもう遅い。同時に空腹感も襲う。これから教室に戻ってもおにぎりを押し込めるかどうかといったところだ。

「今すぐ戻って少しでもいいから食っとけ! じゃあな! 放課後、部活来いよ!」
「あっはい!」

 大きく手を振って和希とは逆方向へと去っていく奏斗。本来なら途中までは一緒なのだが、職員室に鍵を返しに行かなければならない。

 来る時は混雑していた廊下も、午後の授業が始まろうとしている今は閑散としていた。先生に見つかりませんようにと祈りながら和希は教室へと急ぐ。廊下は走ってはいけないなんてことはもちろん知っている。

「遅かったじゃーん。そんなに何を怒られてきたのー?」
「お前マジで何やったんだよ」
「ちげーよ! 何もやってねえっつの!」

 教室に戻ると再びクラスメイトにいじられ、結局昼食はとれないまま午後の授業が始まったのだった。

(腹いっぱいで眠いのと、腹減ってしにそうなの、どっちがマシなんだろうな……)
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