いろは唄 | ナノ


「ジュンコ、って…確か孫兵君の?」
「そう」


ぱちぱちと瞬きながら呟く千茅の言葉に九子は小さく頷く。
赤く毒々しい身体。慣れたように九子の腕を伝って首に落ち着いたその生命体は、二年生の生物委員である伊賀崎孫兵のペットとしてお馴染みだ。
どうしてここに、と言うのは野暮というものだろう。指の腹でそっと頭を撫でれば気持ち良さそうに目を細める姿は、普段飼い主である孫兵に同じようにされて喜ぶそれと似ているけれど。
それでも何かを訴えるようにじっと見つめてくるその目を見れば、今ここにいるのは偶然でも何でもなく、何の為かは一目瞭然で。
先程は疎かと言ったものの、未だ二年生にしては随分と優秀だ。この先に居るのであろう後輩を褒めるかのようにもう一度赤い頭を撫でる。
その頭が示す方向へと目を向け、片割れと小さく頷きあい。


力強く地面を蹴ったその後には、ただ月明かりと舞い散る木の葉、そして梟の鳴き声だけが残った。


***


「あそこだね」


毒蛇が促すままに木々の間を擦り抜け、程なくして目に入ったのは古いお堂とでも表現すべきだろうか、手入れもされず好き放題伸びている植物たちに埋もれてぽつんと取り残された建物。
塀も何も存在しない、本当にそれだけが残っているだけのもの。
戸は今に外れてしまっても不思議ではない、寧ろ未だ戸としての役割を通常の半分以下であっても果たしていることが奇跡なくらいに傾き、屋根に至っては辛うじてそう呼んでも差し支え無さそうなくらいにしか元々の部分が残っていない。雨でも降ろうものならまだそこら辺の木の下にでも逃げ込んだ方がマシというものだ。
ある意味では自然と同化している、灯りさえ漏れていなければ人が居ることは愚かその存在さえ気付かれないような、そんなお堂。
それを前に千茅と九子は茂みに身を伏せ視線を交わす。


お堂の中の気配は十。
そのうち敵は四。この人数で忍術学園に喧嘩を売る阿呆など居る筈も無い、ただの無知故に手を出したのだろうか。どちらにしても救い難い。
中でも三つからは馬鹿らしい程の張りぼての殺気が垂れ流されていて、一瞬で大した輩ではないことが分かる。大方そこいらの野党の集いといったところ。
それと一つ、一般人ではないもの。恐らくは奴らの頭。
気配の消し方は忍特有のもので、成る程これを筆頭に置くことでこの野党たちは勢い付いているらしい。普通の一般人と忍では勝負になどなりはしないから、戦略として正解と言えば正解だ。
このご時世、生きる為にどのような道を誰が選ぼうともその人の自由だし、それに対して口出しをする権利もする気も無い。
だが。


「九子」
「うん」


一つ、この忍が忍術学園を敵に回すということがどういうことかを知らなかったこと。
一つ、自分たちに気付かれる程度の実力であったこと。
一つ、可愛い後輩たちに手を出したこと。
こいつらは、間違えた。


実力が無かろうが張りぼての殺気だろうが関係ない、後輩を怖がらせているのだから。
安全な筈の実習の地で、まだ知らなくていい恐怖を植え付けたのだから。
向こうに事情があると言うのならこちらにも事情があるのだ。泣きそうになりながら、それでも必死に耐えていたあの子たちが学園で待っている。


千茅の呼吸が若干乱れる。いや、不規則になると言うべきか。
それに数瞬遅れて追うように九子の呼吸も変わり高く低く飛び交う、だがすぐさま普段通りのものになると視線はそのままに小さく頷きあって。


「「散」」


さて、早く皆で学園へ帰るとしようか。




20120517/20120625