いろは唄 | ナノ


現状は頗る芳しくない。けれどあまり危機感は無かった。
常にあらゆる可能性を想定して動くべき忍びとしては楽観的な思考は褒められたものではない、そう分かっていても、やはり何処かで彼にはこの状況を切り抜けられるという確信に似た自信がある。

背中越しの彼女の存在、それだけで恐らく自分の予想は間違っていないと思えるのだから不思議なものだ。
姿は見えずともぐるりと囲む様に点在する敵の気配の中、警戒は緩めず背中を合わせたままで彼女は小さく呼吸を変え彼に呼びかけた。

「兵助」
「敵はそう手練れでもなさそうだな。ただ少し人数が多い、適当に隙をついて逃げてもいいが…」
「この先を考えると追われるのは避けたいね。全員脚を封じるか、少なくとも撒いておく必要がある」
「随分な無茶だな…可能か?」

そう口で問いながら、彼女から答えが返るより早くその問いは自らに打ち捨てる。
可能かどうかではない、忍務である以上為さなくてはならないのだから。そしてそれ以上に、彼女の放つ空気が言っていた。無論だ、と。

襲いかかる機会を窺っているのだろう敵の動きを探りながらも、彼らは淡々と話を続ける。

「巽の方角の木陰にいる奴の動きには常に注意しておいて。恐らく一番強い…といってもどうにかなる程度だとは思うけど」
「他は」
「まぁそれなりだけど、兵助なら問題ないよ」
「…プロ相手に断言したな」
「そりゃあ信頼してますから、背中を任せるくらいには」

そう言い終える瞬間ほんの僅かに零れた彼女の笑みを聞きながら、彼も僅かに口元を歪ませる。

何とも凄まじい殺し文句ではないか。これまで何度か彼女とこういう状況に直面したことがあるが、まさかそこまで思われているとは。
湧き上がる嬉しさと笑みを抑えて表情を引き締め、遂に飛んできた手裏剣を打ち落とし姿を現した敵たちを見据えながら。

「…任されたからには、期待に応えるのが筋だな」

さて、こんな忍務さっさと終わらせてしまって。後ろの彼女と他の仲間たちで集まって、ゆっくり茶でも啜ろうではないか。

そのためにはまず、


奴さん方には申し訳ないが、さっさと地に伏せてもらうことにしよう。



信頼を裏切れない
(何しろ折角得た信頼だ、むざむざ手放す馬鹿はいないだろ?)



20121030