『わぁ、紀ノ助様見て!お星様があんなに!』

『綺麗だね。…あぁほら、上ばかり見ていては道を逸れてしまうよ』



眠れぬ眠れぬという君と

星空の下を歩いたのは

もう、幾年前の事か




「――…何、名前が?」


ほたりと音をたて、筆から墨壷へ黒雫が滴り落ちた。

緩慢な動作でかたりと筆を置く。

手短に「今行く」とだけ告げると、障子の向こうで女中が立ち去る気配がした。



――思ってもみない名前が出てきたものだ。

吉継はゆっくりと身を起こし、ふぅ、とため息をついた。


思えば、彼女――名前と最後に顔を合わせたのは、もう何年も前の事だ。

思いがけない来客の待つ部屋へ向かう間、記憶の中で少女の事を思い返す。


昔はよく三成と三人で遊んだものだった。

吉継の脳裏には、無邪気で明るい、少しお転婆な程の少女の影が跳びはねていた。


よく外で遊びたがる子だった。

そのせいか日焼けがちで、痩せっぽちの華奢な体つき。

でも瞳はまるで太陽のようにきらきらと輝いていて、自分のあとを『紀之助兄様』とついて回っていた。

それが、吉継にとっては本当に妹が出来たようで、たまらなく嬉しかったものだ。


その少女も、確か今年で18歳。


お転婆癖は直っただろうかと何と無く考えているうちに、客間へとたどり着く。


すす、と襖を開けると、広い畳の間の真ん中にちょこんと座る女性がいた。

平伏したままなので、表情は伺えない。

ただ、当たり前ではあるが、記憶の中の少女よりも随分成長した様子。

丁寧に揃えた白い指先が、華奢でまるで人形のようだった。

吉継は用意されていた座布団に座り、依然頭を下げたままの彼女に声をかける。


「――面を上げてくれ、名前。」

「…恐れ入ります」


くぐもって聞こえた声は鈴のようで、遠い昔のそれよりも落ち着いた印象を受ける。


ゆっくりと上げられる顔。

はらり、と肩から髪が流れる。

吉継は、思わず目を瞠った。


「――…お久しゅう御座居ます、吉継様」


花が綻ぶようにして和らぐ微笑。

幾年ぶりに再会した彼女は、匂やかなまでに……美しく、成長してしまっていたのだ。


上品に通った鼻筋に控えめな印象の口許。

白い柔肌に頬がほんのり色付いていて、桜色の着物が良く似合っていた。

緩やかに結い上げた髪には可愛らしい簪が揺れている。

それでも、何かを夢見ているように輝く瞳の眩しさは、昔のままだった。


「――あぁ、随分久しいね…変わりはないかい?名前」


何とか平静を装い、語調穏やかに問い掛ける。

彼女はにこりと微笑み、軽く頷いた。


「ええ勿論。この通り恙無く…吉継様もお元気そうで何よりです」

「お蔭様でね。…して、今日はどうしたんだい?君がわざわざ訪ねて来るなんて…」

「ええ、実は…兄上から届け物を預かっておりまして。何でも兄上は所用で、直接お渡し出来ないんだとか…代わりに私めが馳せ参じた次第です」

これを、と彼女が小さな包みを畳に置いて差し出す。

吉継は一尺程のそれを両手で受け、一つ頷いて包布を開いた。


「――こ、これは…っ!!」

「まさかっ…!!」


二人の顔に驚愕の色が走る。




吉継の腕に現れたのは何と、


「「み○にゃんっ!?」」


兜を被った猫を模した人形だったからだ。



よく見ると、その猫の兜に小さな紙が貼ってある。

それを慎重に剥がすと、汚い字でこう書かれていた。




『親愛なる親友、吉継へ。
どうだ、驚いただろう!これは「み○にゃん」といって、なんと俺を模して作られた人形なのだ!お互い忙しい身だ、なかなか会えないけれどこれを俺だと思って可愛がってやってくれ☆
親友、石田三成より。』




