※来神設定
「ねえねえドタチン、お花見行こう」
──昼休み。穏やかな屋上。
昼食を終えていつものように読書に耽ろうとした門田の動きを遮って、臨也が唐突にそう言い放った。
「……ぁあ?」
あからさまに不審な声が出る。
無理もない話だった。
なんせ、間違いようのない門田の記憶が確かなら、今日は午前放課でもなんでもなくて、普通に六限目までしっかり授業があるはずで。
そして、目の前に居るのはこの学園きっての問題児の一人、折原臨也だ。
彼は、もう一人の問題児である宿敵と日々殺し合うのに忙しく、単位がどの教科も崖っぷち状態にある。のに。
「だからぁ、お花見だってば。ねー行こうよう行きたいよう」
「………」
その口振りは明らかに、授業が終わった放課後に、ではなく。
これから授業をサボって、と枕詞をつけての言葉だった。
「臨也……」
溜め息が漏れる。否、もはや溜め息しか出ない。
おかしいとは思っていたのだ。臨也は今日、静雄に喧嘩を売っていない。
そりゃそうだろう。いつものごとくの戦争が勃発すれば、それこそ彼らは夜中までリアル鬼ごっこを繰り広げるのだから。
つまりはこのためかと、理解してしまった門田は頭を抱える。
珍しく喧嘩を売られなかった静雄はその気まぐれが変わらないうちにと、昼食後にさっさと屋上を出ていった。
たぶん、裏庭で昼寝でもするんだろう。あそこは静雄が比較的よく出没するため、生徒はおろか見回りの教師すら寄り付かず、絶好の穴場になっている。
新羅は新羅で委員会があるからと、同じく昼食後に教室へと向かったきりだ。恐らくはそのまま屋上には戻ってこない。
そのため臨也の奇行……いやむしろ奇考だろうか。に、ツッコミを入れてくれる者が今この場に存在しないという、なんとも由々しき事態だった。
「お前……単位ヤバいんだろーが」
「だって嫌いなんだもん。化学の担当」
「教師の好き嫌いで授業をサボるな」
深々と嘆息すれば、臨也がむ、と柳眉を歪めて、拗ねたように門田の脇腹をつねった。
しかし残念なことに、貧弱な臨也の握力では門田の腹筋をどうこう出来るものではなく、大したダメージは与えられない。
「こら、なにすんだ」
「…チクショウこの腹筋め。なんでこんな逞しいのすっごいムカつくんだけどドタチンなんか」
「俺なんか?」
「ちょー好き。ああもうドタチンほんと格好いい悔しい…」
「はいはいありがとさん」
「というわけでお花見行こう」
「どんなわけだ」
ぺちり、と臨也の額を軽く叩く。
けれども痛い、と文句を言われるどころか、その手のひらにぐりぐりと甘えるように頭を擦り付けられて、チクショウほんとコイツ可愛い悔しい、と門田は気取られぬように頬を引き締めた。
だから駄目なのだ。静雄や新羅が居なければ、自分はただ臨也を甘やかしてしまうだけだ。
…実際、今だって甘やかしてやりたくて仕方ない。
「ねー、行こー?」
門田の手のひらを額に乗せたまま、臨也が上目に伺ってくる。明らかに狙っている角度だ。本当にタチが悪い。
臨也は門田には効かないと思っているようだが、それは大きな間違いである。もはや臨也の癖となっているその仕草を目にするたび、ただ必死に平静を装っているだけだ。
そして今日も、諦めたように嘆息する己を演出しながら、実際はいつまで経っても慣れない動揺を吐き出して。
「仕方ねぇな…」
「やった! ドタチンだいすき!」
「…はいはい」
飛び付いてくる細い身体を受け止めて、ああこれが知れたらまた静雄や新羅に生ぬるい目で見られるなと、しかし改める気もなく改まる気もしない門田は、やれやれと苦笑した。
…さわさわと、柔らかな葉擦れの音を立てて木々が揺れる。
お花見、というから多くの出店が立ち並ぶ近くの広場や公園へ行くのかと思いきや、臨也が門田の腕を引っ張って連れてきた場所は、住宅地にある小さな川沿いの桜並木だった。
