はじまりの音を奏でて


「なあ音哉ー、部活決めた?」
「んー、まだ」

 生徒会による新入生の歓迎会を終え、教室に戻ってきて音哉がもらった資料に目を通していると、前の席の奏斗が椅子を傾かせて話しかけてきた。ちょうど音哉も同じことを考えていたところだ。

 この学校の校則では、必ずどこかの部活には所属しなければならないことになっているらしい。大きな中学校だから運動部も文化部も種類はたくさんあり、選択肢は多かった。

 音哉は特にこの部活に入りたいと決めていたわけでもなく、歓迎会での部活紹介がどの部活も工夫されていて面白かったこともあり、まだ時間はたっぷりあるといえど悩む。

「奏斗は決めたのか?」
「うん。悩んでたけど、さっき決めた」
「何にするんだ?」

 そういえば、今まで奏斗と中学のことを話すことは何度かあっても、部活のことを話したことはなかった。音哉はぼんやり考えてはいたものの、奏斗に聞いたことはなかった。

「俺、吹奏楽部にする!」
「吹奏楽部?」

 予想外の答えだった。きょとんとする音哉、笑顔の奏斗。

 音哉も奏斗も、体力にはあまり自信がない。だから文化部も視野に入れていたことは入れていたのだが、文化部には女子が多そうだという思い込みがあり、音哉は遠ざけていた。特に吹奏楽部は女子がほとんどか、男子はまったくいないというイメージがあったので、楽器ができるかどうか、楽譜が読めるかどうかなどは別にしても候補から無意識に外していた。

「うん。俺さ、一時期ピアノやってたじゃん? あの頃はめっちゃ嫌だったけど、さっきの演奏聞いたらうずうずしちゃって。俺も楽器やりたいなー! って思ったから」
「お前は音楽系向いてそうだしな」
「そうかな。それに、楽器できるのってやっぱかっこいいじゃん?」

 奏斗の両親は二人とも音楽関係の仕事をしていた。母親がピアノの教室をやっていて、奏斗も一週間に一回か二回のペースで母親からピアノを習っていた。しかし奏斗自身は嫌で嫌で仕方なく、音哉に泣いてすがっていたこともあった。しかし音哉が奏斗の家に遊びに行くとよく奏斗がピアノを弾いてくれたのを覚えている。音哉は奏斗の弾くピアノが大好きだった。

 楽器ができたらかっこいい、なんてなんとも単純な理由だが、何かを始めるきっかけなんてほとんどがそうだろう。あとはおもしろそうだと思ったからだとか、何も難しく考える必要はない。

「で、音哉はどうするの? 特に決めてないんだったら、いっぺん一緒に見学に行ってみない? 吹奏楽!」
「……それもそうだな」
「じゃ、決まりな!」

 奏斗が言うと同時にちょうどベルが鳴って、にかっと嬉しそうに笑って前に向き直った。すぐに先生がやってきてホームルームが始まる。

(吹奏楽なんてまったく考えてなかったなぁ……)

 吹奏楽部は女子が多そうだから、という理由以外に、奏斗に比べて音哉はかろうじてドレミが読めるくらいで、小学校の音楽の成績は決してよくはなかったというのもある。トランペットやフルートは、リコーダーなどと違って吹こうと思えば簡単に吹けるものではないはずだ。

 言われてみれば、楽器を演奏することに憧れはあるかもしれない。入学式の入退場や、奏斗も言っていたように、先ほどの歓迎会で吹奏楽部が曲を演奏していたのを聞いてすごいなと音哉もぼんやり思っていた。

 とりあえずは、放課後見学に行ってからだ。見学に行ってみて興味が湧いたら吹奏楽部にすればいいし、合わないと思ったらその時は違う部活を探せばいい。考えているだけでは何もはじまらない。


   * * * * *


「やっぱり女子が多いよなー」
「だろうな」

 放課後。迷子になりながらもようやく二人は音楽室に辿り着いた。ちらちらと音楽室の前で中の様子をうかがっているのは、予想はしていたが全員女子。ここから見る限り、男子の姿は見えない。

 音哉は気が引けたが、奏斗は気にせずに中へ入る。

「失礼します! 見学に来ました!」
「お、男子が来た! 吹部にいらっしゃーい」

 奏斗の大きな声に気付いた近くの先輩がこちらに振り向く。珍しい男子が来たからか、とても嬉しそうな表情をしていた。

「よろしくお願いします!」
「よ、よろしくお願いします……」

 張り切っている奏斗に続いて、音哉もおずおずと挨拶をする。改めて楽器を吹いている先輩たちの姿を見て、音哉はなんだか場違いな気がしてきた。

「にしても男子が来るって珍しいね。小学校の時もやってたとか?」
「やってないです。今日の演奏聞いてすごいなーと思って興味が湧いたので!」
「本当? わー嬉しいなぁ、そんなこと言ってもらえるなんて……」

