いろは唄 | ナノ


先生と生徒二人。そんな、非常に閑散とした空間での新学期第一日目を終えた昼下がり。



望まずともくの一教室最上級生の称号を与えられてしまった千茅と九子は、くのいち長屋の一室で顔を突き合わせていた。

二年までそれぞれ別の同室が存在していたのだが、たった二人となってしまった今無駄に広い一人部屋を持っていても仕方ない。
どうせなら二人同室となって空いた部屋は物置にでもした方が効率的だろうと、殆ど無いに等しい私物を片方に移し。
実にたった一度だけの往復で終わった簡潔すぎる引っ越しを終えて、一服しながらどちらともなく口を開いた。

「…まさか本当に二人になるとはね」
「うーん…同学年全員居なくなったりしてーなんて軽口叩いてはいたけど…。まさか先輩まで辞めてしまわれるなんて」

はぁ。
吐いた溜息は同時、見合わせた視線に滲むのは苦笑。


正直なところ、先輩がいなくなってしまったという喪失感は二人ともさほど感じていなかった。
入学して間もない頃から一つ二つ上の先輩達には結構に理不尽な扱いを受けてきた身であるし、三つ上の代は昨年の時点で一人も居なくなってしまっている。そして、心から尊敬し得たその上の先輩達は既に卒業済みである。

二年の時点で周囲より飛び出ている自覚はあったし、それを否定する気も無い。自分達が優れていると謂われる由縁が才能などではなく、紛れも無い努力の結果であると自負しているから。
だから先輩がいないという事実に驚きこそすれ、途方に暮れたりはしない。実力が足りないなら努力すればいい、それだけだ。


茶を啜りながら先程熟すべき事項をリストアップした紙面を見下ろしつつ、九子がゆるりと口を開く。

「とりあえず、決めるべき事をさっさと決めてしまわなくちゃね」
「そうだね。まぁ実習のこととか細かいのはあとでシナ先生に伺うとして…まずは委員会だね」
「今入ってる分はそのままでいいとしても、いなくなった体育、図書、作法、会計、学級を割り振らなきゃいけない訳だ」

そういって最後にちろりと何かを言いたげに視線を向けてくる九子に、千茅は思わず口元を緩めて微笑んだ。


例年くのたまというのは学年が上がるほどにその人数を減らす。故に上級生はいくつかの委員会を重複して所属することはそう珍しい事ではなかった。
入学時に千茅は保健委員会、九子は用具委員会へ入り、そして人数の減ってしまった二年の時点でそれぞれ火薬委員会、生物委員会も担当することになったので、現在それぞれ二つの委員会へ所属している。

まさか、二人で九つの委員会を分けることになろうとは流石に想定していなかったが。
二年にいくつか回しても良かったのだが、流石に二年で委員長となるのは荷が重いと涙目で訴えられては無理に押し付ける訳にもいかなかった。


さてどう分けたものか。千茅としては籤だろうがじゃんけんだろうが何だって良かったのだが、それを口にするのは些か可哀想かと言葉にすることは無い。
何故なら九子には絶対に所属したくない委員会があることを、彼女は良く知っているから。

「九つだから、とりあえず残りの五つを三つと二つに分ければいいんだよね。…九子、私学級やってもいい?」
「……いいの?」
「うん、まぁ委員長なんて形式だけだけどね。九子と二人じゃ大した仕事も無いだろうし」
「…ごめん、お願いする。それだけはホントに、うん、ごめん」
「気にしないで。じゃあ学級は私ね」

顰め面で頭を下げた九子を見て、心底可笑しそうに笑いながら千茅は茶を飲み干した。

一見妙なやりとりではあったが、九子の心境を知る身としては非常に面白い。
学級委員長委員会、大層な名前ではあるが要は普段学級委員長として心身を削っている者達が愚痴を言ったりお茶を飲むような集まりだ。
何か特別な行事でもない限り大して忙しい委員会でもない、ないのだが。

九子にはどうしてもその委員会に所属したくない理由がある。
彼女とは謂わずと知れた犬猿の仲である、鉢屋三郎がその委員会に所属しているから。

もし九子が学級委員長委員会に所属すれば、月に一度の忍たまくのたま合同委員会はそれはそれは殺伐としたものになるのだろうことは火を見るより明らかで。
だからこそ千茅が自ら志願し、それに九子は頭を下げたわけである。


そんな一番の心配事が終わったからなのか、些か晴れやかな顔で九子が続きを紡ぎだした。

「それじゃ残りは体育、図書、作法、会計だけど」
「二つずつ分けようか?」
「…いや、それじゃ千茅が五つになっちゃうから。学級押し付けたし私があと三つ持つよ、一つ好きなの選んで?」
「そんなの気にしなくていいのに」
「ううん、お願い。私の気が済まないから」

きっぱりとそう言い切る彼女に、生真面目だなぁと苦笑しつつ。
残された四つの選択肢を巡らせながら、千茅はゆるゆると口を開く。

「んー…じゃあ、体育にしようかな。身体動かす方が好きだし、あの小平太先輩がいらっしゃる委員会だから良い鍛錬になりそうだしね」
「作法じゃなくてもいいの?」
「え?何で?」
「…ううん、何となく」

あっけらかんと言った言葉に、少し意外そうに眉を上げた九子。
千茅はその意図が分からないようであったのでそれ以上続きを口にすることは無かったが、九子は内心で首を傾げた。


一年の時に出会って以来、千茅が先輩の中でも特に仙蔵へ尊敬を抱いていることを九子はよく知っている。
比較的人懐っこい彼女が彼を相手にする時は緊張したように固いし、同じく懐いている伊作や留三郎に対する態度とも少し違うから。親愛というよりは尊敬や憧れの類を向けているのだろう。

だからこそ、当然尊敬する仙蔵が所属する作法を選ぶのだろうと思っていたのだが、千茅の思考回路はそこには行き着かなかったらしい。
まぁ委員会の内容的には体育がぴったりだし、本人がそういうのならば良いのだろうが。


そんな思考を巡らせつつも、特に問題ないだろうと二人で軽く頷き合い。

「じゃあ決定。下級生との顔合わせは明日の委員会でいいとして、忍たま側の各委員長と先生方には挨拶に伺った方がいいかもね」
「だね。とりあえず先生にお伝えして…早めに仕事を覚えた方がいいだろうし、序でに去年までの会誌を見せてもらおうか」
「了解。…の前に、もう一杯お茶飲んでからにしよう?」
「…そうしようか。忙しくなりそうだしね」

やるべきことを脳内で整理しつつ、互いに些か苦いものを滲ませた笑みを交わし。
注いだ新たなお茶を口に運びながら少女二人は年齢らしからぬ大きな溜息を溢す。

「…頑張ろうね」
「勿論。三年だから、なんて絶対に言わせないように全部熟してみせるよ」
「私も、絶対に三年だから使えないなんて言わせない。実習も委員会も…忍務も、頑張ろう。二人で」
「…うん」



どちらともなく合わせた拳と、楽しげに上がった口角。


最上級生。その重みが如何程の物か知らないが、熟して見せようではないか。



20120920