「「…………。」」



二人の間に、何ともいえない沈黙が走る。

吉継は、そっと腕に抱いたみ○にゃんを下ろし、傍らに置いた。


「……確かに、受け取ったよ」

「…あの、何か…すみません…」


俯いてしまった彼女を制すると、彼はそれとなく話題を変える。


「そうだ…長旅で疲れただろう、今日は泊まっていくと良い」

「いえそんな、こんな事でお邪魔しておいてその上ご厄介になるなんて…」

「気にする事はないよ。積もる話もある…君さえ良ければ、ゆっくりしていってくれ」


吉継の柔らかい微笑に安心し、彼女は遠慮がちながら嬉しそうに頷いた。


そして彼が、おそらく無意識にみ○にゃんの頭を撫でているのを、彼女は見逃していなかった。




その夜は馳走を振る舞われ美味しい酒を頂き、ささやかながら心の篭ったもてなしを受けた。

久しぶりの再会に、昔話も花が咲く。

物腰の柔らかさと気品は昔からだが、大人の色を帯びた彼は男性ながらどこか艶やかだった。

昔から、兄と違い冷静で頼りになる人だった。

まるで妹のように可愛がってくれて、彼女自身彼を慕っていた。

そんな彼も、しばらく会わないうちに出世し名を上げ、自分とは住む世界の違う人になってしまったような気がする。

そんな彼に、どこか寂しい思いを抱いていた。


湯浴みを済ませ、用意してもらった床に入ってから随分経つ。
しかしこうして今日一日を振り返ってみたが、一向に眠気は訪れてくれなかった。



もぞ、と布団の中で寝返りを打つ。


『――紀ノ助兄様…じゃない、吉継様はもう寝てしまわれたかしら…』


こうしていて思い出されるのは、遠い昔の事ばかり。
かつて、自分がまだ幼い頃…そう、まだ吉継を幼名で呼んでいた頃。

今日のように、兄と二人で厄介になった事があった。

あの時も、床に入って1分も経たぬうちに寝入ってしまった兄と対象的に、自分はいつまでも寝付けなくて…



『私ったら、あの頃からちっとも成長してないわ…』

のそりと身を起こす。

寝巻のままではあるが、さほど寒くは感じない。

そっと障子を開き、縁側に出てみる。


夜風に当たって、丁寧に手入れされた庭を眺めていれば、きっと気が紛れるはず。

彼女はしんと静まった縁側に一人、ほつりと腰掛けていた。




丁度時を同じくして、吉継が長い執務を終え床へ向かおうとしていた。

急を要する手配に少々手間取ったが、何とか明日には間に合いそうだ。

冷えた床板を踏みながら、今日の事を振り返る。



――正直、驚いた。

たった幾年会わないうちに、女というものは…あそこまで変わってしまうものなのか。


彼女が変わったのは見目だけではなかった。

物腰優雅に柔らかく、慎ましやかで手弱か。

絵に描いたような…そう、誰もが娶りたいと思うような、そんな女性に成長してしまっていた。


きっと、縁談が絶えないに違いない。

その度、三成が躍起になって断りを入れる姿が目に浮かぶ。

そして自分も、立派に成長した彼女を嬉しく誇りに思いつつも、どこか寂しさを感じていた。



『――名前…君はそのうち、誰か知らない男のものになってしまうのだろうか』


はぁ、と息をついて気を紛らわせる。

まだ見ぬ、それどころか現れてもいない彼女の相手にまで、嫉妬を覚える始末。

参った、と吉継はゆるりと頭を振る。

――…と、通り掛かった離れに不意に視線がいく。

今夜の彼女の床はそこに用意させた。

無意識に、足が止まる。


もう、きっと寝入ってしまっただろう。

そして、明日には再び帰ってしまう…

そうしてただ離れを眺めていると、何かが動いたような気がした。


「……?」


暗闇の中を、じっと目を凝らしよく見る。

どうやら、縁側に誰かが座っているようだった。

そして、そこにいる可能性のある人は一人しかいない。


少し引き返し、縁側に置いてあった草履に足を通す。

そして静かに離れへ向かった。





「――名前」

「!」
暗闇からいきなり声をかけられたせいか、彼女がびく、と身体を跳ねさせる。

しかしすぐに声の主を悟り、胸を撫で下ろした。


「もう、びっくりさせないで下さいまし。」

「すまない、驚かせるつもりは無かったんだ。…眠れないのかい?」


彼が尋ねると、彼女ははにかんだように肩を竦めた。


「ええ…久しぶりに吉継様にお会い出来て、まだ気持ちが高ぶっているのかしら。少し夜風に当たっていたら落ち着くかと思って…」


見れば、寝巻一枚の彼女。

これでは風邪を引いてしまう。

彼は自分の羽織を、そっと彼女にかけてあげた。

「!吉継様、」

「私は平気だ、気にしないでくれ。…それより女子が身体を冷やしてしまってはいけないからね」


そう言ってそっと頭を撫でる。
昔、よく彼女にしていた癖が出てしまった。

彼女は、嬉しさと寂しさの両方がないまぜになったような、そんな笑顔だった。


「―…そうだ」

「?」

「私も眠れなかった所だ…一緒に夜の散歩でも行こうか」

「……!はいっ喜んで!」


