降り込められる、夜




 

 雪の降る音が聞こえるような気がした。
 目を閉じると闇。遠くに小さく月が見えた。国道に沿って歩いている。車が何台も何台も横を通り過ぎていく。くるま? あれは本当にくるまというものだったろうか。思、うそばから車はくるくると溶けて電車になった。ごうごうと音を立てて目の前を次から次へと電車が通り過ぎる。かんかんかんかん、けたたましく警報が鳴る。踏み切りはいつまでたっても上がらない。あきらめて引き返そうとすると、後ろは何もないただの暗闇だった。仕方なくまた向き直ると、川になっていた。橋の上に、子供が膝を抱えてうずくまっている。人間の子供は好きではない。子猫だったらいいのに、と思うと途端に子猫になった。さっきまで人の子だったのに、というと、子猫がいいというので子猫になったのだ、と答えた。毛並みのつやつやした黒い猫で、目の奥に月があった。抱き上げると、人の子に戻った。やっぱり目の中に月がある。その月が崩れたかと思うと、子供は顔を歪ませて笑った。わたしは子供を川に投げ捨ててしまった。
 


 雪の降る音が聞こえたような気がした。
 目を開くと闇。遠くに大きく月が見えた。国道に沿って歩いている。車が何台も何台も横を通り過ぎていく。くるま? そう、あれは車だ。赤いオープンカーが騒音をまき散らしながら走っていく。すぐ後ろに紺色のワゴン車がクラクションをけたたましく鳴らしながら続いた。道の先にはトンネルがあって、どの車も速度を落とさずにトンネルに吸い込まれていく。トンネルから出てくる車は一台もない。白い車も黒い車も青い車も黄色い車もどんどん飲み込まれていく。
 トンネルの入り口に何か赤い塊があった。花束だ。赤い花ばかりの沢山の花束が山のように積み上げられている。両手で抱えきれないようなものも、一輪だけのものもある。すぐそばに真黒い卵型の石が一つだけ落ちていた。表面はなめらかで傷一つない。わたしはそのつるつるした手触りの石を拾い上げてポケットに入れた。花束の山に目を戻すと、写真立てが置いてあるのに気づいた。何が写っているのかは暗くてよく見えない。持ち上げて通り過ぎる車のヘッドライトにかざした。写っていたのはわたしだった。
 するとわたしは交通事故で死んだのだろうか。ここでわたしがこうして考えている以上そんなはずはない。となるとこれは夢だ。目を閉じていても開いていても夢を見ているとすると、どうやってこの夢から覚めればいいだろう。とりあえず医者か占い師のようなものを探すことにした。商店街のようなところを歩いている。わたしの他には人っ子一人歩いていない。病院を探しながら歩くうちに、「心療内科」という看板を見つけた。戸口に立って、ごめんください、と声をかけた。返事はない。もう一度、少し大きな声で、ごめんください、と言った。奥の方から白衣を着た恰幅のいい男が出てきて扉を開けた。わたしが入ろうとすると手で押しとどめるような仕草をする。右の方を指すのでそちらを見ると「御用の方はチャイムを押してください」とあった。わたしがそれを読んでいる間に男はばたんとドアを閉めて引っ込んでしまった。どうせ出てきたなら入れてくれてもいいのに、と思いながらインターフォンを押す。さっきの男がまた奥から出てきて、戸を開けて手招きした。
 中は薄暗く、薬品の臭いと炒めた玉ねぎのような臭いが混ざりあって充満している。受付の向かいの壁に、薬物防止や鬱病治療のポスターに混じって、「豚に真珠」と黒字で書いただけのポスターが貼ってあった。受付と書いてあるカウンターにも、電気はついていない。薄暗い中に、女の人が身動きひとつせずぽつんと座っていた。
 白衣の男はどんどん歩いていってしまうので、わたしは小走りで後を追う。男は廊下を右に曲がって、二番目の部屋に入っていった。あとから入っていくと、入るか入らないかのうちに、「そこに座ってください」と椅子を指差す。受付係だと思っていたけれど、どうやらこの男が医者らしい。「こんな時間に二人も人がいるはずがないでしょう」と医者は言った。
「それで、どこがお悪いんですか」
「どうも夢から抜け出せないようなのです」
 医者は手元の紙に何かを書き込んだ。それから、一人でひとしきり頷いたり首を振ったりすると、とつぜんわたしに言った。
「ポケットの中のものを全部出してください」
 言われてポケットをひっくり返したが、出てきたのはあの黒い石だけだった。医者はその石をためつすがめつして、こいつのせいですね、と言った。
「これのせいで抜けられないのです。やり直させてあげますから今度は石を拾うのはお止めなさい……」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、満ち潮のように眠気が襲ってきた。わたしは目を閉じた。暗転。