「あー、もう散ってるねぇ」
「先週末くらいが満開だったしな」
「でも桜吹雪は好きだからいいや。散り始めてるとこがいちばん好きー」
ひょこひょこと、ステップを踏むような軽快なその足取りは慣れたもので、何度かこの場所には来ているのかもしれないな、と門田は検討をつけた。
案の定というかなんというか、「シズちゃんから逃げてたら、偶然ここ見つけてさあ」と、臨也がぽつんと一つだけ置いてあるベンチに腰かけながら笑う。
門田も同じように隣に座れば、ベンチはちょうど桜の木々に囲まれる位置にあって、視界は仄かな薄紅色でいっぱいに満たされた。
「…絶景だな」
「うん、ホント穴場なんだよ。広場に近いから、ここらの住人はそっち行くみたいでさ」
「ああ……いいな、ここ。すげぇ気持ちいい」
「あは、でしょー?」
男二人でどうかとも思うけどさ、お弁当持ってピクニックとかしたくなるよねぇ。
臨也はぱたぱたと足を揺らしながら、そんな年不相応な可愛らしいことを言って、嬉しそうにへにゃ、と相好を崩した。
「…そうだな」
微笑ましくて、胸の奥がどこか甘く疼いて、門田は手を伸ばしてその形のいい頭を撫でてやる。
くしゃり、と髪を梳くように指を滑らせれば、その黒の上へ降り落ちていた花びらが、ひらひらと風に浚われていった。
「すげぇ被ってるぞ」
「そう? ドタチンも大概だけどね。このベンチ、木の真下にあるからなあ」
とってあげる、と今度は臨也が指を伸ばす。
お、悪いな。なんて言って、大人しくそれを待つ体勢の門田に、臨也はふふ、と含み笑った。
その様はまるで、ハスキーやシェパードなどの大型犬がピシッ! と姿勢正しく待機しているみたいで、ものすごく可笑しい。
「取れたか?」
「うん、…んー? もうちょっと、かな」
門田の問いに曖昧に臨也は首を傾げてみせて、前髪のあたりをチョイチョイ、と弄った。
それから何の前触れもなくちゅっ、と無防備な門田の唇を奪って、ふふふ、とまた含み笑う。
「いざ…」
「ついてた」
いつもは精悍な顔が今はひどく間抜けで、それが可笑しくてしょうがなくて、臨也は口許を手で覆い、くふくふと笑いを零した。
「…このやろ、」
「わ」
唸った門田に腕を掴まれ、大きな手に頬を覆われ引き寄せられる。
そして僅か傾けられた顔がそうっと近づくから、臨也はそれを迎えるように目を閉じた。
けれど。
「っ痛、」
ゴチッという鈍い効果音と共に、重なったのは唇ではなく額で。
ぱちくり、と目を開いた先、してやったりという顔で門田が笑っていた。
「なんだ、期待したのか」
「……ずる、」
あんなのは期待するに決まってるのに。
不満と、すこしの羞恥に目許を赤く染めて、臨也がねえ、と門田の服を引っ張った。
「期待、してるから、まだ」
それ以上はもごもごと言葉にならず、ねえ、だから、と。途切れた声が懇願する。
その精いっぱいのおねだりに、門田は分かってる、と臨也の額に唇を押し当てた。
さっきぶつけたせいか、すこし赤くなったそこに軽く吸い付いて、それからゆっくりと顔を傾ける。
「ドタチ、…」
薄く開かれた唇を重ね……ようとした瞬間、二人の鼻先にぽたりと雫が落ちた。
「冷た、……え?」
「あ? なんだ、…マジか、雨降ってきやがった」
「えぇえ、うっそ! 信じらんない空気読めよ天気!」
今ちゅーするとこだったのに! と臨也が心底恨めしげに天を仰いで唸る。
そして馬鹿、最悪、KY、死ね、と桜の枝越しの薄曇りの空に、呪うかのような暴言を吐いた。
「臨也、こっち来い」
「…雨宿りするの?」
「通り雨かもしれねぇしな。様子見よう」
そうして二人はとりあえず大きな桜の下に入って、あっという間に地面の色を濃く変えていく雨足を見つめる。
門田は困ったように、臨也は腹立たしげに。
