いろは唄 | ナノ


忍術学園には、首実検の授業がある。
首実検とは如何なるものかという少々血生臭い話は今は置いておくとしても、昔は上級生になってから行っていたらしいそれを今では一年生から習うというのだから、時代の流れとはいえ大変だなぁと九子は他人事のようにぼんやり考えた。
首実検の練習に使われるのは生首を模したフィギュアであり、通称生首フィギュアだ。元々は用具委員会の管轄下だったそれだが、合戦の作法を学ぶのに都合がいいからと今は作法委員会が管理をしている。


普段は忍たま長屋の方に保管されているのだが、そのフィギュアは首実検だけでなくくの一教室の化粧の練習台として使用されることもあって。
練習用ということもあり自分の顔よりも幾分大きなものを三つ。風呂敷に包まれたそれらを抱え九子は忍たまの敷地に足を運んでいた。
本来は学園の許可なく行き来することが禁じられている忍たまくのたま双方の敷地だが、彼女にかかれば慣れたものである。
丁度くの一教室の方の作法委員会を纏めていた時に返却物として転がり込んできたのだ。仕事のきりも良かった為に委員会は解散して未だ日の高い空の下を一人歩くのはいいが、如何せん妙に嵩張って持ちにくいことこの上ない。


「あ、九子せんぱーい!!」


障子の開け放たれた作法室を目前に腕の中のものを抱え直す。と同時に、耳に入る己の名を呼ぶ声。
声変わりを迎える前の少年特有の高さは九子にとって馴染みのもので、嬉しそうに  会えるとは思っていなかったのだろう、今日は合同委員会の日ではなかったから  駆け寄ってくる後輩の姿に九子の雰囲気もふわりと和らいだ。
一年は組、笹山兵太夫。姿を見かければ先輩先輩と仔鴨のように寄ってくる可愛らしい一年生の中でも、特に懐いてくれている存在だ。同学年と比べるとどちらかと言えば大人びた方である彼が無邪気に慕ってくれるのは素直に嬉しい。
こんにちは、と挨拶しながら荷物を請け負ってくれようとする兵太夫に甘えて一つフィギュアを預けながら、肩を並べて作法室へと足を向ける。


「フィギュアですか?」
「そう。くの一教室が借りてたから」
「へぇ。ところで先輩、この後お時間ありますか?」


張りぼての世間話はものの数秒で崩れ去る。最初からそれが訊きたかったのだろう、うずうずとした目で見つめられては下手に断れる筈もなく。
幸い日が沈むまでは何の用事も入っていなかった為、どうしたのかと返せば一緒にカラクリを作りましょうとこれ以上なく笑顔を輝かせる兵太夫は一年生ながら大のカラクリ好きとして有名で。
同室の三治郎と共に忍者としての勘を磨く為だと自室に多種多様なカラクリを仕掛けている彼は、元々そういった罠だとか仕掛けのような仕組みを考えるのが得意な九子にとっても可愛い後輩だ。新しい図面を引けばわくわくと覗きこんでくる姿はなんとも微笑ましいし、知恵を求め素直に吸収していく姿勢が好ましい。
作法室の主である仙蔵に頭を下げ入室しながら、九子はフィギュアを片付け嬉しそうに手を引いてくる兵太夫の頭をそっと撫でた。その行為に対して照れ臭そうにしながらも邪険に扱えない感じもまた可愛くて仕方がない。


「仙蔵先輩、お邪魔していいですか」
「構わんさ。追い出す理由もあるまい」
「九子先輩!ど、どうぞ。」
「ありがとう藤内」


差し出された座布団に腰を落ち着け、ぐるりと室内を見渡す。
隅の方で、恐らくは課題を解いているのだろうか、こちらを窺う伝七と目が合ったが、隣に座る兵太夫が勝ち誇った笑みを浮かべるとぐっと唇を噛み締めた後そっぽを向いてしまった。
この二人は揃って九子に甘えてくるということは無い。伝七も兵太夫がいなければ寄ってきてくれるのだが、相変わらず互いに意地っ張りなのは健在らしい。そういった年頃だと言ってしまえばそれまでだが。
喜八郎がいないのは最早疑問に思うことが今更だ。そのうちひょっこりと帰ってきては泥だらけのまま背中に圧し掛かってくるだろう。


「先輩先輩っ、この間新しいやつ考えてるって仰ってたじゃないですか。」
「あぁ、うん。見る?」
「はいっ!!」


くい、と裾を引く兵太夫に視線を戻せば、この間の合同委員会で零した話題を出されて懐に仕舞っておいた紙を取り出す。
作法室に向かう際にわざわざ部屋から持ってきておく辺り、やはり自分は後輩に甘いのかもしれない。いや、かもだなんて猶予はきっと存在しないのだろう。
机上に広げた図面を覗きこむ兵太夫の顔は例の如くきらきらと輝いていて、月並みな言葉で例えるなら新しい玩具を与えられた子供のようといったところか。
三郎に脳内精密機械と言わせる九子が考えるそれは一見何の変哲もないものだけれども、見る人が見ればすぐに分かる、下級生に扱わせるには少しばかり難解で複雑なもの。それが分かる兵太夫はやはり優秀な子だ。後ろからほぅ、と覗きこんでくる仙蔵は置いておくとして。


ただ、そう。一つだけ欠点を挙げるとするならば。


「先輩、僕ぜひ現物が見たいです!」
「…」


九子は言ってしまえばカラクリでも何でも考えれば満足してしまう性格で、わざわざ実行に移すだけのやる気と労力を持ち合わせてはいなかった。
だが彼女の考える設計図を実際に作り上げるには下級生には技術と経験が足りず、正確に作れないばかりか思わぬ怪我にも繋がりかねない。
そんな理由があるから直接頼み込んでくる可愛い後輩の願いは断り切れず、だからといって九子に実行力があるわけでもなく、故に普段ならこういった物づくりが得意な千茅に頼んでいる。委員でもないのに最早千茅は作法委員会でお馴染みだ。
でも、今日は。九子はぼんやりと明後日の方向を見つめる。


「そういえば千茅は忍務だったか?」
「はい、明朝まで。…八に頼んでみる」
「竹谷先輩ですか?じゃぁ三治郎も呼ぼうっと!」


ばっさりと現実を突き付けてくれる仙蔵の言う通り、明日の朝まで九子の相棒である千茅は学園を留守にしているのだ。
よって彼女には頼めない。しかし兵太夫の頼みを切り捨てるだなんてことは出来る筈もない。けれどもここで自分が作るという選択肢が浮かばないのが九子であって。
忍術学園で一、二を争う回転数を誇る彼女の脳がすぐさま代わりに弾き出したのは、同級生の中でも九子と親しく、また生物委員会の委員長代理を務める八左ヱ門の名前だった。彼ならば生物小屋を建てたりと大工仕事も得意だし、体力派で、何より後輩の面倒見がいい。
そんな八左ヱ門の名前を出せば、兵太夫も同じく生物委員である三治郎も誘えると顔を綻ばせていて。


「立花先輩!いいですか?」
「あぁ、行って来い。九子、完成したら私も呼べ。文次郎で試す」


楽しそうな顔をした仙蔵に見送られ、喜々として立ち上がる兵太夫に再び手を引かれる。
あぁ、やっぱり自分は後輩に甘い。早く行きましょうと引っ張る姿にゆるりと小さく頬を緩めながら、今日も平和だなぁとまだまだ蒼い空を見上げた。




20120709