春を抱く




女が呟いた。


「私の中には春が流れて居ます。」


唇へと引かれた紅が三日月のように弧を描く。


「随分吃驚した顔なさるのね。」


女は赤と黒の怪しげな紗の着物を着ていた。
白い手は幽霊のようだ。
煙管から立ち上る煙は麝香のようで、脳髄が狂(オカ)しくなっていく。


「正確に言えば、静脈管の中にね、春が流れているのです。」


女は最初に春子と名乗った。
そして、首筋にちらりと薄紅の痕が見えた。
俺が女に就いて知っているのはそれくらいだ。


「春が流れていると、どうなるのだ。」


女は煙を吐き出す。
蛾の集まる灯篭を眺める様は、まるで蜘蛛のようだ。


「どうにも。ただ、前進するだけです。」


春子の声が薄暗くなる。
目の前に紅い三日月が迫った。
暮れ行く春の一時の出来事であった。




中也より





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