徒野桜




 



「桜の木の下に埋まっているのは、死体じゃない」

 灰色の煙がゆらゆらと立ち昇っている。見上げると、それは少し上であっさり空に溶けて消えていた。

 結局、人間は多分死んだら皆煙になるんだろう。善人も、悪人も、お金持ちも、貧乏人も、皆。揺るぎなく、平等に。

 僕は隣に立っている彼女に視線を移す。退屈そうにぼんやりと煙を眺めていた彼女は、目の前に舞い落ちてきた淡い色の花びらを目で追って、それから僕がよりかかっているその木を見上げた。

「桜の木の下に埋まっているのは、死体じゃないの」

 じゃぁ何が?と僕は訊き返す。真っ白な花びらがひらひら舞い落ちる。桜はピンクだ、と最初に言ったのは誰だろう。煙よりもずっと白いのに。

「桜の木の下に埋まっているのは、記憶なの」

「記憶?」

「そう」

 ほら、と彼女は桜の木の根元を指差して、すっと目を瞑る。僕も同じように目を瞑って、それに耳を傾ける。

 さわさわと枝を揺らして風が吹き抜ける。ざぁっ、と音を立てて花びらが舞い散る。

 その音に混じって、微かにこえが聞こえた。

「綺麗だね、祐くん」

「お父さん、こっちこっち」

「明日は是非ビールでも飲みながら花見をしたいですね」

「ねぇ、明日は何時に待ち合わせ?」

「もう春だねぇ」

 風に雑じって遠くからきらきらと笑い声が聴こえる。舞い落ちる花びらが僕の肩に降り積もる。

「本当だ」

 目を開けて、そう言う。彼女は目を閉じたまま、満足そうに、微かに微笑む。

「もう気は済んだ?」

 彼女はゆっくり、静かに頷いて、目を開けた。視線の先で煙が空に溶けていく。彼女の遺体を焼く煙が。

 あんな風に空に溶けていくなら、その行く先は天国なのかもしれない。あんな風に溶けていけるなら、きっと死は本当は残酷なものなんかじゃなくて、その先にあるのは綺麗で温かいものなのかもしれない。

 それはまるで、桜の木の記憶のような。

「じゃぁ」

 そっと彼女の背中を押す。多分、残されるものにできるのは背中を押すことくらいしかないんだろう。

 彼女は桜の木に向き直って、すっと手を伸ばす。どこか上の方から真っ白な手が伸びて、彼女の手を掴んだ。

 彼女は一度だけ振り向いて、それからするっと満開の桜に溶けるように、消えた。

 ぼんやりとそれを見守っていた僕の前に、真っ白な手が差し出される。僕は微笑って首を振る。

「僕はまだ行けないよ」

 その手は微かに手を振るような仕草をして、するすると桜の木の中に戻っていった。

「さようなら」

 いつか、また会える日まで。

 応えるように、桜がざぁっ、と揺れた。



  


改稿:「君を忘れる」




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