夜空に響き渡る鴉たちの声。 しきりに伝令を繰り返す彼ら自身も混乱しているようで、ひたすら与えられた台詞を叫び続けている。 「緊急招集!緊急招集ッ!」 「産屋敷邸襲撃ィーッ!」 訓練所の鴉たちの元にその知らせが舞い込んできたのは今しがたのことで、日輪刀の手入れをしていたナマエはその声を聞いた途端弾かれるように自宅を飛び出した。 「本当なの!?」 「カァ!ミョウジナマエハ全テノ鎹鴉ヲ連レテ本部へ参上セヨ!」 伝令の鴉がナマエの前でそう声を張り上げる。 ナマエは三統彦と顔を見合わせてから、訓練所で育てている全ての鴉を呼び始めた。 暁に鳴く 弐拾伍 鎹鴉たちを伴って雑木林を駆けるナマエの額からは、拭うことすら忘れられた汗が滴り落ちている。 今宵は、ここ最近にしては珍しく風が強い夜だ。 他の呼吸を使う隊士に比べれば風の流れに敏感なナマエは、半刻ほど前から得体の知れない不安感を覚え窓の外を眺めていたところだった。 訳もなく沸き起こる胸騒ぎに暗い外の景色を見つめても、勿論そこには鬼の気配など微塵も無かった。 風が揺らす木々から舞い散る落ち葉だけが、時折闇夜の中で月の光を受けて光るぐらいで。 そんな折に飛び込んできた火急の知らせは夢にも思わないような内容だった。 全ての鬼殺隊士が敬愛し忠義を尽くす産屋敷家に、何者かが襲来したというのだ。 「お館様、あまね様……輝利哉様たちもどうかご無事で……」 祈るように胸に手を当て、ナマエは肺の底から息を絞り出した。 隠された場所にある産屋敷邸に襲撃してくるなど一体何者の仕業なのか、まだ明確なことは伝えられていない。 しかし鎹鴉たちを連れて来るような達しがあったことといい、異常事態であることだけは疑いもない事実だった。 しばらく駆け続けた後、産屋敷邸へと続く森に差し掛かったナマエの耳に凄まじい轟音が届く。 「何の音!?」 彼女が先陣を切って飛ぶ三統彦に問いかけたのと同時に、前方から木々が激しく流れる音と共に熱風がまるで津波のように押し寄せてきた。 「前方ニ爆煙ッ!」 風圧に負けじと翼を羽ばたかせる三統彦が叫ぶ。前方にあるものは、産屋敷邸以外に考えられないだろう。 ナマエは顔の前に腕を出して飛んでくる土埃や小石を防ぎながら、遠くから自分が引き連れてきた鎹鴉ではない鴉たちの鳴き声が聞こえて来るのを感じ取っていた。 「他に誰か来てる!?」 「クソッ、煙ガ凄クテ先ガ見エネエ!」 ナマエたちがいる場所は運悪く産屋敷邸からすると風下に当たり、爆音が止んだ後もなかなか煙が引かない。 煙を吸い込んでしまわないよう羽織の袂を口元に当て、ナマエは薄らと目を開けた。 周りで鴉たちの咳き込む声とは別に、確かに前方からは風柱付きの爽籟のものと思われる声が聞こえてくる。 さらに遠くからは剣戟の音も微かに聞こえてくるようだった。 「戦ってるのは風柱様!?」 「待テ、ヨウヤク見エテキ……ッ、ナンダト!?」 「どうしたの三統彦!」 徐々に煙が晴れてきて、ナマエも遂にしっかりと目を見開くことができた。 しかし深い森の中にいて遠くを確認することができないので三統彦を頼るが、彼は唖然と前方を見つめているばかりだ。 「ねえ、何が見えるの?そっちはお屋敷でしょう!?」 「屋根ガ……、建物ガ吹ッ飛ンデ……」 「えっ!?」 「中心ニ誰カ居ル!隊士ジャネエ!」 「どういうこと!?お館様は!?」 夜目が効くよう訓練された三統彦の目には、崩れた屋敷の中心に異様な存在感を放つ「何か」が映る。 その周りを囲む無数の黒い荊のような棘は、「何か」を拘束しているように見えた。 「多分襲撃者ダ!」 しかし三統彦がそう叫んだ瞬間のこと。ナマエは突如目眩を感じたかと思えば足元の地面が歪むような感覚を得る。 思わず下を向くと、先ほどまでは土しかなかったはずの地面には何故か障子が現れていた。 「これは何っ!?」 どこからとも無く響き渡る三味線の音色。 次の瞬間その障子が開かれて、立つべき地面を失ったナマエは重力に逆らうことができず落ちていく。 「ナマエッ!」 慌ててナマエの横へと飛び込んできたのは三統彦だったが、他の若い鎹鴉たちは反応が遅れ慌てふためいている。 ナマエが元いた場所を見上げると、障子の引き戸の間にはもうわずかな隙間しか残されていなかった。 「みんなはお館様のところへ!」 それだけ叫ぶのが精一杯で、やがて訪れるであろう衝撃に備えてナマエは身を縮める。 鴉を連れて来るように伝令があったぐらいだからきっと彼らを待っている人がいるはずだ。 まだ半人前ではあるものの、手塩にかけて育てた鴉たちだからこそ必ず産屋敷家の助けになるであろうと信じて。 「いたた……」 受け身を取ったものの硬い地面に投げ出されるように着地したナマエは、痛む足腰を摩りながらよろよろと立ち上がった。 随分高いところから落とされたものだと天井を見上げると、そこには天井のようでいて床のような、それでいて壁のような不思議な景色がずっと上まで続いている。 「このちぐはぐな建物は何なの?」 