いろは唄 | ナノ


くの一教室の委員会を取り仕切っている千茅と九子は、基本的に合同委員会の時以外は忍たまの方に顔を出す理由は無い。
無い、のだが。例えば何かを頼まれてだったり、後輩の顔を見る為だったりと、結構な頻度でふらふら現れていたりもする。
最早慣れきってしまった忍たまくのたま双方の敷地の行き来許可を取った九子は、ひょこりと生物委員会の主な活動場所である飼育小屋を訪れていた。
元々六年生の委員長がいない生物委員会は、下級生の数が多いことも相まって中々に忙しい委員会でもある。故にたまにこうして手伝いに来ることがあるのが半分、そしてそれとは別に気になることがあるのが半分。
今日は委員会の召集はないと八左ヱ門が言っていたし、この時間忍たまの五年生は未だ野外実習から帰っていない。そもそも下級生も組によっては授業が終わっていないかもしれないような、そんな微妙な時間帯。
よって飼育小屋には誰もいないだろうと思っていた九子は、しかしかくりと首を傾げて足を踏み入れた。


「孫次郎?」
「九子先輩…!」


無人な筈の空間で感じた気配。
入口に背を向けるようにしてしゃがみこんでいる背中に、なるべく怯えさせないよう意識して足音を出しながら近付いた九子は後輩であるその人物の名を呼んだ。
やはり後ろからいきなり声をかけられて驚いたのだろう、ぴゃっと肩を跳ねさせた孫次郎は恐る恐るといった風に振り向き、そして九子の姿を確認するとずるずる身体の力が抜けていく。
生物委員会の一年生、初島孫次郎だ。


結局驚かせてしまったことに申し訳なさを覚えながらも、しかし彼の傍らにしゃがみ込むと九子はその幼い顔に手を伸ばしてそっと眦を拭った。
涙を浮かべているのは、驚いただけが理由ではないのだろう。そしてそれはきっと、九子がここを訪れた理由の一つに関係がある。


「…先輩」
「うん」
「…」


膝を抱えて俯く孫次郎、その腕の中をよく見ると小さな小さな生命が静かに横たわっていた。
否、語弊がある。何故ならその身体は既に息を失っていたから。
ぽろり、ぽろりと大粒の滴を零しながら肩を震わせる孫次郎の頭を、静かに九子の手が撫でていく。


親兄弟と逸れたか、はたまた別の理由か。昨日見つけたこの仔猫はその時既に虫の息だった。
そっと抱き上げても無抵抗な四肢。八左ヱ門と孫兵は間に合わないとその時点で気付いていたが、それでもと言う一年生たちと共に飼育小屋へと連れ帰り看病をしたのだそうだ。
そうだ、と言うのも、実際九子はその場に居なかった為、離れようとしない後輩たちを部屋まで送り届けるのが大変だったと八左ヱ門が苦笑していたのを聞いただけなのだが。
恐らく今日までは持たないだろうと言う彼もまた、小さな仔猫のことを気にしていた。必死に看病していた後輩たちのことも。


「朝は、まだ、温かかったんです…」
「うん」
「でも、授業終わって、急いで来たんですけど…っ」
「…そっか」


ひくっと喉を詰まらせると黙り込んでしまった背中を、ゆっくりと何度も撫でてやる。
優しい子だ。小さな命を思いやることの出来る、命の尊さを知っている。とても優しい心を持った子。
孫次郎だけではない、他の一年生たちも、そして孫兵も。きっと今日一日ずっと落ち着かなくて、気になって、すぐさま駆けつけてくることだろう。
既に冷たくなってしまった仔猫の生前の姿を九子は知らないけれど、それでも。


「孫次郎」
「っ…?」
「私だったら、こんなに想ってくれて嬉しいよ。多分、この子も。」


ぽろぽろと流れる涙はどこまでも綺麗で。
声にならない声で先輩、と呟いた孫次郎は、先程までとは比較にならない程ぼろぼろと泣き始めた。
そうかな、そうだといいな。少しでも助けになれたかな。
ぎゅっと仔猫を抱きしめる。もう温かさは無いけれど、それでも伝わるだろうか。
寂しくは、心細くはないだろうか。


「…先輩。僕、お墓作りたいです。お花もたくさん飾って」


暫くの間しゃくり上げ、だんだんと落ち着いていった孫次郎はぽつりとそう呟いた。
浮かべられたぎこちない笑顔に、九子もそうだねと頬を撫でてやる。恐らくもう少しも待てば他の顔ぶれも揃ってくるだろう。
孫次郎の腕の中の身体はもう動かなく、冷たいけれど。そっと触れてみる、温かい、とても。
彼の目から零れた涙が、まるで仔猫が泣いたかのようにその頬を滑って地面へと落ちていった。




20130320