いろは唄 | ナノ


「失礼します、遅れてすみません」


忍たまとくのたまの敷地の中間に位置する、火薬を貯蔵する倉。
学園長の思い付きによる騒動が一段落し、その年最初の活動として各々作業を進める中、突如として現れそのまま深々と頭を下げた少女はまだ幼さの残る少女であった。

高い位置で結った柔かそうな髪を揺らし、じっと頭を垂れた彼女に彼らは困惑したように視線を巡らせ、そして一番年長の青年…忍たまの火薬委員長を務める彼はゆるゆると少女に声を掛ける。

「え、と…くのたまの火薬委員か?」
「はい、くのたま二年、初芽千茅です。本年より火薬委員会に配属となりました、よろしくお願いします」
「あ、はい、こちらこそ宜しく… で、えっと」

年上の、しかも忍たまばかりの空間にも拘わらず物怖じした様子もなくはきはきと答える彼女は明朗で礼儀正しい。
今までのくのたまとのやり取りの経験上、彼女の見せた態度には少なからず驚きが伴ったが、今はそれ以上に別の問題がある。

何故、この少女はここに現れたのか。

そのまま続きを紡ぐ青年を、彼女はじっと見上げて返す。

「えーと、今日は合同委員会、だよな…?」
「はい、そう伺ってます。初回は例年火薬蔵の整理と在庫確認と」
「そうそう、で… その、くのたまの委員長は?」
「……」

本題である部分に切り込むと、少女はその丸い瞳を数度瞬かせて眉を下げた笑みを浮かべることで答えた。


合同委員会というのは、忍たま側にくのたまの長が加わって行われるのが通例であった。
明確な理由はない、昔からそうなっているのだ。
何しろくのたまというのは一人でも恐ろしい存在であるので、そう何人も来られては忍たま側の心労が増えるというのが彼らの本音である。
その意味で彼らは先人達の作ったこの慣習に非常に感謝していた。


と、いう内情はともかく。

人数自体少ないくのたまではあるが、確か現在のくのたまの火薬委員長を務めているのは四年生の筈である。ならば彼女が来るのが道理である筈で、この幼い少女がこの場所に居るのは妙なのだ。

委員長の問いに、千茅と名乗った少女は事もなげにさらりと口を開いた。

「先輩の代役で来ました」
「代役?」
「はい」

それ以上は語らない彼女を見つめ、そして視線を交わしながら、上級生たちは内心で溜息を溢した。そして浮かんだ言葉は共通している。
…またか。その一言だ。


この学園の火薬蔵は忍たまとくのたまの共用となっている。というのも、危険の多い火薬の取り扱いには教師が付き添う事が多く、面倒事は一箇所にまとめてしまおうという狙いからであった。
またそのため火薬委員会と名を冠してはいるものの、仕事と云えばそう危険の伴わない在庫整理などが主となるのは必然で、肉体労働の割に地味な委員会として知られている。

そんな背景からか、とりわけくのたま側の委員は総じてやる気がないのが常であった。
要は「倉庫掃除なんて汚れ仕事忍たまでやりなさいよ」というところである。
だが、年初めの委員会だけは欠席と云うわけには行かなかった。
というのもこの初回には忍たまとくのたまの大まかな火薬の分配を行うからであり、不参加となれば必然的に取り分が減ってしまうからだ。


…しかし、いくらなんでも後輩に押し付けてしまうのは少々勝手が過ぎるのではなかろうか。
彼らの胸中に少々の苛立ちと少女への憐みが過ったが、当の本人は何処吹く風といった態で指示を待っていた。なんて健気な、と彼らの目に映るのは仕方ないことである。


実のところ、千茅に言わせればこの程度は全く意に介す必要もない理不尽である。
今更この程度の理不尽に傷つくほど柔で愛らしい精神を持ち合わせてはいなかった。
…が、少女の内心など彼らには知る由もない。



そんな不思議な沈黙が続いていた蔵の中で、漸く一人の少年が動く。
動きを止めたほかの人間の間をすり抜けて、少女に近寄ると口を開いた。

「こっち、手伝ってくれ」
「あ、うん」

軽く裾を掴んでいくつか並んだ壺の前に彼女を連れる少年の姿に、全くの杞憂である少女への憐憫に浸っていた彼らも時を取り戻す。
くるくると波打つ黒髪を揺らす少年に、委員長は小さく咳払いをして体裁を整え指示を飛ばした。

「あー、うん。じゃあ初芽にも参加してもらうことにして。兵助、お前一緒に組んでやってくれ、同じ学年だしその方が気安いだろ」
「はい」

少年の返事を皮切りに、各々再び作業へと取り掛かった蔵の中。千茅は緩く首を傾げ、僅かに声を潜めて少年へと話しかけた。

「ありがとう」
「何が?」
「なんか変な雰囲気になりそうだったのを止めてくれて」

助かったよ。そう微笑んで礼を口にすると、少年は控えめに笑みを浮かべて返す。

「別にいいよ。偉いなと思っただけだから」
「え?」
「愚痴の一つくらい言ってもいいのに。先輩にやっかみ買ってるんだろう、強いから」

火薬の詰まった壺をよろめきながらも抱え上げた少年の言葉に、彼女はかくりと首を捻ることとなった。
強いから。そう断言した彼は何故自分の腕などを知っているのだろう。

一瞬そんな疑問が浮かんだが、尋ねるまでもなくそれはすぐに霧散した。
彼が先日行われた学園長の思い付き、基武術大会でのことを指しているのだろうと想像するのは難くない。まぁ本意ではなかったが目立ってしまったので、彼が記憶にとどめていてもそう不思議ではなかった。

そこまで巡らせて、苦い笑みを浮かべた彼女は肩を竦めてみせる。

「…まぁ、そのくらいは甘んじなきゃね。不可抗力とはいえ結果的に先輩方の面目潰しちゃったわけだし」
「確かに誰かに言いつけたところで事態の好転はないけどな。だから最低限のことしか言わなかったんだろうけど」
「……」

さらりと返った彼の言葉に、千茅は思わず軽く目を見張ることとなった。
そう、理不尽を他人に訴えたところでどうしようもない。所詮は本人同士の問題であり、下手を打てば事態が悪化することは必至である。

であるからこそ、彼女は沈黙を選んだ。
自分に代役を申し付けた四年生が今ごろ部屋で友人と雑談に花を咲かせているだろう事、直前に言いつけて今日の千茅の予定を全て狂わせた事、自分は実習で忙しいと伝えるように言われた事。
全てを飲み込んで自身で消化することを選んだのだ、それが最善であると知っていたから。他人に伝えたところで雰囲気を悪くする以外の効果を生み出さないと知っていたから。


それだけに、そんな自分の意図を当然のように汲み取って淡々と見解を述べて見せた少年は彼女には貴重な存在だった。
今まで周囲の反応は憐憫か、激昂か、無視か、その三種類で。
一部例外はあったが、此処まで的確に自分に思惑と一致する意見を返したのは彼が初めてであった。

思いがけず出会った聡明な少年に、彼女は僅かに胸を躍らせる。

「…ふふ」
「何?」
「ううん、嬉しいなと思って」

きょとりとその大きな瞳を瞬かせ、不思議そうに自分を見つめ返す少年に彼女はにっこりと微笑んだ。



20130707