夢十夜




 

 こんな夢を見た。
 魚に触れると死にます、と占い師が言った。
 占い師は妙に骨張った手で大きな水晶玉を撫でている。指の間を埋め尽くすような水かきが、その手の動きに合わせて伸び縮みする。長く伸びた爪が水晶玉の表面に擦れて小さな傷を付けた。水晶玉は妙に柔らかそうに見える。
 どうすればいいのか、と私は問うた。
 一年間魚に触れなければ助かります、触れれば助かりません、と占い師は答えた。
 妻は魚が好きだが私は元来あまり魚が好きではない。よくよく気を付けていれば一年間魚に触れないことなどわけないことだ。本当にそれだけでいいのか、占い師を問い詰めた。本当にそれだけでいい、と占い師は言った。
 人の頭ほどの白く濁った水晶玉を覗き込んでみたが、そこには何が映っているようにも見えなかった。
 テーブルの上には水晶玉の他に何も無い。私の座っている椅子よりもよほど居心地の良さそうなクッションの上に鎮座するそれは、まるで目玉か何かように見えた。占い師は水晶玉から手を離し、左手の甲を右手でがりがりと擦った。鱗のような瘡蓋が白く剥がれ落ちた。
 一年経ったらまたおいでなさい、と鋭く尖った歯を剥き出して笑う。私は黙って部屋を出た。
 外に出ると雨が降っていた。傘を持たないので濡れながら歩いた。行き交う人の色とりどりの傘がすぐ横を通り過ぎていく。一緒にお入りになりますか、と尋ねてくれた人があったが、浴衣の裾を金魚が泳いでいたので断った。気に留めた風でもなく彼女は去って行った。
 家に着くと、妻はちょうど夕飯の支度をしていた。私は占い師の言葉を妻に伝えた。妻はこちらを振り向かずにそうですか、とだけ答えた。だから、向こう一年飯の支度は自分でする、と告げた。妻はやっぱり振り向かずにそうですか、と言った。
 それから一年間白米と野菜と卵ばかりを食べて暮らした。一年が経って、再び占い師のところへ向かった。この日も雨が降っていた。傘はあったがなんとなく濡れながら歩いた。
 途中でふと振り向くと、雨で煙る中を金魚が一匹泳いでいる。少し早足になった。もう一度振り向いた。金魚は追ってくるわけでもなく悠々と泳いで私の後ろをついてくる。しばらく歩いてまた振り向いた。魚は数え切れないほどに増えていた。鯉や鮒や鰹や鮪のようなものもいた。薄気味悪くなってほとんど走るように足を速めた。魚の群れはのろのろと後ろをついてきた。とうとう追いつかれないまま占い師の小屋に駆け込んだ。
 占い師は私の顔を見て、まるで医師のような口調でもう助かりません、と言った。
 何故、と私は叫んだ。一年間魚には触れなかったはずだ。いいえ、触れました。どこで? 一年前に、ここで。
 その水晶玉に触れたでしょう、と魚の顔をした占い師はいやらしく笑った。
 とたんに水晶玉が裏返って、ぎょろり、とこちらを睨んだ。一年前に、好奇心からこの水晶玉に触れてみたことを思い出した。
 自分がとうに死んでいることに気付いた。


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