「けっこう本格的な降りだな、」
「うー……やだもうマジ信じらんないし。マジ空気読めよ馬鹿……」
あのタイミングで邪魔されたことがよほど気に食わないのか、ぶちぶちぼやく臨也に、門田は茶化すように軽く笑う。
「そんなにして欲しかったのかよ」
「…欲しかったよ。悪い?」
「え、……あっ、いや。悪くは、ねぇよ」
冗談半分で言ったつもりが臨也の答えは予想外に直球で、門田は思わず言葉を不自然に詰まらせた。
「……じゃあ臨也、続き」
「続き?」
臨也がきょとん、とする。
「…続き、したい。しばらく雨宿りすることになりそうだし」
「あっ、……ああ、うん、」
意味を理解して、臨也の頬がじわ、と赤く染まった。
そこに手を添えて、門田は臨也に覆い被さるように身を屈める。反対に臨也はすこし、踵を浮かせた。
そして今度こそ、と唇を触れ合わせた瞬間、
──瞼越しにも眩い光と共に、地を揺るがす轟音が響き渡った。
「いたッ」
「つ、」
がつん、と思いっきり歯がぶつかる。パッと門田と顔を離した臨也が、若干涙目になりながら口許を押さえた。
「……すげぇ近くに落ちたな、雷」
「ほんっと空気読めよ死ねばいいのに……!」
正にぴったり、というタイミングで落ちた雷に、驚いた身体が跳ねて互いの歯を強打。痛いキスの出来上がりだ。
甘かったはずの空気も霧散して、なんとも言えない沈黙が二人を包む。
「…帰るか」
「え、」
「走ればそんな濡れねぇだろ」
「……うん」
あからさまに落胆した様子で臨也が肩を落とす。せっかく二人で花見に来たのに、突然の雨と雷のせいで台無しだ。
キスも上手くいかなかったし…。としょんぼりしながら、あまりに無粋な天気を恨む。もっとラブラブしたかったのに。
駅までけっこう距離あるなぁ、と臨也が憂鬱に息を吐いていると、門田におい、と呼ばれて顔を上げた。
「これ被ってろ」
そう言ってばさりと頭にかけられたのは、門田の制服の上着だ。
しまった、ちょっとキュンとした。
「いや嬉しいけど……濡れちゃうし、明日着てく替えあるの?」
このまま臨也が被って帰宅してしまえば、困るのは門田だろう。
「あ? 帰ったら洗うし、気にすんな」
「え、でも…」
臨也はあれ、と首を傾げる。俺に貸してくれるんじゃないの? と。
「? だって来るだろ、うち」
「えっ、……う、うん」
行く。と口の中でむにゃむにゃしながら答えて、臨也は門田の上着を深く被り直した。
なんだ、なんだ、帰るって、そっか。帰るってそういうことか。
一緒に帰るって、こと。
「………、」
やばい。絶対に今、真っ赤になってる。
ぽかぽかと、安堵にも似た熱が全身を巡る。臨也は雨を拭うフリをして、頬を手のひらで覆った。
雨に降られて下がった気温に、指先がすこし冷えていたけれど、顔が熱いからちょうどいい。
「帰ったら仕切り直し、な」
「うん」
「ここと比べりゃしょぼいけど、俺の家からも桜見えるから」
「うん、ありがと、ドタチン」
「おう」
今度は弁当持ってこような、と門田が笑う。被った上着の隙間からそれを見上げて、臨也も微笑み返した。
「よし、走るぞ」
「りょーかい!」
当たり前のように手を取られて、大きな体温に包まれる。それから二人で、雨の下へと走り出した。
花見もキスも邪魔されて、雨に濡れて、水溜まりを踏む靴は跳ねた泥で汚れて。
なのに、駆け抜ける帰り道がどこか楽しくて可笑しい。
走りながらくすくす笑ったら、門田にギュッと繋ぐ手を握られた。隣を見上げて、臨也もギュッとその手を握り返す。
──それから、指を絡める恋人繋ぎに手を握り直して、雨も雷もこれなら悪くないなと、思った。
END
中学生日記な二人。
けど甘酸っぱくない。これしょっぱい。甘じょっぱい。
文中の川沿いの桜並木は近所にあるのを参考にしました。
粥も桜好きだぜー^^