いろは唄 | ナノ


木々の間を縫って跳ぶ、木の葉が舞い落ちる時には既に気配はどこにも無かった。
細い細い月が照らしだすその光は、自分の姿を浮き彫りにしてしまう程強くもなく、また視界に支障をきたす程弱くもない。まぁ忍に限っての話ではあるが。
つまるところ、非常に都合の良い月明かりだ。自分たちにとっても…相手にとっても。


担任の帰還待機、組毎の演習場所。情報が脳内を駆け巡る。
他の一年や二年はどうしているだろうか。未だ事態に気付いていないか、もしくは先生のもとへと逃げている最中か。ぜひとも後者で願いたいところだ。
残りの生徒を迅速に保護するよう学園長に頼んでおいたから、大丈夫だとは思うが。むやみに事が大きくなるのは避けたい。
泣きそうに歪んだ後輩たちの顔が浮かぶ。彼らはまだ何も知らなくていいのに。


そもそも、ある程度安全が確認できているからこそ下級生の演習に使われているこの地域に、突如賊が現れるとは。しかも意図的か偶然かは知らないが忍術学園に喧嘩を売る始末。
余程腕に自信があるのか、それともただの馬鹿か。
いや、例え腕に自信があっても馬鹿は馬鹿だ。


学園の平和を脅かしたこと、自分たちの後輩に手を出したこと。
後悔すればいい。


「…千茅」
「うん」


音も無く地面に降り立つ。
一面薄暗い山深く、落ち葉が降り積もったそこは虫の声さえ聞こえない。
ホゥ、梟の鳴き声だけが闇夜に響いては消えていく。木々の間から届く月明かりが斑に地面を照らす。
すっと空を見上げた二人は、ちらりと辺りを見回すとどちらからともなく視線を合わせた。


「途絶えてる」
「向こうにも頭の回る奴がいるってことかな。ちょっと待って」


学園を出てから今まで二人は示しあわせずとも迷いなく進んできたが、それは勿論ただ闇雲にではなく、実習に使われた地から根拠となる足掛かり、所詮は人の通った痕跡というものを追ってきていた。が、それがここでぷっつりと途絶えている。
続いていたものが急に途絶えるということは、考えられるのは二つ。今までのが罠だという場合と、何らかの理由で急にここから慎重になった場合。粗方合流した何者かが指示でもしたのだろう。
前者ならば大層面倒くさいことになるが、しかし千茅と九子に限って罠を見抜けない筈はない。しかも二人とも揃っているのだから嵌まる確率はほぼゼロだ。
つまり、後者。この先に後輩たちはいる。


加えて言ってしまえば今更隠してみたところで、このような自然の中で人為的な痕跡を見付けるのは幼い頃から野山で育った千茅が得意とするところだ。大した足止めにもならない。
急ぎたい身としては、些か苛立つのは事実だけれど。


薄暗い山の中目を凝らす。
そんな千茅を横目に九子も辺りの様子を把握するべく木に登ろうと膝を曲げたところで、


カサリ


「「!!」」


不意に斜め前方から聞こえた物音に、二人は背を合わせ流れるように臨時体制をとった。
カサ、カサリ。
人にしてはかなり小さな気配、だが鼠のようなものではない。
推測するに恐らくは大きめの爬虫類。虫獣遁の可能性も皆無ではないがそれにして登場の仕方が疎かすぎて、だが山奥だから野生で不自然ではないと言ってもどこか千茅には引っ掛かって。
野生の音だろうか、これは。
敵意を感じず、しかし野生特有の気配でもないそれに少しばかり戸惑う。


だが千茅が動くよりも先に、背後で微動だにしないままだった九子がすっと動いた。
九子?小さく問いかけると彼女は視線で大丈夫だと返してきて、片割れがそう言うならと千茅も身体の力を抜いてその背を見つめる。
一歩、また一歩。
カサリ、物音が近付いて、九子がまた一歩踏み出して。
双方が、近付く。
また一歩踏み出す、カサリ。
音と九子の距離が無くなり、徐に彼女がしゃがみこんで、千茅はただそれを見守って。


「…ジュンコ」


ぼそりと九子が呟くのと、千茅が軽く目を見開くのと、赤く長い生命体が九子の伸ばした腕から首へと素早く巻きつくのは全てがほぼ同時だった。




20120507/20120625