喚ぶ声 + 困惑 地深く漂っていた残照を、一滴の白い雫が揺らした。 それまで静寂を保ち続けてきた水面の均衡は乱され、一つの兆しを世界にもたらす。 暗闇の海で、声を聴いた。 孤独な星は瞬いていた。 僕はそれに手を伸ばした―― 水音が間近でとどろき、驚くような誰かの声が、一瞬聞こえた気がした。 ・ 薄暗い木の葉が茂った森に佇む二つの影があった。 少年は先ほどからピクリとも動かない目の前の少女を見つめていた。 自分をここへ連れてきたのは件の「計画」の話をするためだと聞いていたが、一向にそれを行う気配がない。この場所へ着いてからというものの、少女はじっと泉を見つめ、カラスが問いかけても無言を貫き通していた。 髪間から覗く陶器のような肌が不気味なほど白く――まるで人形か死人のようだった。 一瞬"過去の出来事"を思い出し不安が胸を過ぎったが、それを察知したかのように脳裏に響くような声が揺れた。 ――なぁカラス。 相棒の精霊、トモヤの声だ。しかしカラスは彼が何を言い出すかを察知し、応答を拒絶した。 「駄目だ」 ――おいっ オレまだなんも言ってねぇ! 聞けよ。 まったくこいつは。いつものマイペースな精霊に対しカラスは息をつく。 「どうせ『ミラへ帰ろう』とかだろ? お前の言いたいことは分かってるよ」 ――なら今のうちに行こうぜ。久々の屋外なのに、こーんな薄気味悪いところで立ちぼおけなんて。オレヤだし! いつもの調子のいい啖呵の中に微妙な焦りがある。トモヤは当初から「計画」を拒み続けていた。つまり無理にでも俺を計画から引き離したい。そういうことなんだろう。 こいつとは長い付き合いをしているだけあって、何を意図してそんなことを言うのか手をとるようにわかった。 だがそんなふざけたことはもう言ってられない。湧き上がる憎しみが仇を殺れと促している。カラスは相棒の言葉をすっぱりと切った。 「残念だが、お前の意思は聞いてやれない。ジャコモを倒すにはミローディアの計画に協力するしか方法がないんだ。それに、ここまできたら、もう後には引けない」 精霊が押し黙る。とたんにかすかに良心が痛み出す。自分の仇討ちになんの関係も無いこいつを巻き込んでしまっている。カラスはそれを胸の内に押し込んだ。どのみちトモヤがこの計画に乗り気であろうがなかろうが、元々押し通す気でいた。それに関してはもうミローディアと話をつけてある。あとは実行に移すだけだ。 ――……こんのっ……バカラスがーーーーーーーーっ!!! 「うわっ!」 精霊がいきなり怒号を吐き出した。 ――駄目ったら駄目だ! 帰るぞ! はい、ミラへ強制連行! さよならミローディア! ここからワープすんぞ。 「そんなことできるのかよお前」 ――いやこれは希望であってぇ。 「はぁ?」 * ミローディアはいつも肝心なことは教えてはくれない。騙されているのか? そう思うときもあったが、計画を語る彼女の目は神意を悟るような嘘の無い眼差しであったし、遊びなどではないことを示していた。 「しばらくはあのままで大丈夫よ。あの人は特別だから」 彼女は意味深なことをいい、まるで邪や屈託も無いような笑みを浮かべた。 「次にこの森へ向かうとき、精霊にこういえばいいわ。『倒れていた人を助けようとしたところに不意を突かれて、ロックキャットに襲われてしまった』って。そうすれば、あの場所へもう一度怪しまれずに行けるでしょう?」 「ああ……」 「あなたは泉で眠っている子を起こしてあげて。鍵に反応し封印は解けて、邪魔者を退けたなら。……いいわね?」 「わかった。……それじゃあ、トモヤ――」 その時、木陰でひっそりと佇む一人の少女が、会話に耳を傾けていたことを彼らはまだ知らない。 +++++++++++++++++++ 「村長はなんと?」 「二度とこの村に来るな、だってさ。こってり絞られたよ。」 「仕方あるまいな」 「悪いと思ってる。でも元々その人を助け出すためで、なにかの封印を解いてしまったのは事故のようなものだし。 ……ところで先生、森で倒れていたあの人の具合なんだが……」 「ああ、彼かい。どこにも異常は見当たらなかったよ。いたって健康体だ」 「そうか…。なら、いいんだ」 「?」 「いや、少し話を聞きたかっただけなんだ。眠ってるならいいよ。じゃあ先生、俺は先を急がせてもらうよ。色々とありがとう」 「ああ。達者でな。」 ――それにしても珍しいこともあるもんだな。 「なにがだ?」 ――カラスが人助けだなんてさ。さては雨か雪が、挙句に台風でも来るんじゃないか? 「悪いかよ? それになんだよその言い草。だいたい、あんな場所に人を置き去りにして自分だけ助かるって、なんだか後味悪いだろ。だからだよ」 ――ふ〜ん。じゃあジャコモに捕まえられたシェラも助け出すんだよな? 後味悪いもんな? 「ん、んなことはどうでもいいって。お前今日はいつにも増して嫌味だな。さっさとフェルカドに向かうぞ。そうこうしてるうちに日が暮れちまう。今度こそジャコモの息の根を止めてやる……じいちゃんとフィーのカタキ……」 どうでもいい、と言ってる割に、けっこうシェラのことを気にかけていたじゃないか、というのは胸の奥にしまっておくことにしたトモヤだった。 |