はじまり もう行くんだね。 朝もやは、君を包み込んで金色の髪を濡らした。彼より大きな背嚢を背負った背中が、振り返る。脇についた、銀色のアルミでできたコップがカチャンと音を立てた。 緑色の瞳が、朝もやと混ざってミルクを溶かした飴玉みたいに温む。 「ごめんね。君には悪いと思うけれど、この足がとどまってくれないんだ」 自分の足のくせに言うことがきかない。君はいつだってそんな言い方をする。 まるで、羽でもはえてるみたいに、自由に飛んでいってしまう。 「寂しいな」 つい、こぼれた言葉に困ったみたいに笑った。 そんな顔をするくせに、彼はここにとどまってはくれない。春風のような軽やかさでどこかへ走り去ってしまう。 「君が春風ならよかったのに」 春風なら抱きしめる腕もない。熱を持った瞳もない。柔らかな声もない。存在もない。 どこかへ去ってしまう、見えないもの。 そんなものならよかった。見えないものならば、面影を追うこともないのに。 「手紙を書くよ。君が寂しくないよう、たくさん」 「ぼくもついて行ければよかった」 そんなの叶わないってわかっているけれど。 僕はここで星空の番をしなければいけない。みんなが道しるべを失ったら大変だから。僕には、僕の役割があるように、君には君の役割がある。それを果たしにいくこともわかってる。 僕がすねたように言えば、君はいつだって、 「君のすきなものを送るよ」 僕の額に小さなキスを落として、子供をあやすようにその手でやわらかく僕の髪を梳く。僕の好きなものを送るのは、君にはムリだ。だって、僕が一番好きなのは君だもの、メリノ。 そんな言葉を言っても君は困るだけ。それがわかってるから、僕は口を噤む。 「いってらっしゃい」 ちゃんと聞こえただろうか。 自分でも聞こえないくらいの呟きは。 「いってくるよ、ロムニー」 メリノはくるりと身を翻して、僕から離れた。 金色の髪が揺れる。朝陽を翻して。 辺りを包んでいた朝もやは、もうすっかり晴れていて、メリノを邪魔するものはもうなにもない。 海から吹いてきた強い風に乗って、メリノは駆けて行く。遠くへ、遠くへ。 ← * → |