パーカスの自意識過剰乙女


「ここは裏でホルンが動いてるから周りはそれをよく聞いて。ここのホルンはもっと目立っていいから堂々と吹きなさい。それから……」

 しばらく出番はないなと判断した舞が腰を下ろすと、それにならって他のパーカッションのメンバーも腰を下ろした。
 同じくパーカッションである鈴々依もマレットを持ったまま腰を下ろし、先生の言葉を聞き流す。

 合奏中、あまりパーカッションに指示が飛んでくることはない。指揮者に特に何も言われないということは、これといってダメなところはないということかもしれないが、何も言われないというのも逆に不安になるし、よくするためにはもっとばんばん言ってほしいとも思う。しかし個人を名指しで「ここからここまでやってみて」と言われる、彼らの言葉で言うところのいわゆる公開処刑をされるのもそれはそれで嫌である。大して難しいところではなくても、また個人練習や合奏ではできていても、周りが無音の中ひとりだけ音を出すというのは度胸がいる。

(もう少しで私の出番だったのにな……早く終わらないかなー)

 今まで長い休みが続いていて、やっと次の小節からというタイミングで止められてしまい、小さな子どものように口を尖らせている彼女の名前は百合根鈴々依といった。彼女の名前を一発で読める人はおそらくいないだろう。「鈴々依」と書いて「りりい」と読む。
 両目が隠れるほど長い前髪にきれいに結われたみつあみと、雰囲気もクラスの隅で休み時間に読書をしているような地味で大人しい子で性格もまさにその通りなのだが、名前が今時のせいで嫌でも目立つ。彼女自身も目立つことはあまり好きではないので、時々自分の名前が嫌になったりもする。

「あとここのフルートは……」

 もうそろそろ終わるだろうかと顔を上げたが、先生の台詞から察するにパーカッションの出番はまだまだのようだ。
 あとどのくらいで終わるか分からないが、ただボーっとしていては時間の無駄だ。譜読みをしようと思い、鈴々依はこっそり目立たぬよう腰を屈めて立ち上がる。

「あっ」

 楽譜をとろうと譜面台に手を伸ばした時、ふと視線を感じて鈴々依は顔を上げた。瞬間、こちらを見つめている音哉と目が合って、鈴々依は小さく声を出す。

(やっぱり……合歓木くん、私のこと見てる……)

 鈴々依が見つめ返しても音哉は気付いているのか気付いていないのか、視線を外すことなくなおもじっと鈴々依を見つめていた。
 かあっと熱が集まった顔をクリアファイルで隠すようにして鈴々依は再び腰を下ろす。音哉は相変わらずこちらを見つめたまま。

 クラスもパートも違うが、音哉のことは知っていた。クラスどころか学年関係なく、主に女子の間では音哉を知らない人はいないだろう。
 悪い意味で有名なのではない。それほどまでに音哉がかっこいいからだ。鈴々依のクラスでも音哉に好意を寄せている女子は何人かいる。一瞬でも目が合えばきゃーと黄色い声を上げ、声をかけられたらもうお祭りだ。

(合歓木くんって……やっぱり……私のこと……)

 それは鈴々依も例外ではなかった。……いや、例外ではある。
 鈴々依も女の子であるからにして、今を時めくアイドルや芸能人など、かっこいい男の人には反応してしまう。はじめて音哉を見た時に周りの女子と同じくかっこいいという感想は抱いたが、クラスも違う上にパートも違うので接点はほとんどなく、それ以上は特になんとも思わなかった。

 鈴々依が音哉の視線に気付いたのは去年、音哉も鈴々依も一年生の時。今日のように合奏中にふと顔を上げたら、こちらを見つめている音哉と目が合った。一度だけならさすがに鈴々依も偶然だろうと思うが、以降も合奏中やパート練習の最中にちょくちょく音哉はこちらを見つめており、よく目が合った。時々、滅多に笑顔を見せない音哉が笑うこともあった。

 相手が音哉に限らず、二度以上同じことが続くと鈴々依の中では自分に向けられる好意だと確信に変わる。すぐに勘違いしてはひとりで舞い上がる、一言でいえば自意識過剰なのだ。この百合根鈴々依という女子は。

(合歓木くんが私のこと好きだったなんて……! そ、そんなに見つめられても、今合奏中だよう……)

 熱を持った顔にクリアファイルを当て、ぷるぷると首を横に振るのに合わせてきれいに結われたみつあみが暴れているが、そんな鈴々依に気付くパーカッションのメンバーはいなかった。今日の配置はドラム、鍵盤類が前で、ドラムの後ろにティンパニ、鍵盤類の後ろにシンバルや小物系が置かれたスタンドが置かれている。鈴々依が今練習中の曲で担当しているのは彼女の得意なティンパニで、いちばん後ろであることと、少し間を空けた隣のシンバルや小物を担当している和希と舞はそれぞれ寝ているのとボーっと窓の外を見つめているので気付かない。もし見ていたとしても、一年生も含めすっかり慣れてしまったので「またか」ぐらいにしか思わないが。

「ああ、もうこんな時間。最後に最初から通して今日の練習は終わりにします。本番だと思って手を抜かないように」
「はい」

 そろった返事にはっとし、立ち上がったワンテンポ遅れて鈴々依も立ち上がる。

 楽譜を譜面台に置き、ふうと小さく息を吐いて真っ直ぐ先生を見つめる。その表情はさっきとは打って変わって引き締まっていた。

 指揮棒がこちらに向けられるより少し早くマレットを振り上げる。そして指揮棒と同じタイミングでマレットを振り下ろす。
 ティンパニの激しい音が音楽室に轟き、瞬間いい緊張感が生まれる。

 鈴々依は見た目から受ける印象や雰囲気、また性格も地味で大人しく目立たないタイプだが、彼女の叩くティンパニは迫力があった。彼女が出しているものとはとても思えないだろう。ティンパニの配置は最後方になることがほとんどだから、彼女が入部してはじめてティンパニを担当した時、あのすさまじいフォルテピアノからのクレッシェンドとスフォルツァンドを叩いていたのがまさか鈴々依だとは誰も思わなかった。





「なあおとやんさ、今日もパーカスガン見してたよな」

 合奏が終わり、各々片付けをしている最中、鳴海が音哉に話しかける。

「……ガン見はしてねえよ」
「気持ちは分かるけど、あんまガン見しないほうがいいぞ」
「なんでだよ」

 鳴海が言うほどパーカスのほうは見ていないつもりだ。そもそもなぜ音哉が時々パーカスのほうへ視線を向けているかといえば、幼馴染がいるからで。長い休みの時に変顔をしたり、ジェスチャーをして遊んでいるからだ。

 一度観田先生に「にらめっこでもしてるの? 楽しそうでいいね、僕も混ぜてよ」と呑気に言われたことはあるが、今のところ怒られたりしたことはない。それほど長い間遊んでいるわけではないし、他のパートが長くつかまること自体あまりないから、頻繁にやっているわけでもない。

「イケメンって罪だよな。やっぱ人間顔だよな……。人間中身が大切とかよく言うけどさ、おとやん見てるとやっぱ顔だわって思うわ。現実は残酷だよな」
「だからなんでだよ」

 ドラム越しにとはいえ、見つめられて興奮している鈴々依に気付いていない音哉も音哉だが、音哉がかっこいいから勘違いされるのだと思っている鳴海も鳴海だ。
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