「ホラ、大事にしなさいよ」
ギャリーはそう言って、笑ってた。私にはもうギャリーの姿が滲んで見えていた。目の前に差し出された傷の無い赤い薔薇は、嫌になるほど鮮やかに映っているのに、なのにギャリーのことは凄く霞んで見える。
「後から追い付くから…今は、本当のことは言いたくない」
言ってよ。ギャリーはどうしてそうやって、私を悲しませないように取り繕うの?そういう一つ一つのギャリーの行動で、バレバレなんだよ。それが余計に私を辛くさせるんだよ。
「…未美…っう」
ギャリーが、胸を押さえた。花弁を誰かが千切っている。誰かは分かってる。けれど認めたくない。千切っているという事実も…ギャリーが死んでしまうかもしれないという、予感も。全部全部心の中から取り払って欲しかった。
「いや、だ」
声を大にして言いたかった。ギャリーは私が助ける、だからここで待ってて、と。でもダメなんだ。足が動かないんだ、こんな肝心な時に、怖くて仕方ないんだよ?そんな私に何ができるの?ねえ、ギャリー。教えて…私に教えて。ギャリーは咳き込んで下を向く。床に血が付いていた。
「早く…行きなさい」
その声に覇気も気力も無かった。掠れた小さな声。…なのに、大きくなる荒い呼吸。やめて…苦しまないで…どうしようどうしよう…ギャリー。
「ギャリー、大好き、大好き大好き、だから苦しまないで」
ギャリーに伝えたいことがまだ沢山あるんだ。ギャリーと話したいことが沢山あるんだ。ギャリーと食べたいお菓子があるんだ。ギャリーとやりたい遊びがあるんだ。ギャリーと行きたい場所があるんだ。ギャリーとずっと一緒にいたいんだ。ギャリーに傍にいてほしいんだ。ギャリーが好きなんだ。
「………ありがとう…ね、未美…アタシも、す…っ…、き、よ」
床には血溜まりができていた。ギャリーの口からは血が滴っていた。目が虚ろなギャリーを見つめていると、無性に愛が込み上げてきて、どうしたらいいか分からないくらい苦しい。好きとギャリーの口が動いた時、私はもうギャリーへの衝動を抑えるのを、やめた。
「………っ、ん」
ギャリーの唇に私の唇を力強く押し付けた。私のファーストキス。甘く蕩けるようなキスでも、甘酸っぱく瑞々しいキスでもなんでもなかった。血の味でいっぱいの苦いキス。それでも私は満足だった。ギャリーと触れ合えたことが私の中で、とても大切なことだったんだ。
「…んん、……っ」
「………!」
私が口を離そうとした時、今度はギャリーから私に深い口づけをしてきた。嘘だって思った。ギャリーが私を求めてくれていた。嬉しくて嬉しくて、涙がまたぼろぼろと零れた。血の味に涙のしょっぱい味が混じって、もうよく分からないキスになっていたけれど、幸せは募っていくばかりだった。
「……未美は…、アタシの事、忘れないわよね………?」
唇を離して息を整えていた時、ギャリーが弱弱しく私に問いかけた。何それ。それじゃまるで遺言だよ?ギャリー、諦めちゃダメ。私たちは帰るの。二人で、元の世界に。
「……うん、忘れない……絶対」
……え。何言ってるの私。そうじゃない。私たちは必ず二人で生きて帰るはずなのに。どうしてそんなこと口走ってるの?
「…愛してるわ、未美……だ、から…生きて帰っ、て…頂戴」
ギャリーの顔は真っ青で、もう目の焦点が定まっていなかった。怖くて、ギャリーの顔に手を触れさせた。冷たい。やだ、なんで。やだよ。顔を強制的に私の方に向けた。なのにギャリーは私を見てくれなかった。
「ギャリーのことは…私が、助けるの…私が…私が助けるんだもん…そうだよ……そうだよね、ギャリー…ねえギャリー……!」
身体を揺さぶっても返事は無い。嘘、こんなの嘘よ。だってさっきまで、ついさっきまで私たち、話してたんだよ?キスしてたんだよ?
「      」
「ああああ、あああああああああ、あああ…あああああ、嫌」
何か言ってよ。あの女っぽい口調で私を励ましてよ。私のことを撫でて、可愛いって言ってよ。絶対ここから抜けだすわよって私を抱きしめてよ。その口で、囁いてよ。全部叶わない。もう全部叶わない。約束は?破ったら針千本だよ?……ああ、ダメか。飲めないもんね。ギャリーはもう、自分で飲むことなんてできないもんね。でも私が飲ませてあげる。そうしたらギャリーは、痛いわよ!なんて言って目を覚ましてくれるよね?私、信じてるからね。

ギャリーは死んでない。

私は立ち上がった。待っててね。すぐに戻ってくるから。青い薔薇なんて必要ない。赤い薔薇も必要ない。私にはギャリーがいればそれだけでいい。ギャリーもそうでしょ?
ごめんね…分かってたの。こうなってしまうことも…分かってたの。でも認めないからね。抗い続けるから。運命なんてものありはしないの。

だから…少しだけ、眠っていてね。


0513 狂ってしまった主人公 0518 修正