暗闇でも彼女の笑顔が昔のように輝いたのが分かる。

彼はそっと彼女の手を引き、夜の河原へ向かった。




静かだった。

季節が季節だけに、虫の音も聞こえず、ただ軽やかなせせらぎだけが繰り返す。

緩くうねる川面に、月がきらきらと光る。


彼女は、吉継の一歩後ろを静々と歩いていた。


『『昔は、手を繋いで隣を歩いていたのに…』』


彼らは、お互いを少し遠く感じた。


しばし無言のまま、二人は歩き続ける。

時折ほつりほつりと会話は交わされるものの、それはすぐに夜の空へ吸い込まれていってしまう。




――遠い。

たったの一歩分の距離が、こんなにも遠い。

『やはり、もう彼は自分が知っていた頃の彼ではない…』

『やはり、自分だけの知る彼女は、もういない…』


無言の中、お互いの気持ちだけがすれ違っていく。

もう戻ろうか、と口を開きかけた、その時。


「――…まぁ見て、吉継様。星があんなに。」


は、として空を見上げる。

そこには、いつの間にか、満天の星空が広がっていたのだ。

先程まで、あんなに星は出ていなかったのに。

吉継は思わず、先程までの思考も忘れて星空に見入ってしまった。


「綺麗ですね。さっきまであまり出ていなかったように感じますけど…一つ星を見つけると、どんどん他の星も見えるようになってくるんです。ぱっと見ただけではわからない星も沢山見えてきて…そうして、さっきまでは気づかなかった星空が広がっていく」


少し後ろから紡がれる、彼女の穏やかな声。

――そう、気づかなかっただけなのだ。


そこにちゃんとあるのに、ただ、見えていなかっただけ。

そして、それに気付けたならば、そこには、素晴らしい景色が広がっている。


そう、気付けたからこそ、見える景色がある――

『吉継様…私は気付けたのです』

『名前…私はようやく気付けたんだ』


彼女は、意を決して、一歩を踏み出した。

それと同時に、そっと彼が、彼女の手を握る。


「「――!」」


お互いが同じように驚いた様子が、暗闇の中でも伝わってくる。

それでも、何も言わず、二人は再びゆっくりと歩き出した。


満天の星空の下、二つの影が連れ添う。

吉継はちらりと名前の様子を伺う。

彼女は相変わらず、天を仰いで星を眺めていた。

あんまり熱心に見つめるものだから、足元が危うい。

こうして歩いている間にも、だんだんと右に歩みが片寄ってしまいそうになっていた。

それを、それとなく手を引いて元に戻してやる。

彼女はそれにも気付いていない様子だった。


――前にも、こんな事があったような気がする。


眠れないという彼女と共に満天の星空の下を

こうして、手を引きながら――…


『…どうして、忘れていたのだろう』


彼は、ふ、と口許に柔らかく笑みを浮かべる。

そして、いまだに空を見上げたまま道を逸れそうになる彼女に、あの日と同じ言葉を囁いたのだった。


「…名前、上ばかり見ていては道を逸れてしまうよ」





翌日。

ついに帰路へつく彼女に、彼は二つの包みを渡した。

「急拵えだけど、受け取ってくれ」

「まぁそんなお心遣いを…有り難く頂戴致します」


一尺程のそれの包みを開けてみる。

するとそこには、


「……にゃ○ぶ!?」


何とまぁ、昨日どこかで見たような猫の人形が。

吉継はどこか悪戯に笑うと、いつも持っている扇子で口許を覆った。


「ふふ…兄上殿に渡してくれ、ほんの礼だと。…あぁ、そしてこれは、君に」


もう一つの包み…こちらは手の平程のもの。

それを開けると、可愛らしい簪が出てきた。

朱色のトンボ玉からちろりと小さな蝶の金細工が二つ下がっている。

それはまるで…


「つがいの蝶…」


直接的ではないが、どことなく大谷の家門のようにも見えた。

吉継に視線を戻すと、照れくさいのか、珍しく視線をそらされてしまう。

「…勿論、無理にとはいわない。石田の君がそれを付けていては、何かと怪しまれるかもしれないからね。捨ててしまってくれて――」

「吉継様」


ひたりと彼の言葉を止めると、彼女は不意に、髪をまとめていた簪を抜く。


ふわり、と柔らな髪が風に舞う。

それを抑えると、彼女は手際良く新しい簪で髪を結い上げた。


「…名前…」

「…吉継様、一つ…我が儘を申して、宜しくでしょうか」

「?」


彼女は、そっと彼の手をとり、顔を赤らめながら、囁いた。


「次にお会いする時には…この蝶、きちんとつがいにしてあげて下さいませ」


それは、つまり。


彼女の言葉の意味を悟るや、吉継は思わずその華奢な身体を抱きしめてしまっていた。


「!!」

「…三成に、挨拶へ行かねばな」

「ふふっ…きっと吉継様なら…兄上もお許し下さいますわ」


家門の入った簪を付ける事、それ則ち、その家系に入る事。


吉継は視線の先に揺れる二つの蝶に、彼ら自身を重ねていた。



GODDIVAの霞宵様より

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