いろは唄 | ナノ


少女が歩くと、道端の幾人かが振り返り感嘆の息を漏らす。
少年が目を伏せれば、若い女達が見惚れる様に頬を染める。


そんな通り中の注目を一身に受けながら、その矛先である当人達は仲良く隣に並んでゆっくりと歩く。
年若くまた容姿麗しい彼らを見つめながら、どこか微笑ましそうに頬を緩めるのは似合いの恋仲同士だとでも思っているからだろうか。

視線の渦を掻い潜りながら、彼女は胸中で小さく苦笑を漏らす。
そして周囲に聞こえない声で、隣で少々居心地の悪そうに歩く彼に語りかけた。

「平気?」
「…あぁ」

千茅の問いに、少しうんざりした様子で彼はそう返す。
そんな彼に問いかけた彼女自身も、少しだけ困ったような笑みを漏らして肩を竦めた。


例え身に纏っているのが常の忍服でなくても、二人きりで外出していても、勿論二人の間柄は恋仲なんてものではない。
忍術学園の生徒である彼らが此処でこうして肩を並べている理由は、所謂校外実習の一環だった。

そしてその実習内容と云うのは至極単純で。
実に簡潔な、街へ出て夕方まで帰らないこと。それだけのことだった。
勿論、忍びのたまごである彼らに課せられる内容であるから、その頭に但し、という言葉が付くのだが。


と、小声で会話を交わしながら歩く二人に、道端で花を売っていた男が声を掛ける。

「よぉ坊主、デートかい?男なら女の子に花の一つでも買ってやる甲斐性をもたねぇと駄目だぜ!」

そんな客引きの文句と同時に、男はにこにこと人の好さそうな笑顔で白い花を差し出す。― 千茅の目の前に。
そして差し出されたそれに、千茅は薄く笑みを浮かべて懐に手を入れた。

不自然でない程度に、歳相応の少年らしさを作った低さで口を開く。

「じゃあ一番綺麗なのをサービスしてくれますか」
「お!流石、良い男は気前もいいねぇ。んじゃこの一番上等なのを、ほらお嬢ちゃん」

そうして花を手渡されたのは、兵助。
差し出されたそれに少々ぎこちない笑みを浮かべた彼に、千茅はその花を掬いとって茎を折ると、兵助の耳の辺りに手を伸ばす。
その黒髪に飾る様に花を挿すと、兵助の頬が僅かに引き攣ったが彼女は無視を決め込んだ。

「うん、似合ってる。じゃあ行こうか?あぁ、ありがとうおじさん」
「此方こそ毎度あり、デート楽しめよ!」

からからと楽しそうに笑う男に背を向けて、少し不満げな兵助の手を救って千茅は再び通りを歩き出す。
そして小さく、可笑しそうに言う。

「兵助、笑顔がぎこちないよ」
「…これ取っていいか」
「駄目。つけてた方が尚更ばれにくいでしょ?」
「それはそうだけど…」


言葉を濁した彼が身を包むそれは、すれ違った若い少女達のそれとよく似た着物で。そして先導する千茅の着物は、落ち着いた色合いの男物。

― そう、つまり今現在彼らはそれぞれ逆の性別を演じているのであった。



事の発端は今朝の事。
忍術学園も二年生ともなると、校外での実習が多くなる。と同時に、市井へ溶け込む技術も要される時期でもあった。

そうして、彼らに出されたお題は忍びとしての基礎中の基礎、変装だったわけだ。
しかも例年とは異なり偶然授業の進行度が一致し、くのたまも同じ日に実習するという事実が学園長の耳に入ったことで、事態は少々ややこしい方向へと動く。

…要するに、「どうせじゃから合同にしてしまえば先生方の手間も減るじゃろう」という事だ。本心は面白がっているだけであることは誰の目にも明白であったが。


こうして、この日街には奇妙な入れ違いカップルが数組出現することとなった。まだ変装を学んで日の浅い二年生同士では、やはりどうしても違和感が生じるのだ。
一人ずつであれば目立たない程度の違和感も、二人並べばどうしても目立ってしまう。少々酷な実習内容だ。


しかし、中には例外もあり。この千茅と兵助がその少ない例外の一組であった。
この年頃なら男女で身体つきの差は小さい、ただ振る舞い方や話し方、要は演技さえ上手く熟せば実はそうそうバレることはないものなのだ。

…といっても、それを熟すのが困難であるからこその課題なのだが。学年内でも優秀と評される二人にはどうやら当て嵌まらなかったらしい。



そのため、街の人間には千茅が少々声を低くして少年らしく振る舞えばそれは品の良い美少年に映ったし、兵助が高い声でしとやかに振る舞えばそれは少々人見知りする愛らしい少女にしか映らない。
花売りの男が迷わず千茅を坊主と呼んだこと、兵助に花を差し出したことがその証明だった。

ただし、慣れない女物の着物と突き刺さる好奇の視線に晒された兵助は既に少々疲れ気味の様子なのだが。


「でも兵助とペアで良かった。兵助元々綺麗な顔立ちだから疑われることないし、このままいけば楽に終わりそう」
「…完全にこっちの台詞だと思う。千茅慣れ過ぎてないか?お蔭で助かるといえば助かるけど」

もしかしてくのたまの方が練習の機会が多いのだろうか。そんな考えを抱く兵助に、彼女はからからと笑って答える。

「あはは、これは三郎のお蔭。ほら、休みの日にたまに手合せしてるでしょ?その後に変装のこととか教えて貰ってたら自然とね」
「あぁ…なるほど」

二人と同じ学年であるろ組の鉢屋三郎は、下級生ながらその変装の腕は学園でも指折りのそれである。
その三郎の指導と、元々の千茅の覚えの早さが合わさっての結果と云うわけだ。

合点がいったように頷く兵助に、彼女は掬ったままの手をもう一度握り直しながらにこりと微笑う。

「まぁ、課題はバレずに夕方まで過ごせってだけだし。危険が少ないのは人目を避けてあんまり店に入らないことだろうけど…」

そこで一度言葉を切って、そして悪戯っぽく目を細め。

「折角の機会だし、僕と一日楽しみませんか?綺麗なお嬢さん」
「…頼むからやめてくれ」
「あはは、ごめん冗談。でも、どうかな?」

おどけたように顔を覗き込む、普段とは少々違う友人の姿に呆れたような笑みを溢しながら、彼は態と大義そうに答える。

「…豆腐を食べさせてくれるなら考えてもいい」
「仰せの儘に。どの店をご希望ですか?」
「二本目の通りを右に抜けて左手にある店。新しく出来たところだけど評判がいいんだ」
「了解っと」



全く、随分と気楽な実習もあったものだ。

兵助は苦笑を漏らしつつ、繋いだままの右手に緩く力を込めた。



20130126