いろは唄 | ナノ


キンッ
甲高い音が響き渡る。ただでさえ少ない月からの光はほとんど役目を果たしていない屋根に遮られ、また先程まで光源として機能していたのであろう蝋燭はとっくに吹き飛んでいた。
薄暗い視界の中飛んでくる四方手裏剣と、それらを苦無で弾き返せば僅かに濃くなる鉄の香り。己の飛び道具を消費しない為にと返しているそれはどうやら効果的に相手の体力を削っているらしい。
やはり、向こうの実力はここまでだ。この男が猫を被っている可能性も、倒れている二人が狸寝入りな可能性も消え去った。元々極端に僅かなものではあったが。
この分なら後輩たちも問題ないだろう。冷めている思考が頃合いを見図る。


打っても返される手裏剣に嫌気が指したのか、伏している仲間の剣を抜き取り斬りかかってくる筋をお粗末だなぁと見つめながら脇をすり抜けて。
一気に背後へと回った千茅は、ダンッ、相手の背を蹴り倒し腕を捻り上げた。


「っが、は…!」


(試合終了、かな)


関節を数ヶ所押さえ込んでしまえばいくら男と女とて負けはしない。町娘ならともかくとして、こちらはくの一なのだから。
逃れようともがく姿に視線を細く送りながら、詰まった声で本当に何者だと問うてくる声に千茅は心中で息をつくと相手の首に手刀打ちをいれようとしたが、その気配を察したのか慌てた様子で待てと叫んでくるので手を止める。
喧しい弁解なぞ聞く耳は持たないが、向こう側の情報なら聞いてやらないこともない。人というものは得てして不利な状況に陥ったときに保身に走り口が軽くなるもの故に、そう判断し代わりに捻り上げている腕の力を少しばかり強くした。
ぐ、とくぐもった悲鳴など勿論無視だ。


「お前、こんなところで、油売ってていいのか」
「…」
「俺たちの仲間が、これだけだと思ったら、大間違いだぜ」


相変わらず薄暗いお堂の中、男の荒い息遣いだけが響く。
一言も発さない千茅に何を思ったのか、男は少しばかり声の調子を上げて続けた。


「お前の、仲間、今頃どうなってるかな」
「…」
「六人もの子守しながらじゃ、到底、っ!?」


トン
千茅の手が男の首を叩き、一気に全身を弛緩させ相手はダラリと倒れ込む。
少しは役に立つ情報でも喋るかと思えば。ふぅ、今度は溜息を音として吐きだした千茅は、身体を伸ばすと懐から縄を取り出し床に倒れ伏している男たちをぞんざいに纏めると適当に縛り上げた。
後は学園からの応援者に身柄を引き渡せば己の忍務は終了だ。さすがに大の男を四人も運びたくはない。
ちらりと視線をずらせば床に散らばる、長さもまちまちな数本の縄が目に入る。後輩たちを縛っていた、ここに突入した際に九子が苦無で切ったものだ。


(九子、大丈夫かな)


昨年からの、いや、きっとそれよりも前からの相棒の姿が頭に過ぎる。
後輩六人を連れて出て行った彼女。まだ山は抜けていないだろう。
屋根に開いた穴から覗く細い三日月を眺めた千茅は、心配しているというには少しばかり似合わない苦笑を小さく零した。


***


月を背にこちらを見下ろす影は二つ。お堂の中には無かった気配。
ニヤリと細められる目がなんとも不快だ。しがみ付いてくる後輩たちを後ろに庇いつつ、九子は口の中で小さく舌打ちした。
どこまでも気に入らない相手である。どれ程この子たちを怖がらせれば気が済むのだろうか。



「油断したな。お前一人で俺たちを相手にできるか?」
「せ、先輩…!」
「…」


折角やっと和らいできていた表情が、また恐怖で泣きそうに歪む。
一度緩んだ糸をまた張り直すのは難しいのだろう、カタカタと小さく震える手。


「そいつらのお守をしながらじゃ私たちには勝てまい」


その言葉にぎゅっとしがみ付く力が強くなる。
決めた。どうせ確かに相手の言う通り後輩たちを連れた状態では適当に撒くことも出来はしない、こいつらはとことん叩きのめす。
何より、何度も何度もこう純粋な後輩の心に傷を作るような真似をしてくれたのだ。こちらもそれなりにお礼をしなければ失礼ではないか。
無言のままに九子が苦無を二本投げれば、一瞬で木の上から消える影。


「九子先輩…」
「大丈夫。伏せてて」


そのまま二手に分かれた相手から手裏剣が飛ぶ。挟み撃ちのように降りかかってくるそれらにしゃがみ込む二年生たちの頭を軽く撫で、新しく出した苦無で全て弾き返す。
後方から迫ってくる蹴りを躱して足払いを仕掛ける。ついでに撒菱を一つ着地地点へ飛ばせば相手は九子から大きく距離をとった。
が、同時に前方から一つの影。彼女を狙うのではなくその手前の藤内へと突き出される忍者刀に、後輩が狙われるという状況は非常に腹立たしいものの忍としては当然の行動だな、と冷静に回転を続ける頭の隅で考えつつ九子は左腕で藤内を抱きとめると同時にそれを右手の手甲で受け止める。


「先輩っ!!」


そこまでの大きな動きをすれば、隙も大きくなるものだ。
九子の背中に振り下ろされる苦無を見た藤内が焦ったように叫ぶが、九子はただ安心させるように藤内の背を撫でる。


彼女の顔が僅かに顰められると同時に。
鈍い音が、辺りに響いた。




20120705