定期演奏会の帰り道


奏斗の母親:かな子(かなこ)
音哉の母親:弥織(やおり)





「……あんな楽しそうな音哉、今までで初めて見たかも」

ティーカップをソーサーに置き、視線を窓の向こうに向けながら呟かれた弥織の言葉に、かな子はふふっと笑いをこぼした。

「来てよかったでしょう?」
「本当に。誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ無理に誘っちゃってごめんなさいね」

つい一時間ほど前、二人は音哉と奏斗の中学校の定期演奏会に行っていた。弥織にとって、音哉の演奏を聞くのは今回が初めてだった。

定期演奏会に行かないかと誘ったのは奏斗の母親、かな子だった。無理と言われるのを承知の上で誘ってみれば、案の定返ってきた答えはやんわりとした言い方ではあったが、「仕事で忙しいから」を理由に断られた。

仕事が忙しく暇がないというのは奏斗と音哉が小学生からの付き合いゆえに分かってはいるのだが、いつもならすぐに引くところを、今回は一度くらい聞いてみたらとしつこくすすめた。

仕事が忙しい、というのは本当のことだが、かな子と違って音楽の経験がなく、なんとなく興味を持ちにくかったという理由もあった。

「あたしってダメね。昔からそう」
「そう?」
「音哉が小学生の時だって、音哉が寂しがってるのに仕事仕事って……あんまりものを言う子じゃないから、強い子だって勝手に思っちゃってたの。運動会や学芸会くらい、無理してでも行けばよかった」
「そうね、音哉くん、本当に寂しそうだった」

小学生の時、弥織が帰ってくるまで音哉は奏斗の家に預けられていた。本人は恥ずかしいから言わないでくれとかな子に頼んだらしいが、母親にあまり会えなくて寂しくて泣いてしまったことをこっそり教えてもらった。
運動会でも両親どころか母親が見に来てくれることもほとんどなく、奏斗と一緒に昼食を取っていたが、やはりその時も寂しそうな表情を浮かべていた。

「でも、今は音哉くんのこと、応援してるでしょ?」
「もちろん。演奏を聞いたのは今日が初めてだけど、たまに早く帰ってこれたり、休みの日に一緒にご飯食べた時にね、あの子本当に楽しそうに部活でこういうことしたんだよーとか話してくれるの。今までたくさん我慢させちゃったし、好きなことは思う存分やって欲しい」
「よかった。うちの奏斗が無理矢理吹奏楽部に誘っちゃったんじゃないかって少し心配してたの。奏斗、強引なところあるし」
「まさか。音哉がはっきりと自分から何かをしたい、って言ったのも、思えば吹奏楽部に入りたいって言ったのが初めてだったかも」

ふふ、と同時に二人は笑う。

今でもあの時の音哉の表情ははっきりと覚えている。部活は決めたの、と聞いた時に、吹奏楽部に入りたいと真っ直ぐこちらを見つめて言った、音哉の表情を。とてもきらきらしていた。

「応援してくれてるなら、それで充分だと思う。吹奏楽部って練習時間も長いし、休みもほとんどないから、文句を言う親も多かったりしてね。将来いい大学に入れたいとか思ってると勉強できる時間が少なくてやめなさい、って言ったりね」
「あたしも最初は驚いたなー。中学の部活ってそんなに長い時間やるものなの? って。土曜日も日曜日も部活って言われた時はえー!? って」
「やっぱり?」

そこで一旦会話が途切れ、ふぅと小さく息を吐いてぬるくなった紅茶に口を付ける。

目を閉じるとまぶらの裏に浮かぶのは、少し前に見た演奏。ステージの端で、大きな楽器を構えて真っ直ぐ指揮を見つめている、音哉の真剣だけど楽しそうな表情。なぜもっと早く見に行かなかったのだろうか。

「音哉と奏斗くんを見てると、楽しそうでいいなーって羨ましくなるのよね。あたしが中学生の時、あんなに熱中できることなんてなかったから……。あんな風に青春を謳歌してみたかったなー、なんて」
「部活にあれだけ熱中できるのも学生のうちだけだものね。高校生になっても続けるつもりなら、成績が悪くて留年するってなったらその時はやめさせるつもりだけど、最低限のことはやってくれたらわたしは何も言わないつもり」
「そうね。大人になると時間がなくって」
「ほんとほんと」

今のうちに好きなことを思う存分やりなさい、としつこいくらいにかな子は奏斗に言っていた。最近はもう分かったからと顔をしかめるようになったが、いずれ大人になれば分かるだろう。

「今日は誘ってくれて本当にありがとう。あと奏斗くんに、奏斗くんの演奏すごかったよーって伝えてくれる?」
「分かった。音哉くんにもそう伝えといてくれる?」
「ええ」

会計を済ませ、喫茶店を後にする。

弥織の運転する車で帰りながら、演奏会のことを話す弥織の表情がとても楽しそうで。舞台で楽器を吹いていた音哉の表情に似ていると隣でかな子は思った。
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