楽器が使えない日


「……ここで練習するんですか?」
「うん」

 和希の質問に、パートリーダーである奏斗が即答する。

 時は放課後、二人がいるのは音楽準備室。今日の練習場所はいつものように音楽室――ではなくここ、つまり音楽準備室らしい。といってもすぐ隣の教室なので、位置的にはあまり変わりはないが。

 今日は吹奏楽部の活動場所である音楽室の近くの教室を使って何やら大事な会議が行われるらしく、それが終わるまで音楽室での練習は禁止らしい。
 管楽器は文句を言いながらも先生に言われた教室へ移動していったが、移動の難しい打楽器はどうすればいいのだろうか。和希はこんなことははじめてでどうしていいかさっぱり分からず、パートリーダーの奏斗に聞いてみたら、連れてこられたのがここだった。普段は楽器などを置いておくためだけの場所で、管楽器がほとんど運び出された今ではやや広くなったものの、それでもやっぱり狭い。

「だって会議っていってもそんなにかかるわけじゃないんでしょ? 楽器移動させる時間もったいないし」
「多分……。五時過ぎくらいには終わるって部長は言ってましたけど。そういえばうさぎ先輩は……」
「あぁ、うさたんは今日委員会で遅れるって。菊池先輩と百合根は用事があるから今日は部活休むって」

 そんな会話をしながら、二人は楽器を詰めて少しでもスペースを広くする。なるべく隙間ができないよう、片付ける配慮はしているのが、数が多い分、いちばんスペースを取っているのはやっぱり打楽器だ。

 ちなみに奏斗の言う「うさたん」とは和希の言う「うさぎ先輩」で、本名は兎田律という。なんともかわいらしいあだ名に中性的な名前だが、彼はれっきとした男子だ。彼にはあだ名で呼んでもらいたいこだわりがあるらしく、それを和希にも半ば強要してきたため、苦し紛れに苗字を一文字削ってうさぎ先輩と呼んでいた。後付けではあるが、律がうさぎ好きなことも由来している。

「こんなもんかな。あんまし変わってない気もするけど」
「さっきよりは広くなったと思います。……若干」
「そう? ま、今日は三人だけだし、こんだけあれば充分でしょ」

 言いながら棚から楽譜の入ったクリアファイルとスティック、それからメトロノームを取り出すと、躊躇なく奏斗は床に腰を下ろした。和希も少しためらった後に奏斗の隣に腰を下ろす。なんとなく予想はつくが、隣でいつも基礎練習に使っている猫柄のタオルを広げる奏斗をじっと見つめる。

 奏斗が手早くねじを巻いてそっと床に置くと、カチカチ規則正しい音が狭い室内に反響する。和希の予想通り、隣の奏斗は座った状態でいつもの基礎練習を始めた。

「先輩、パーカスってたまにこんなことしてるんですか?」

 メトロノームが止まって、再び奏斗がねじを巻いている最中に、ふと和希は質問をしてみる。和希が知らないだけで、もしくはパートリーダーである奏斗にだけ先生から指示があったのかもしれないが、突然のことにうろたえたりする様子もなく迷わずここに連れてこられたから、気になっていた。

「やってるよ? 今日みたいに会議とかある時は大体準備室でやってる。……って、和希ははじめてだっけ」
「はい。……パーカスって大変ですね」
「……まあね。管と一緒に練習するとでかい音出せないし、楽器も修理になかなか出してもらえないし」

 それは今までやってきて和希もなんとなく思っていた。実際に管楽器の人たちからどうこう何を言われたわけではないが、一緒の場所で練習していると時々視線が怖いし、和希の目から見てもあきらかに壊れかけの楽器や、片方しかないスティックやマレットもたくさんある。曲のテンポを決めるドラムやスネア、盛り上がりにかかせないティンパニやサスペンデッドシンバルなど、重要な役割のある楽器も多いのに、なぜこんなにも不憫なパートなのだろうか、と。もちろん、管楽器や弦楽器だって曲にはかかせないし、常にいいコンディションであるよう、定期的なメンテナンスは必要だ。それでももう少しでいいから、打楽器も気にかけてほしいと思う部分はある。

