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夜風が脇をすり抜けていく。身を震わせた。腕をさする。提灯の灯りが微かに灯るような道を自分のような者が通るのが場違いだということに、尚更居心地悪く身を縮めた。
御屋敷の塀の外の道とはいえ、屋敷の敷地には違いなくて、通るのは立派な着物を着た人間だけだ。今は皆が寝静まるような時間だから、幸い誰にもすれ違うことはないが、もしすれ違えば罵声を浴びせられるだろうことはわかりきっている。
”化け狐”と。
狐、狐と罵られるばかりで、エースという名をもって自分を呼ぶ人間などいない。それでも母が優しい響きで呼んだその名を捨てる気はなかった。その母はもういない。オレがガキだった時に、狐への思いに文字通り火炙りにされてしまった。そこまで狐を愛した気持ちなどオレにはちっとも理解できないが、愛というものは恐ろしいものなのだと幼心に思ったもんだ。
狐と言われるからといって、半分の血だからかなんなのか、少なくともオレの見た目は普通の人間である。だから化け狐の恐怖に慄く人よりも、単に体良く悪意を向ける相手が欲しい人間が大半だ。
いつだってついてまわる罵声。
……詰まるところ、オレは人間があまり好きではない。かといって原因である狐に自分を分類するのも虫唾が走る。だから、オレは中途半端な場所をふわふわとくらげみたいに漂うだけだ。人間でもなく、化け狐でもなく。
ふと人間の匂いを感じて、上を見上げた。
「は」
漏れた声は我ながら間が抜けていた。だけど、その反応は仕方がないだろう。人間がいた。オレなら跳躍すれば容易に飛び越えられるだろうが、人間にはそうはいかないのだろう。塀の上に苦心してよじ登ったのは、オレと同じ年頃の人間だった。
贅沢な提灯の灯りがその髪を黄金色に輝かせる。ふわふわした金髪にまるい瞳。白い肌はきっと外に出歩かないからだ。上等な着物を汚すのを気にはしないのか、塀の上に一休みとばかりに座った。宝石みたいな瞳と目が合う。綺麗なものなんてなんにもないような場所で暮らすオレとは、まるで違って、息をのんだ。そして自分がひと時でも見惚れたことに、動揺する。正常な思考を取り戻そうと首を振った。
どう考えても身分の高い人間だ。一体何を言われるかと身構える。頭が高い?……上等だ。そんなこと言われたら拳の一つや二つくらいくれてやる。どうせ、いつものことだ。へまをしなけりゃ、大丈夫。
睨みつけたオレと対照的に相手は笑った。未だかつて経験のない、敵意のない笑いに面食らう。
「何してるの?」
オレが戸惑ったまま黙っていれば、一度くすねたことがある菓子みたいに甘ったるい表情で、再度口を開いた。
「ねえねえ、何してるんだ?」
眉間の皺に怯みもしない。
「オレはサボ、貴方は?」
「……エース」
何かに無性に負けたような心地になり、顔を顰めた。
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