いろは唄 | ナノ


  さて。


教室からは反対側へと足を進めながら、九子は手元の包みを弄る。
きっと今頃同級生たちは揃って団子でも作りに行くところだろう。薬を盛るとしたら菓子でも用意して実習で作ったのだと言うのが恐らくは一番簡単かつ効果的であろうから。
ただ問題となるのは、先程千茅にも言った通り、昔からの伝統なのかなんなのか忍たまとくのたまというものは総じて仲があまり宜しくない点か。両者の間には絶対的な溝が存在する為、たとえ実習で何かを作ったとしても普通ならばそれを差し入れる程友好的ではない。
まぁそこは忍たまの警戒心とくのたまの演技力、どちらが勝るかに依るだろう。己の演技力が試されるのは確かに楽しそうだとは思うものの、だからといって進んで恨みもない相手に薬を盛る趣味もなく、とりあえず白い粉末が包まれているそれを胸元へとしまいこむ。
恐らく、嬉々としていた彼女らは単純に嫌がらせをしたいだけなのだろうけれど。


しかし、それならば同級生たちがこぞって動き始めるよりも前にこちらもさっさと行動してしまうべきだろう。
彼女たちが成功するにしろ失敗するにしろ、それなりの騒ぎにはなる筈だ。そうなるとそれ以降には必然的に動きにくくなる。
最悪の場合は同級生がごめんねこれ解毒剤なんだけど…と、己の持てる演技力全てを総動員するか。難易度は格段に上がるが最終手段として使えなくはない。
後は、とぐるぐる思考回路を働かせながらふと思い出したようにもう一度包みを取り出し念のため二つに分けておく。それをまた胸元にしまい、よし、と頷くと九子は外へと足を向けた。


***


(…何か、か)


騙して何かを貰ってくること。この課題の真意は物を貰うことよりも騙すことを覚えることだ、物を貰うことも薬を盛ることもそれに付随するだけに過ぎない、けれど。
これは実習であり本番ではない。だからこそ課題をこなせたかどうか、第三者にきちんと明確にする為の証拠が必要となってくるわけで、薬を盛ることを選ばなければ証拠と成り得る何かを忍たまから貰わなくてはならない。
足首を捻ったと偽り固定する為頭巾を貰う、九子は普段頭巾をつけてはいないし、忍術学園の敷地内は目印を残すことを条件として罠を作ることが許されている所謂競合区域な為場所を選べば不自然ではないだろう。また、くの一教室で苛められていて筆が全部捨てられてしまったのだと訴える、こちらは忍たまの敷地にいることを怪しまれても逃げてきたのだと言い訳出来るし楽かもしれない。後々面倒なことが起こらないとも限らないがまぁそこはどうとでもなる。
後は、と思考を巡らせる。どの手を選ぶにしろ、状況と相手の性格を見極めなければ成功する確率は格段に落ちるし、まず人を騙すという行為自体が九子にとって初体験だ。慎重になりすぎて好機を逃がすのはもってのほかだが、策を練り過ぎということはないだろう。
何より、騙すことに対して気が進むわけではないが、こういった作戦のようなものを考えるのは楽しかった。


普段の忍たまの様子などあまり知らない九子は、とりあえず授業中でもどこかの組一つくらいは実技をしているだろうと彼らを観察することに決めた。
この実習への何かしらの手がかりを掴めるかもしれない。何をするにもまず相手を知らなければ。
忍たまと接触しなければ成り立たないこの課題、既に教室全員の分の忍たま敷地への侵入許可は出ている。が、普段行き来が禁止されているくのたまの姿を見れば誰だって不審に思うのが道理というものだ。
とりあえず敷地の境界ぎりぎりのところまで、と足を進め適当な木の枝に少しばかり苦労しながら腰をおろしたところで、九子の視界の端を桃色が掠めていく。


(千茅?)


正門から出て行く後ろ姿は、見間違いなく先程別れた同級生のものだった。
自分と同じ忍服、高い位置で結われた栗色の髪はこういったことは苦手なのだとこっそり教えてくれたことを思い出す。
礼儀正しくぴっしりと頭を下げる先には事務員の姿があり、正式な手続きを踏んだ上で出て行くことが分かった。元々彼女が学園を無断で、しかも授業中に抜け出すような性格ではないことは知っているが。
しかし、つまりはシナも了承したということだ。課題の期限は夕暮れまでと余裕はあるものの、その途中で学園外に出るというのは一体どういうことなのだろう。そんなことを考えている間にも小さな背中は門の外へと消えていく。


制服姿のままということは、急な帰省や町への用事とは考えにくい。それ以外で何か、といえば一番に思い浮かぶのは外で実習をしている一年生の忍たまがいるということか。
きっとどこかで情報を掴んだのだろう。外ならば同じくの一教室の人間に先を越される心配も減るし、作戦の幅も広がる。場所にもよるが一般人を装うこともできるかもしれない。
まぁ既に姿の見えなくなった千茅の後を追う術は今の九子にはない為、この予想が当たっていたとしてもどうしようもないのだけれど。


(…誰か帰ってくるかな)


誰を相手にするとしても、大勢の前に姿を晒すわけにはいかない。一対一が一番望ましい形だ。
故に授業中に行動は起こせない。鐘が鳴った後、もしくは予想が当たっていたとして実習終わりの忍たまが帰ってきたとき。如何に一人の相手を探し出せるか、そして状況に合った策を即座に実行できるか。それが鍵だろう。


ふむ、と少しばかり考え込んだ九子はもう少しだけ上の枝に手をかけ身体を持ち上げる。
幹と葉の間にひっそりと己を隠し、すぅ、一呼吸おくと目を細めその視線の先をじっと見続けた。




20120920