いろは唄 | ナノ


冷たかった風は暖かな空気を含み、色の寂しかった外は様々な花が綻びはじめる。
春休みという年度の変わり目を含む長期休暇の間、帰省やら何やらと目的は違えど生徒全員が離れるために人気の無かった忍術学園もまた、新学期の訪れと共に子供たちが集まり教職員が集まり、久々に活気の満ちた姿になって。
少しの別れと、たくさんの出会いと。卒業生を見送り新入生を迎え入れたこの春、また忙しい一年となるだろう。
そんなことを考えながらふと空を気持ち良さそうに飛んでいく鵯に目を細めたヘムヘムは、次いで普段の自分の居場所、学園長室の前の廊下で寝転び行儀悪くも鼻をほじっている存在をジト目で見やった。


「あー、暇じゃのう…」


もう一度言おう。ここは学園長室の真ん前。
そしてその部屋の主に咎められることもなく堂々とダラダラしているのは、何を隠そうその部屋の主本人、忍術学園の学園長である大川平次渦正その人だ。
己の忍犬であるヘムヘムからの視線も何のその、大きな欠伸を零しては背中をボリボリと掻く姿はどこからどう見てもただのぐうたらな老人で。
これでも昔は凄腕の忍者だったと言うのだから世の中不思議なものである。


「へムッ」
「なんじゃヘムヘム。そうだ、ワシの肩を揉んでくれんか」
「…」


今日から新しい年度が始まる。
学年が上がるだけでなく、新入生だっているこの時に、学園の長である存在が暇だなんだとゴロゴロしていては示しがつかないだろう。最も、今までに示しがついた試しがあったかと問われてしまうと非常に困るのだが。
ふあぁ。まただらしなく口を開ける学園長に溜め息を一つ。この人は今更どうしようもないと言えばどうしようもない。
教師だけでなく生徒からすら呆れられることも少なくはない彼のことは諦めて庭の掃除を再開すると、そこまで本気での発言ではなかったのかはたまた既にどうでもいいのか、学園長はまた少しばかり上げていた頭をごろんと寝そべらせ春の陽気にうつらうつらし出した。


あぁ、なんとも平和な日である。
その平和を壊すのもまた、この人なのだけれど。


***


「みんな大変っ!またあの学園長先生が何かを思いついたって…!」


新学期。
身を包んでいた忍装束の色はほんの少しばかり落ち着いたものへと変わり、自分たちに与えられていた一年という学年が二年へと一つ数字を重ね。
あと他に変わったことといえば、教室の人口密度だろうか。
昨年よりも、同級生が幾分減っていた。


ここ忍術学園は、忍たまもくのたまも関係なく上級生になればなる程脱落者が増え人数は減っていく。
特にくの一教室は下級生の頃から授業内容も厳しい上、元からの人数が忍たまよりも少ないのに加えて本気で忍を目指して入学してくる生徒の割合が少ないのもあるだろう。
自分を含め同室だった者がいなくなった人も少なくはなく、また部屋割りを新しくするとかなんとか聞いた気がする。
きゃいきゃいと教室の中央で輪になっている同級生たちや一人静かに書を読む九子を眺めながらぼんやりとそう思考していた千茅は、勢いよく教室に飛び込んできた甲高い声に視線をそちらへと向けた。
千茅だけではない、おしゃべりに花を咲かせていた他の生徒たちも何事かと顔を向け、九子の視線も一応は向けられている。
はぁ。空気の塊を吐き出し息を整えた彼女は確か、始業まで部屋の荷物を整理するとかで教室を出て行った筈だと思ったが。


「さっきそこで聞いたんだけど、なんか学園長先生が春の平和加減に飽きられたとかなんとかで…」


建前上は実力の底上げを謀るとか新しい顔ぶれとの親睦を深めるとかで、一二三年合同武術大会が開かれるんだって。
そう続けられた言葉に、えーっと不満の声が飛んだ。二人三人どころではない、結構な人数だ。
まだこの学園に入学してから僅か一年、だがその長くも短くもない年月の中で学園長の気紛れな思いつきが如何に厄介なものかは身に染みている為に、仕方がないといえば仕方がない。
今回のそれもまた、本音を聞いてしまえば傍迷惑なことこの上ないのだから。
しかし。


(武術大会、か)


ふと九子へと視線を向ければ、彼女は僅かに俯き何事かを考えている。
俄かに騒がしくなったくの一教室内で、男子とも混合なのかとか、先輩と闘うことになるのかとか。
あれやこれやと議論が飛び交い、その中に学園長への愚痴も混ざり。女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。
外を見てみればどこまでも穏やかな青空が広がっているのが、またなんともアンバランスで。


わいわい、きゃいきゃい。女子特有の高い声。
元の話題であった武術大会からあちらこちらへと脱線し戻っては混ざっていく話題に盛り上がる教室内は、担任の教師が入ってくるまで静まることはなかった。




20120425