ひぃ、ふう、みい、よ……。 心の中で呟きながら、ナマエは雑木林の中に蔓延る鬼の気配を探る。 義勇とは林の入り口で分かれてそれぞれが鬼の探索をしているのだが、奇妙なことに鬼の気配は彼方此方に分散しているようだった。 分裂する鬼か、はたまた単純に数が多いのか。 しかしその一つ一つは然程強い鬼のものではなさそうだったので、より多い方を義勇、少ない方をナマエが見て回ることにしたのだった。 暁に鳴く 肆 「隊士ガ一人消息ヲ絶ッタノハ、コノ辺リダ」 上空から舞い降りてきた三統彦が告げる。 ナマエは足を止め、周囲を見回した。 暗がりの広がる林は静まりかえっていたが、四方からは確かに弱い鬼の気配が放たれている。 「出てきなさい。そこに居ることは分かってるのよ」 ナマエは日輪刀を構え、じっと闇の向こうに目を凝らした。 簡単に出てきてくれるとは思っていないが、既に鬼の気配に囲まれている以上闇雲に動いても仕方がない。 向こうもそろそろ距離を詰めたいところだろうとナマエは考えたのだ。 しかし、鬼たちの気配が揺らぐ様子は無い。 「じゃあ……こっちから行くね」 ナマエは日輪刀の鋒を下げて、深く息を吸い込む。 刀身に意識を注ぎ込み、息を吐くと共に走り出した。日輪刀が淡い翡翠色の光を纏う。 一番近い鬼の気配が木陰に隠れたのが分かった。 「丑ノ方角!アト三十尺!」 木々の合間を縫って羽ばたく三統彦が叫ぶ。 それを合図にナマエは大きく軸足を踏み込んで、ひと思いに跳び上がった。 追い風が黒い羽織をはためかせ、振り下ろした日輪刀から鋭い斬撃が走る。 落ち葉が一筋の夜風に舞い散った。 刹那、一面の闇の中に翡翠の一閃が光る。 ナマエを誘き出す為に近づいた小鬼は、哀れにもナマエの顔を見ることもなく木の葉と共に散った。 「残りは三匹……」 ナマエはぐるりと周りを見渡した。 鬼の気配は少し遠ざかり、こちらの様子を伺っているようだ。 ナマエの足元に小鬼の頭が転がってくる。 「仲間は殺した!悔しかったら出てきなさいよ!」 こうなったら挑発して誘き出すしかない。 そう考えたナマエが叫んだ瞬間、僅かに空気が揺らいだ。 鬼が刺すような視線を向けてくるのを肌で感じ、ナマエは日輪刀を握り締める。 早く討伐して、行方不明の隊士たちを探さなければ。 まだ生きているとしたら、早く蝶屋敷に連れて行かないと命が危ういだろうことは予想できる。 もし生きていなくても早く弔ってやらないと。 そう内心で焦るナマエは、気配を見事に殺したまま背後に迫り来る五匹目の鬼に気が付けずにいた。 「ナマエ!後ロダ!」 「きゃあっ!」 三統彦が叫んだと同時に足首を引かれ、ナマエは頭から地面に倒される。 幸い柔らかい土と落ち葉が緩衝材になってくれたものの、まともに衝撃を受けた肋骨が軋んだ。 すぐに上体を起こしたものの、一等大きな鬼がナマエの背後から襲い掛かろうとしている。 ナマエは無我夢中で日輪刀を握り直すと痛む肺に酸素を送り込んだ。 鬼の大きな手のひらが伸びてきて、ナマエの頭を鷲掴みにしようとする。 その鋭い爪が額に当たる直前、ナマエは身体を捻って鬼から距離を取ると日輪刀を切り上げた。 「陸ノ型、黒風烟嵐!」 放たれた鋭い風の斬撃は落ち葉と土埃を舞い散らせ、鬼の巨躯を斬り刻む。 抉れた地面がその威力を物語っていたが、しかし鬼はよろめいたものの吹き飛ばされぬよう耐えていた。 ナマエは体勢を整えて、大きな鬼を睨みつけながら残りの鬼の気配を探る。 どうやらまだ隠れているつもりらしい。 それならばまずこの一匹を先に仕留めなければと結論つけたその時、踏み込んだ左足に痛みが走った。 「いたっ……捻ったかな」 恐らく痛みの発生源は先程鬼に引っ張られた足首だろう。 幸いなことに骨折はしていなさそうだが、力を入れるとズキズキと痛んだ。 目の前の鬼だけでも早く決着をつけないと、あっという間に追い込まれてしまうことは容易に想像できる。 対する鬼は、両手を広げて何やら呟いていた。 それに気がついたナマエが日輪刀を構えた瞬間、三つほど残っていたはずの鬼の気配が十倍以上に増えたではないか。 「なっ、鬼が急に増えた!?」 狼狽えるナマエを見て鬼はニタリと笑う。 その骨張った赤黒い手が柏手を打つと鬼の気配が半分になり、また打つと今度は三倍に膨れ上がった。 「まさか血鬼術!?」 「さあて。鬼ごっこしよう、鬼狩りの女」 ようやく鬼が口を開き、ナマエに向かって手招きする。 この気配自体が幻覚なのかそれとも小型の鬼が作り出されているから分からず、ナマエは術を使った鬼に斬り込んでいくことが出来ないでいた。 しかしここで惑わされることこそが鬼の狙いだとは分かっていたので、鬼の誘いには乗らず痛む足で地面を蹴る。 「弐ノ型、爪々・科戸風!」 「おおっと、やるのは鬼ごっこと言ったではないか」 なるべく鬼と距離を保てる型を選んだものの、やはり軸足が痛むせいで深い斬撃が放てない。 鬼はすんでのところで鋭い風を避けた。 