 雪の降る音が聞こえるような気がした。
 目を開くと闇。遠くに大きく月が見えた。国道に沿って歩いている。車が何台も何台も横を通りすぎていく。道の先にはトンネルがあって、どの車も速度を落とさずにトンネルから出てくる。赤いオープンカーが騒音を撒き散らしながら出てきた。すぐ後ろから紺色のワゴン車がクラクションをけたたましく鳴らしながら続く。トンネルに入っていく車は一台もない。白い車も黒い車も青い車も黄色い車もどんどん吐き出されていく。
 トンネルの入り口に何か赤い塊があった。花束だ。赤い花ばかりの沢山の花束が山のように積み上げられている。両手で抱えきれないようなものも、一輪だけのものもある。すぐそばに真黒い卵型の石が一つだけ落ちていた。表面はなめらかで傷一つない。わたしはそのつるつるした手触りの石を拾い上げた。そのまま手放すと、石はかつん、と音を立てて地面にぶつかった。ぶつかった部分に小さな傷がひとつできた。
 花の山の横の写真立てを拾い上げる。暗くてよく見えないので、走っていく車のヘッドライトにかざした。そこに写っているのは橋の上にいた子供だった。それではここにこうしているわたしはなんだろう。この子の母親だろうか。そうだったような気もするし、そうでなかったような気もする。そして結局夢から覚める方法は分からない。わたしは途方に暮れた。
 またあの病院の前に立っている。インターフォンを押すと、恰幅のいい医者が出てきて手招きした。中は薄暗く、薬品の臭いと炒めた玉ねぎのような臭いが混ざりあって充満している。受付の向かいの壁に、薬物防止や鬱病治療のポスターに混じって「豚は真珠」と黒字で書いただけのポスターが貼ってあった。受付と書いてあるカウンターにも、電気はついていない。薄暗い中に、女の人が身動きひとつせずぽつんと座っていた。そういえば、前にここに来た時、あの医者は自分一人しかいないようなことを言っていたのを思い出した。ではあの受付嬢は何だというのか。
 医者は振り返って、あれはマネキンですよ、気付かなかったんですか、と言った。近寄ってよく見るとなるほどマネキンだった。血の通っていない真っ白な顔に口紅だけが赤く浮き上がっている。
 医者は診察室に入ると「また失敗しましたね」とわたしを睨んだ。
「あれほど石を拾ってはいけないと言ったのに」
「でも、石なんて拾っていません」
「ポケットの中のものを全部出してごらんなさい」
 ポケットをひっくり返すと小さな傷のついた真っ黒い石がひとつだけ転がり出てきた。ほら見なさい、と医者が言った。
「でも、本当に拾っていないんです」
「ポケットに入っていた以上そんなのはどちらでも同じことです」
 医者はその石をためつすがめつして、机の上に置いた。
「もう一度やり直させてあげますから今度こそ石を拾ってはいけませんよ」
 その言葉が終わるか終わらないかのうちに眠気が襲ってきた。眠りに落ちる寸前、医者の顔をどこかで見たことがあるような気が不意にした。深く考える間もなくわたしは目を閉じた。暗転。



 雪の降る音が聞こえるような気がした。
 目を開くと白。遠くに大きく月が見えた。月明かりが反射してあたりは明るい。国道に沿って歩いている。車が何台も何台も横を通りすぎていく。赤いオープンカーが騒音を撒き散らしながら走っていく。すぐ後ろから紺色のワゴン車がクラクションをけたたましく鳴らしながら続いた。道の先にはトンネルがあって、どの車も速度を落とさずにトンネルに吸い込まれていく。トンネルから出てくる車は一台もない。白い車も黒い車も青い車も黄色い車もどんどん飲み込まれていく。
 トンネルの入り口に何か赤い塊があった。花束だ。赤い花ばかりの沢山の花束が山のように積み上げられている。両手で抱えきれないようなものも、一輪だけのものもある。すぐそばに真黒い卵型の石が一つだけ落ちていた。その石を拾い上げると、ぶつけたような小さな白い傷がいくつもいくつもついていた。突然かすかに頭痛がした。この傷がどうやってついたのか、全部を知っているような気がした。けれど何も思い出せない。そういえば石を拾ってはいけないと言われたのではなかったっけ。でも、誰に? ぼんやりと男の顔が浮かんだがそれが誰なのかも思い出せない。
 わたしがその石をそのまま手放した。石はかつん、と地面にぶつかって、ぶつかった部分に白い小さな傷ができた。
 花束の写真立てを拾い上げる。写真立ての中には写真の代わりに鏡が入っていた。中心から放射状に罅が入っている。鏡を除き込んだ。そこに映ったのは橋の上の子供だった。目の中に丸い月が見えた。橋の上の子供は、わたし? 死んだのも、わたし? けれど死んだわたしは夢を見ない。では、これは誰の夢だろうか。あの男は? 私は誰に石を拾ってはいけないと言われたのだったか。
 私を轢いたのは何色の車だっただろう。
 どこかで警報がかんかんかんかん、とけたたましく鳴った。




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