いろは唄 | ナノ


学園で迎える三度目の春。
やたら閑散とした敷地内と、いくら時間が経っても全く人の集まらない教室を不可解には感じていた。

去年も似たような感覚を味わった覚えがあるにはあった。
が、それでもその時はそれを共有する人間が数人は存在したし、来年はもっと数が減ってしまうかもねということを半ば冗談めかして話した記憶もある。

しかし、今回は全くもって異質であった。

定刻になって現れた、常の凛とした笑みに苦いものを滲ませる師が紡いだ言葉は二人にとってそう易々と受け入れられるものではない。





「…あの、先生。申し訳ありませんがもう一度お願いできますか?」

ゆるゆると手を上げたのはこの閑散と空間に存在するたった三人の中の、更に少ない生徒の内の一人。
信じたくない、そう表情に滲んでいる彼女と、その少し後ろに座ってじっと此方を凝視している少女の二人を順番に見つめた後、シナはもう一度先程と同じ言葉を繰り返す。

「気持ちは分かるわ、こんなこと学園創立以来だもの。…でも事実は事実、本年度から貴女達二人がこのくの一教室の最上級生です」

何処かすっきりとしない口調で告げられたそれに、彼女達…千茅と九子は思わず顔を見合わせた。

間違いでなければ、自分達は本日をもってくの一教室の三年生となる筈である。
そしてこの学園は基本六年制であり、昨年卒業してしまった旧六年生を除いても四年生…詰まる所現五年生は存在する筈であるし、自分達と同じ年に入学した子達もまだ数人居る筈なのだ。
自分達二人が最上級生、というシナの言葉には二つ矛盾がある。

…いや、矛盾であると信じたかった。そう馬鹿ではない彼女達の頭は既に事態を理解していたけれど、認めたくないのだ。
今度は後ろに座っていた少女が手を上げて、ぽつりと言葉を溢す。

「…先輩方は」
「現五年になるはずだった子達は皆学園に退学の意志を伝えてきたわ。同時に、貴女達以外の三年生は皆休暇中に退学の意志を私に伝えてきました」
「「………」」

まさか。その三文字がぐるぐると二人の脳内を巡る。

確かに様々な理由から入学する者の多いくの一教室では、その理由が作法の勉強であったり社会勉強といったものも少なくない。本当にくの一を志している者は極一握りである。
ある一定のところまで達すると親から戻ってくるように言われる子や自発的に退学する子もいるし、あるいは厳しくなる実習に音を上げるものもいることは事実だ。
特に本格的な色の実習の始まる三年次は一種の境目で、二年まででやめてしまう人間は多いとは聞いていた、が。

…少なくとも数人は存在した先輩と、入学時の半分は存在した同学年が一気に消えてしまうとは流石に予想し得ず、二人は唯々苦笑するシナを見つめる事で返す。

困惑したような二対の視線を受けて、シナは少し目を細めて二人に諭すような口調で語り始めた。

「…知ってのとおり、学園では外部からの依頼を実習として生徒に熟させるわ。本来は十分に訓練を積んだ五、六年がそれを請け負うのだけれど、この状況では必然的に貴方達に回ってくる。
勿論忍たまで熟せるものは其方に回すでしょうけど、くの一にしか熟せない内容の依頼は決して少なくない。…そこで千茅、九子、貴女達に問います」

最後の一言で今までの苦笑を潜め、その瞳に鋭さを宿したシナを二人は無言で見つめ返す。
まだ思考は困惑と驚きに捉われているけれど、それにばかり絡め取られて思考を停止させてしまう程彼女達は幼くはない。
次に紡がれるであろう問いかけを確り予期し、自然と背筋を伸ばしてシナの言葉を待っていた。


「例え三年であっても、最上級生として学園の名に恥じない仕事をしなくてはならないわ。その為には例年の三年生の何倍も辛い訓練、一瞬も気を抜けない日々が続くでしょう。
それに耐える覚悟と、何があってもくの一になりたいという意志があるかしら?」

シナの厳しい言葉、表情がその辛さは二人が想像しえる範囲を遥かに超えるものであることを暗に示していた。
二年間でそれなりに修行を積んできた彼女達であってもそれがどんなものであるか、自分達がそれに耐えうるかなど分からない。

それでも。

ここで首を横に振るような人間であったのなら彼女達は端から休暇中に他の同級生と同じように退学を申し出ていただろう。
恐らくこの忠告はシナの優しさだ、逃げ出す機会を与えてくれた。その優しさはとてもありがたかったけれど、今更それに甘える程二人は容易い二年間を歩んできてはいなかった。



示し合わせたかのようにゆっくりと同じタイミングで頷いた二人に、シナは残るたった二人の上級生が失われなかった安堵と、これから先に残る多くの不安への懸念で曖昧に笑みを溢した。



20120704