いろは唄 | ナノ


町が、活気付いている。


そのことに気が付いたのは、忍務帰りに余裕のできた九子が珍しくもたまたま小物屋に立ち寄った時だった。
普段の彼女ならば、情報収集にもなるからとたまに町中をふらりと歩くことはあっても、わざわざどこか店に入ったりなどはしない。思い付いたように後輩へ甘味を買っていくことはあるが。
ただ、不意に視界の端を掠めた山吹色。
それに並んで自然と脳内に浮かび上がった同室の、最早級友という言葉では足りない片割れの姿に、珍しくも彼女の足はその小物屋へと向かったのだ。


道端に面する台の上、色とりどりの髪紐が並ぶ中ちょこんと居座る山吹は、日に当たると柔らかでいて、影の下では少し深みが増して夕暮れのようにも思える。
朱や藍、緑。どの色も千茅には似合うけれど、なんとなく手に取ったそれはどこかとてもしっくりくるような気がした。具体的な理由はないけれど。
つい一昨日、彼女は橙の髪紐が切れてしまったと言っていた。同じ色ではないものの系統的にも丁度いいかもしれない。


そのまま購入しようとしたところで、奥から擦れ違うように出てきた、恐らくは商人であろう二人組に九子は先の違和感を覚えたのだ。
笠を深く被ったそれらにはちらりとも視線を寄越さないまま髪紐を包んでもらい、店を後にするとその二人組とは逆方向へと足を進める。
ふらり、ふらり。ぼうっと店を眺めながら町の大通りを抜けて橋を越えて。


(これは…面倒くさいなぁ)


例えば例年よりも豊作だったり、その土地独自の祭が近かったり。
そういった理由で人々が賑わう。それは結構なことだ、その時々で各々楽しみがあるならそれに越したことはない。いつ何があるか分からないご時世だから。
だが飲食店の入りは普段と変わらず、町民たちの様子に変化はない、ただ人通りは少しだけ多く、そして本当に少しばかり普段より賑わっている店がぽつり、ぽつり。
行き交う人々の中に混ざるのは、商人たち。
町民たちの井戸端会議、小さく交わされる商人たちの会話、それらを拾い上げては取捨選択し頭の中で組み合わせる。


町に商人が妙に増えるというのは、あまり穏やかでない事も多い。


ここを治めている城を思い浮かべる。忍術学園とは良い意味でも悪い意味でも関わりがあまりなく、決して良い噂は聞かない城。町が一般的に見てそこそこ栄えているところを見ると悪いとも言えないのだろうが。
ただでさえ今はオーマガトキとタソガレドキが睨み合っているというのに。
報告が増えたなと心中で溜息を零しながら、九子は学園への帰路を急いだ。


***


障子に手をかけ、カラリと開く。
中にいた二つの小さな背中が予想外の来客に少しばかり驚いた様子で振り返り、そしてその姿を目にすると更に予想外の人物が立っていたことに思わず声をあげた。
それもそうだろう、そこにいたのは、


「「九子先輩!!」」


くのたまの上級生であるにも関わらず、自分達にとってとても身近に感じられる存在。
だが実際には級友たちからよく話は聞くものの、直接関わることは忍たま一年生であることを考えれば多いとしても、他の友人たちに比べればはるかに少ない人。
委員会の先輩である三郎も勘右衛門も急な用事とやらで留守となった故に委員会活動の時間を二人で宿題に費やしていた庄左ヱ門と彦四郎は、九子の姿を目にしてぱっと表情を明るくするとすぐさま座布団を用意して駆け寄った。


