スノードロップ




冷たくなった暖炉の端で、ルリバチは目を覚ました。
いつから眠っていたのか。火は消え、灰も固まっている。熱の余韻は幾億も昔に消えたみたいだ。
ルリバチは毛布を寄せた。
家の中は静かだ。ルリバチの他には誰もいない。
外からは光も射し込まず、部屋の隅では冬の気配がうずくまっている。起きるのには少し早すぎたか。いつもなら、あたたかい春の陽射しで起きるのに。まあ、こういう冬もあるかと、ルリバチはもう一度目を閉じた。でも、どうやら目がさえてしまったようだ。眠れない。
少し早いけれど、外を見てみよう。ルリバチは毛布を丁寧に端へと寄せて、雨戸で閉ざされた窓を開ける。

なんだ、もう春になりかけているではないか。
あまりの寒さに気付かなかった。

雨戸の向こうは、豊かな森が広がっていた。
絹のように柔らかい日差しが空から注ぎ、木漏れ日を点々と映している。
穏やかな風はまだ冷たさを孕んでいるが、ルリバチの羽を凍りつかせるほどではない。
針葉樹が風に葉を揺らす。
若芽が吹いて、繰り返す生命を謳歌していた。
そして、春になりたてのこの森で、なによりルリバチの目を惹いたのは純白のドレスだった。
まだ木陰に残る小さな雪のかたまりが申し訳なさそうに身をちぢこませるほど、清らかな白い花だ。

「やあ、こんにちは」

ルリバチが声をかければ、どんな新芽よりも美しい若草色がにこりと揺れる。

「こんにちは。貴方が出てくるには、少し早いと思うのだけれど」

「ええ、そうなんです」

ルリバチは薄く透き通る瑠璃色の羽で、彼女の横へと降りてゆく。
控えめに蜜のかおりが香った。水のように涼やかな匂いだ。
これまで色々な花を見てきたが、こんなに控えめで繊細な香りをルリバチは嗅いだことがなかった。
きっと、雪に香りがあるのなら、こういう馨だろう。

「早くに目が覚めてしまったのですが、どうにも寝付けなくて」

「あら、なぜ?」

何故か。
考えてもみなかったと、ルリバチがうーんと唸った。
冬に起きてしまうことは何度かあったけれど、それでもまどろみはすぐに襲い、考える間もなく眠ってしまっていた。今までなら。
なのに、どうして今日に限って目がさえてしまったのか。
経験がないから、考えてみたところで無駄だった。

「わかりません」

「そうなの。でも、もう一度眠ったほうがいいわ」

「どうしてです?」

春の息吹はそこまで来ている。
彩り溢れる花たちの歌声も、もうすぐ聞こえるだろう。
せっかく少しだけ起きられたのだ。
ルリバチは、この季節をもう少し堪能していたかった。

「少しだけ陽射しが和らいできたけれど、まだ冬だからよ」

レースのように繊細な腕が、ルリバチの頭に触れた。
真っ白な腕は氷像のように整っているのに、その腕には血が通って、彼女が生きていることをルリバチに伝える。

「もう少し眠ったほうがいいわ」

透き通った瑠璃色の羽に、彼女がキスをする。
途端に、ルリバチの目蓋が重く下がった。

「ひとりは、いやだよ」

冬は――あの部屋は、独りぼっちだ。
だから、ルリバチは花や草がいっせいに溢れる春が好きだ。
そして、春より少し前のこの季節。
美しい白いドレスを着た少女がいる。
ルリバチが目覚める頃には、もう枯れている愛らしい花がある。

「大丈夫よ、春はもうすぐそこだから。すぐに、希望が見えるわ」

だから、大丈夫と彼女がもう一度繰り返すのを聞きながら眠りに落ちていくルリバチの体を、あの瑞々しい香りが包んだ。




クロッカス、薔薇、ジャスミン、芍薬、ハリエンジュ。
薫り高い花が咲いている。

ルリバチはその間を飛びながら、あの花を探す。
控えめな、雪のような匂いをもつあの優しい白い花を。

もう咲いているわけはないけれど、夢かもしれないと時々思うけれど、目覚めたあとに残っていた温度は本物だ。
大丈夫、とルリバチを包んでいた言葉の優しさは本物だ。

本物なのだ。




スノードロップ。花言葉は「希望」







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