ナマエは追撃するため、次の型を放とうとして走り出した。 しかし足首に激痛が走り、思わず躓いてしまう。 「ほう。鬼狩りの方が鬼の役をやりたいのか?なら喜んで捕まえてやろう」 すぐに立ち上がることのできないナマエに向かって、不気味な笑みを浮かべた鬼が飛びかかってきた。 しかしその時── 「拾ノ型、生生流転!」 鬼の背後からまるで龍のようにうねる波が押し寄せてくる。 「グァァァァァァ!!」 勿論本当に水が押し寄せてきたわけではない。しかし鬼にも、ナマエにも確かにそう見えたのだ。 水流に押しやられた鬼が叫び声を上げる。 そしてナマエが我に返った時にはもう、目の前に鬼の頭が転がっていた。 首を失って尚立ち尽くしたままの巨躯の向こうには、青く輝く日輪刀を振り下ろした義勇が立っている。 義勇の斬撃からはあまりに圧倒的な水の存在感を確かに感じたので、そこに水飛沫の一つも残っていないことが信じられず、ナマエは鬼の身体が崩れるまでしばらく座ったまま呆けていた。 「ありがとうございました」 隊服についた土を払いながらナマエは義勇に頭を下げる。 義勇は頷いただけだった。 待機していた隠たちがいそいそと雑木林の中を駆け回っている。 中には布や鍬を持って走る者も見えた。 「行方不明だった三人は……」 義勇は無言で首を横に振る。 ナマエはそうですかと呟いて拳を握り締めた。 間に合わなかった。助けられなかった。 そもそも自分がどう足掻いても間に合わなかったかもしれない。 しかし助けられた可能性もあったと思えば、ナマエは悔しくて悲しくて堪らなかった。 「俺も随分撹乱された。あの手の血鬼術は厄介なことこの上ない」 あの鬼が使ったのは任意の数だけ小鬼を増やしたり消したりできる術だというのが義勇の見立てだ。 血鬼術を使う鬼が出たのだから、三人も殉職者が出たのも不本意だが納得できた。 しかし到底許せることではない。 ナマエは怒りに震える拳に力を込めて、既にボロボロと朽ち果てている鬼の残骸を睨んだ。 この鬼もかつては自分と同じ人間だったはず。 鬼ごっこを所望し小鬼という仲間を増やすのも、人間だった頃の記憶が元で遊び相手が欲しかったからなのかもしれない。 しかし鬼が殺した人たちは帰ってこないのも事実だ。 ナマエが抱くのは、全ての元凶である鬼舞辻無惨への怒りだった。 無惨が。無惨さえいなければ。 もっと強くならねばと決心したナマエは、隠に後を任せて歩き出した義勇の後を追う。 しかし数歩行ったところで、足首の痛みにより思わず立ち止まった。 「……った、ああもう……」 「無理スルナナマエ」 ナマエの顔の横で滞空している三統彦が言う。 捻挫だとしても甘く見てはいけないと、新入隊員の頃に蝶屋敷で先代花柱に言われたものだ。 「そういえば、足を捻ったのか」 ナマエの前を歩いていた義勇が振り返る。 三統彦の言葉が聞こえていたのか分からないが、ナマエは柱に心配をかけるのが申し訳なくて目を泳がせた。 「ちょっと鬼に……でも、戻るだけなので大丈夫です。ゆっくり歩くので水柱様はどうぞお先に」 すると義勇は空中で羽ばたいている三統彦に視線を向ける。 「お前も何か言ってやれ」 「今無理スルナト言ッタ!」 「そうか」 義勇には先程の三統彦の言葉は聞こえていなかったらしい。 三統彦は、言われなくても先に言ったからなと鼻息を荒くした。 「お前の家までは距離があるだろう。まだ日の出まで時間もある」 「おっしゃる通りです」 じいっと感情の読めない瞳に見つめられて、ナマエは居心地が悪くなる。 確かにここで無理をして怪我を拗らせるのは得策ではなかった。鎹鴉の訓練に穴を開けることもできない。 「あ!確か近くに藤の花の家紋の家があったはずです!今夜はそこのお世話になろうかな」 「ならそこまでおぶっていく」 「はぁ!?」 ナマエは思わず素っ頓狂な声を出して、慌てて口を覆った。 義勇があまりにあっけらかんと言うので、言われたことの内容を何度か頭の中で反芻する。 「いやいや!水柱様にはさすがに」 「しかし隠たちはそれぞれ作業に入っている。今一番手持ち無沙汰なのは俺だ」 「隠の人たちにもこの程度の怪我で迷惑はかけられないですけど……」 「甘エトケナマエ!ドウセ後十分モ歩イタラ痛クナッテ後悔スルゾ!」 三統彦が余計なひと言を言うので、ナマエは思わず自分の鎹鴉を睨む羽目になった。 しかし三統彦はどこ吹く風、主が怪我を悪化させるよりは目上の者におぶられるという辱めを受けさせた方がマシだと考えている。 「ソウジャヨナマエ。義勇ハ力持チジャカラ安心セイ」 寛三郎までもが加わって、三対一となったナマエはしばらくその場で唸った。 「うううーん……」 するとお構いなしにナマエの前で義勇が腰を屈め、背中を向けてくる。 「ほら。どうせ暗くて周りからは見えない」 ナマエの右には三統彦、左には寛三郎。 逃げることも許されず、ナマエは観念して渋々義勇の肩に両手を置くのだった。 [back] |