 とてもフレンドリーな先輩で、いくつか質問をされた後、部活の簡単な説明と楽器の紹介をされた。

 余談だが、先輩の質問に答えたのはすべて奏斗だ。音哉は隣でただおろおろするしかできなかった。

「なんか吹いてみたい楽器ある? 今サックスはちょっと無理だけど」
「うーん、じゃあトランペット吹いてみたいです」
「えっと……じゃ、じゃあ俺も……」

 急に言われてもとっさには思い浮かばず、とりあえず奏斗にならう。

 先輩に連れて行かれながら、周りの金色や銀色の眩しい楽器に音哉は期待に胸を膨らませた。


   * * * * *


「あ、すみません! 途中で申し訳ないんですけど、時間ないので違う楽器に行ってもいいですか?」
「いいよー。どこ行きたいの?」

 奏斗がちらっと時計に目をやったのに気付いて音哉も時計を見やる。そして見学に来て一時間が経とうとしていたことに気付いて驚く。
 余裕があれば他の部活も回ってみようかなどと話していたが、今日は吹奏楽部だけで終わりそうだ。残り十分もない。

 あれからトランペット、金管繋がりでトロンボーン、ユーフォ、そしてクラリネット、サックス――とそれぞれ短い時間ではあったが、いろいろな楽器を体験させてもらった。 金管はかろうじて音が出た音哉に対して、先輩に少し教えてもらえばどの楽器もすぐに音が出た奏斗は、やはり両親の影響があるのだろう。すごいすごいとひたすら褒められる奏斗の隣で音哉は肩身が狭かった。唯一音が出たトロンボーンだって、よーく耳を澄まさなければ聞こえないくらいの音量だったし、情けない音だった。

「ドラム叩いてみたいです!」
「ドラムね、了解了解」

 一瞬の迷いもなく答えた奏斗の表情は、見学に来た時よりも一段と輝いているように見えた。先輩に連れられて意気揚々とドラムの方へ向かう幼馴染の背中を、音哉は見送る。

「君はどうする? 別な楽器やる?」
「あ、えっと……まだ吹いててもいいですか」
「いいよいいよー。じゃ次はラかな」

 見学の残り時間はもうほとんどないのだし、違う楽器をやってみたいという気持ちはあっても、奏斗と違って短時間では音を出すことすら不可能だろう。仮に奏斗と同じくドラムをやるとしても、管楽器と違って叩けば音は出るだろうが、いくつもの楽器を巧みに演奏するのは自分には絶対無理だろう。両手と両足を使って一度にたくさんの楽器を演奏するくらいの知識はある。

 引き続き先輩に運指を教わりながら、不意に聞こえたドラムの音に音哉は思わず視線をそちらに向ける。自分と同じように先輩に教えてもらいながら、ドラムセットに腰を下ろしている奏斗がそこにはいた。

 いろいろな楽器の音が絶え間なく聞こえるせいで何を言われているのか、それに対して奏斗がどんな返事をしているのかは聞こえないが、奏斗が叩くドラムの音ははっきりと聞こえた。

 規則的なリズムを刻むハイハットの合間に聞こえる、タンッと跳ねるような軽快なスネアの音、お腹に響くのは力強く踏み込まれたバスドラムの音。時折鳴らされるシンバルは力強く、残る余韻は心地いい。

「あの子すごいね。小学校でも吹奏楽やってたの?」
「……いえ、やってないです」
「そうなんだ? でもどの楽器も触ってすぐ音出たし、ドラムももう叩けてるみたいだし、センスありそう」

 音哉と同じようにドラムを叩いている奏斗を見つめる隣の先輩からは、奏斗が吹奏楽部に入ってくれたらいいなという願望が読み取れた。会話は聞こえないけれど、奏斗の横に立っている先輩たちも奏斗を称賛しているのだろうというのは表情から察することができる。

 奏斗くらい、どの楽器もすぐにできるようになって、しかも才能もセンスもあるであろうとすれば、音哉だって先輩の立場だったらあの子が入ってくれたら、と思うだろう。

 小学校までは経験がないけれど、中学生になって吹奏楽部に入りたい、そう思って今日見学に来ている人だって音哉以外にもきっとたくさんいる。その中にも、今まで埋もれていただけで奏斗のように実は才能やセンスがある人はたくさんいるだろう。今まで音楽とは無縁に生きてきた音哉もそのひとりかもしれないが、奏斗と違って後ろ向きな音哉にはそんな風には考えられなかった。

「君は? 君も吹部入らない? 大丈夫だよ、中学から始めた人の方が多いんだし、誰だって最初はできなくて当たり前だもん。あたし、一年生の時全然吹けなかったよ」

 そんな音哉を気遣ってか、音哉の顔を覗き込みながら先輩が笑顔で言う。

「……もう少し見て回ってから考えます。すみません」
「そっか。今日見学一日目だもんね! もしよかったらうちに来てくれると嬉しいな! 男子は少ないから気が引けるかもしれないけど、大歓迎だよ!」
「……ありがとうございました」

 音哉がお礼を言って俯くと同時に、一年生の見学の時間の終了を知らせるベルが鳴った。奏斗はそれに気付いていないらしく、遠くで未だドラムの音が聞こえる。
 先輩に軽く頭を下げてドアへと向かうと、不意に背中をばしんと叩かれた。おもむろに振り返れば、案の定奏斗の姿があった。

「俺もう吹部に決めちゃおっかなー。他の部活も見てから決めるけどさっ」
「……そうか」
「明日はどこ行く? 結局他のとこ行けなかったね。楽しかったからいいけど」
「……そうだな」

 浮かれている奏斗が、隣の音哉の様子に気付くわけもなく。

「今日はどうだった?」

 一緒に帰りながら、その質問がされなかったことに安心した。
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