「ごめん、委員会で遅れちゃった」

 黙々とそれぞれ基礎練習をしていると、律がやってきた。ドアを閉めると、ぱちんと両手を合わせて頭を下げる。

「うさたんおつかれー。まだ基礎練はじめたばっかりだよ」
「お疲れ様です、うさぎ先輩」
「やっぱりここでやってたんだ。今日はなんか会議があるんだっけ?」
「そうらしいね。五時くらいには終わるらしいよ、って和希が言ってた。もし終わんなかったら和希に文句言ってね」
「うん、分かった」
「えぇ……おかしくないですか」

 そんなやりとりを交わして三人で笑ってみたりするくらいには、この学校の吹奏楽部は先輩後輩隔てなく割と仲が良かったりする。

 奏斗と和希の鞄が投げ捨ててある隅のほうに律も鞄を置くと、棚から自分のスティックとクリアファイルを取り出し、和希とは反対側、奏斗の隣に腰を下ろす。そして律お気に入りのうさぎ柄のタオルを広げると、少し遅れて律も基礎練習を始める。

 それからしばらくの間メトロノームの規則的な音と、スティックで床を叩く鈍い音が室内に響いていた。当たり前だが、中学からずっと吹奏楽部でパーカッションの奏斗と律と比べると、高校から吹奏楽部に入った和希は手元もリズムもまだ安定しておらず、すぐ隣で先輩たちが練習していると思うと、その差が気恥ずかしく感じたりする。

「さて。個人練もできないし、合わせる?」
「そうだね」
「あ、合わせるって……どうやって……?」

 各々の基礎練習も終わったところで、言い出したのは奏斗。合わせるということは、つまりパート練習をするということなのだろうが、この状況でどうやってパート練習をするのか、和希には想像がつかない。

「どうやってって、床でだよ? 楽器使えないし」
「目の前に楽器があるつもりで叩くんだよ。シンバルとかは手ね」
「な、なるほど……」

 なるほど、とつい言ってしまったが、少し考えればこの状況ではそれ以外に方法はないだろう。

 メトロノームのテンポを曲に合わせて変えて、奏斗の合図に合わせてそれぞれの担当する楽器のタイミングで、床や手を叩く。

「あ、ごめん、今のところ間違えた。もう一回やってもいい?」
「いいよー。和希はここちょっと遅いかも? 出だしは全員一緒だから合わせてね」
「あ、はい」

 練習番号で区切りながら、気になったところを指摘しながら合わせていく。はたから見れば変な光景に見えるだろうが、時々あるパーカスの練習風景だったりする。とはいっても授業でもない限り、音楽室に来る生徒や先生はほとんどいない。ましてや音楽準備室なんて誰も来ないだろう。

「あ、会議終わったって。部長からメールきてた」

 時折脱線して雑談も挟みながら、ひたすら床を叩くことおよそ一時間半。メールが届いていたことに奏斗は気付く。差出人は部長で、数分前に届いていたらしい。

「やっぱりちょっと長引いたね。もう五時半過ぎてる」
「ちょっとどころか結構長引いてない?」

 立ち上がって、近くにあったスネアドラムを抱えた奏斗に続いて律、和希も楽器を持って音楽室へ向かう。両手でサスペンデッドシンバルを運びながら、文句を言われなくてよかったと和希はぼんやり思った。

 こもった空気を入れ替ようと律が窓を開けると、トランペットの音が生ぬるい風に乗って入ってきた。よく聞くと、ホルンやトロンボーンも聞こえる。木管は音楽室から遠い場所で練習しているのだろうか。

「おい和希、何ボーっとしてんだよ、時間ないんだからさっさと楽器出して練習するぞ!」
「あ、はいはい、今行きます!」
「はいは一回!」
「はい!」

 楽器の準備と片付けの時間を差し引くと、練習に使える時間はほんの少ししかない。せわしなく準備室と音楽室を行き来する先輩たちにまじって一緒に楽器を準備しながら、たまにはこんな練習もおもしろいかもな、なんて和希は思った。
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