「どうなさったんですか?上級生の先輩方は急な用事で揃って学園を留守にすると聞きましたが」
「うん、少し余裕できたから」


ぽん、と一つずつ乗せられる掌に庄左ヱ門と彦四郎は顔を見合わせると揃って照れ臭そうに頬を緩める。
くの一教室の最上級生  といっても五年生だが  の二人は互いの委員会の仕事をフォローする為だったり、はたまた確認事項を伝えに来たり、そうでなくとも後輩の顔が見たくなったという理由ですらもひょこりと姿を現すことが多々あり、それが忍たまの一年生の間で有名になっている理由の一つでもある。
だが如何せん学級委員長委員会には、天才と名高い変装名人の鉢屋三郎がいる。自他共に認める九子の天敵だ。
それだけで彼女がこの委員会に近寄らない理由としては十分過ぎた。例え千茅が、そして可愛くて仕方のない後輩がいるとしても。


故に他の一年生と比べて明らかに九子との接点が少ない二人としては、突然のこの訪問は驚くものであり、同時にとても嬉しいものだった。
決して誤解してほしくないところは九子は庄左ヱ門と彦四郎に対して他の一年生と比べ劣る感情を抱いてはいないことなのだが、それでもやはり会うことが稀なのは確かで。
てきぱきと庄左エ門が茶と甘味を用意し、彦四郎は課題の広がっていた机上を片付ける。


「宿題?やっぱり二人は偉いね」
「いえ、学級委員長として当然です」
「そっか。分からなかったら訊いていいよ、千茅も勘右衛門も頼られたら嬉しいと思う」


私も、と続けられる言葉がやはりくすぐったい。


とても自然に除かれた一つの名前は気にしないことにして、そう言えば、と庄左エ門が口を開いた。
今ここに九子が訪れたのは、絶対に三郎がこの場に来ないという確信があるからだ。学園内に三郎がいる限り九子はこの部屋には足を運ばない。
そして三郎が、というよりも勘右衛門も含め、上級生が揃って学園を留守にしている。お土産買ってくるからねと朗らかに出掛けて行ったが、学園内のどこかに少しだけ流れた緊迫した空気に気付いた者も僅かばかりいて、そして庄左ヱ門もその一人で。
千茅も含めこの委員会の先輩は、普段はおちゃらけてみたりお気軽だったりもするのに、いざという時は必ず柳のように躱されてしまうのだが。


「先輩方ほどにもなられると、その…危険なことも、なさるのでしょうか」
「庄左ヱ門?」


真っ直ぐに見上げてくる庄左ヱ門と、不思議そうな顔で庄左ヱ門と九子を交互に見つめる彦四郎。
水色の忍服は、この学園で一番幼いことを示している。
幼くて、優しくて、純粋で。温かい手を持っている子たち。
まだ何も知らなくていい子たち。


二人の頭をそっと撫でる。


「ここは学校で、私たちは卵でしょう。」
「…よく分からないです」
「二人は賢いからね、難しく考えすぎなくていいんだよ。心配することもない」


ゆるり、ゆるり。
ゆっくりと動く温度に純粋に頬を染める彦四郎の隣で庄左エ門は僅かに眉を下げた。


「先輩方は似ておられますね」
「私と千茅?」
「千茅さんもですが、…尾浜先輩も」
「私と比べるのは勿体ないよ」


ふ、と九子の纏う空気が柔らかくなる。
咄嗟に飲み込んだ言葉には恐らく気付いているのだろう、それでも変わらない穏やかさに諦めたように庄左ヱ門も笑った。
庄左エ門?と首を傾げる彦四郎に、なんでもないのだと緩く首を振る。


(…これは、確かに千茅も居つくわけだ)


千茅がこの委員会で随分と気を緩めているのは勘右衛門と、心底認めたくはないが三郎がいるからだろうと思っていたのだが、どうやらそれだけではなかったらしい。
周りを気遣うことができる、賢く、優しい子たち。しっかりしたいい後輩だ。


九子とて、もっとこの二人と触れ合いたいとは思っているのだが。
ゆったりとした時間が流れている部屋の中、遠くに三郎の気配を感じるまで九子は二人と共にのんびり湯呑を傾けた。




20121228