なつだいだい




庭先に咲いた白い花弁はその身を散らして緑の根元に広がっていた。代わりに、眩しく繁った緑の葉に負けじと、まだ若い橙が実をつけている。
ここからじゃにおいはわからないが、あの橙はさぞかしいい香りがするのだろう。緑と橙のコントラストが、春うららに映えて心を躍らせた。

その目に鮮やかな実の近くを猫が通ってゆく。
グローリアという大層な名前がついた雄猫だ。くすんだ白い毛に、シナモンの縞模様が入る様はどこか瑪瑙を彷彿とさせる。
グローリアは相当鼻のきく猫だ。僕が食べ物を持っていると遠くからでもやってきて、必ずその鼻先を僕にこすりつけるのだ。きっと、今日もやってくるに違いない。
今日の僕は、家の裏庭で採れたばかりのふきのとうで味噌を作っているからだ。

なー、と向こう側でグローリアが鳴く。
ふき味噌の匂いが彼のもとまで漂っていったのだろう。僕が味噌をからめたばかりのふきを指先にのせてふいていると、夏橙の実が視界の端で揺れる。
どうせふき味噌目当てのグローリアだろうと特に気に留めずにいたら、窓越しに影ができた。

「やあ。こんにちは」

見たことのない男の子だった。
白いコットンのシャツに、サマーニットで編まれたシナモン色のベストを着ている。
艶やかな黒髪が、陽射しを受けてビロードのように光った。

「ふき味噌だね。いい香りだ」

男の子は、窓枠へ上半身をもたれさせて僕の指先へ視線を注ぐ。
目を細めている。これは、おいしそうなものを見つけた時のグローリアと同じ仕草だ。

「よかったら、食べるかい?」

僕が指を差し出せば、男の子は目を輝かせて、いいの?と聞いた。
もちろんとさらに指を前に差し出すと、男の子の桜みたいな唇が僕へ触れる。指先で感じる彼の舌はざらざらしていて、ますますグローリアみたいだと思った。

「Delicious!」

丁寧になめとって、彼は僕から離れた。頬を薄紅色に染めて、ごちそうさまと微笑む。
そして、グローリアがいつもするみたいに、鼻先を僕へすりよせてきた。

「君はグローリアに似ているね。もしかして、ふき味噌が食べたくて人間にでもなったの?」

あまりに似すぎているから、馬鹿なことと知りつつ聞いてみる。
すると、彼はいたずらっぽく笑って言うのだ。

「そうかもね」

まさか、と彼を凝視するけれど真相はわからない。
でも、考えれば考える程彼はグローリアに似ている気がする。

「なー」

足元から声がした。
見れば、グローリアが僕へと擦り寄っている。ふき味噌が食べたいからおくれとでも言っているようだ。
僕は慌てて庭へ目を向ける。でも、そこには男の子の姿はかけらもなかった。
キッチンに備え付けられた窓の木枠には、夏橙が乗っている。
まるで、ふき味噌のお礼だとでも言いたげに、柑橘のいい香りが僕の周りを漂っていた。





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