「アチコチ戸ヤ階段ガアルナ」 ナマエの肩に止まった三統彦も同じように辺りを見回した。 ナマエも三統彦も、この不可解な場所一面に立ち込める鬼の気配を感じ警戒する。 「他にも隊士がいないか探そう……っ、待って三統彦」 慌てて口を噤んだナマエは日輪刀の柄に手を伸ばす。 彼女が睨みつける先には、半開きの襖の影から覗くおぞましい姿が見えた。 「早速出タナ!」 「風の呼吸、弐ノ型っ!」 ナマエは大きく息を吸い込んでから翡翠に光る日輪刀を振りかぶる。 「爪々・科戸風!」 放たれる斬撃はまるで研ぎ澄まされた爪の一撃のように、鬼が隠れる襖ごと辺り一帯を抉った。 図体こそ大きいものの決して素早くはなかった鬼はあっという間に身体と首を二つに分けられ砂のように消える。 しかしナマエには一瞬でも油断する暇は与えられないようだ。 「参時ノ方角ダッ!」 「伍ノ型、木枯らし颪!」 「後ロモ!油断スルナ!」 「分かってるって!晴嵐風樹っ!」 四方から迫り来る鬼の大群に風の刃を繰り出しながらナマエは歯を食いしばる。 風の呼吸は他のものと違い本当に旋風を巻き起こすので、自身が体勢を崩さないよう耐えなければならないのだ。 当然使い手への負担も大きいので、柱でもなければそうそう使い続けられるものでもない。 「一旦下ガルカ?」 「死角はありそう?」 鬼から視線を外せないナマエに問われ、三統彦は後方を確認する。 すると遠くに、鬼のものにこそ変わりはないが不思議な存在感を放つ存在が見えた。 「隊士ガイル!ダガ鬼ノ気配モアル!」 「どういうこと?竈門君と禰󠄀豆子さん?」 「一人ダ。コッチニ来ルゾ!」 その隊士に見える誰かはよく見れば他の鬼に追われているようだ。 しきりに後ろを気にしながら、他に行き場がないようでナマエたちの元へと駆けてくる。 前方の鬼たちを風圧で薙ぎ払ってから、ようやくナマエも振り向いてその姿を確認した。 鬼の気配を纏った若い隊士は、青磁とも殿茶とも取れるような珍しい薄い色の髪をしている。 ようやく隊士の方もナマエを知覚したらしく、目が合うと菫色の瞳を丸くして叫んだ。 「お前っ!早くこいつらを斬れ!」 「えっ、私?」 「マァ、ナマエシカイナイヨナ」 助けてくれと言われるならまだしも早く斬れと言われ、ナマエは思わず唖然としてしまう。 しかしすかさず口を挟んだ三統彦のお陰で我に返ると、慌てて日輪刀を握り直して向かって来る少年の方へと走り出した。 「避けて!」 「良いから早くしろ!」 「……っ、塵旋風・削ぎ!」 人を食う以外の意思を持たない下級の鬼の大群に向け、ナマエは虚空に日輪刀を振りおろす。 翡翠の光を纏った刀身からは無数の風の刃が放たれ、少年隊士は頭を下げて器用にそれを避けながらナマエの隣へと滑り込んだ。 斬撃は余すところなく鬼の身体を斬りつけ、次々と首を落としていく。 数は多かったものの運良く強力な個体はいなかったらしく、何度かナマエが攻撃を放ったことで追いかけてきた鬼は遂に駆逐されたようだった。 「大丈夫?」 滑り込んできたまま屈んでいる隊士は、あれだけ必死に走ってきた割に特に息を切らしている様子もない。 疑問に思いつつナマエは手を差し伸べるが、彼はその手は取らずすっくと立ち上がった。 「あなた……鎹鴉は?」 ナマエは見覚えのない隊士の顔をまじまじと見ながら怪訝な表情を浮かべる。 彼は鴉を連れていないが、どの鎹鴉を連れているか分かれば隊士の人となりを把握できるはずだと考えたからだ。 もしもこの少年が本当に鬼殺隊士なら、だが。 「ふん、分かってるようだな」 「今はしないけど、最初は少し鬼みたいな気配がしたから」 「クソ、突然落とされたせいだ。だから隊士のふりなんてしたくなかったのに」 少年は吐き捨てるように言う。 その口振りから平常時は鬼の気配を抑え込んでいるらしい。 どうやら彼は望んで隊服を着ているわけではないようだが、その背中には隠や救護役の隊士が使うような木箱が背負われていた。 「私はミョウジナマエ。君は?」 「……愈史郎だ」 「愈史郎くん?あなたは鬼なのよね?」 「ハァ、お前にいちいち説明するほどのことでもない。俺は鬼だがお前らなんて食わない。不本意だが鬼殺隊の救護をしろと仰せつかってきた」 愈史郎と名乗った少年は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて言う。 どうやら人間が嫌いらしいが、害意はないと判断したナマエは日輪刀からそっと手を離した。 「それなら、仲間ってことだよね。よろしく愈史郎くん」 「本当に不本意だがな……だが、俺が鬼だと知ったからには協力しろ」 愈史郎は頭が痛いと言わんばかりに、額に手を当てて首を横に振る。 ナマエはどうやら彼とすぐには仲良くはなれなさそうだと察し、それでもこの得体の知れない場所でようやく出会えた共闘者に心の中で感謝した。 「私もここから出たいし、お館様のことも心配だから状況が知りたい。何か出来ることはある?」 「まずはこの紙を、お前たちが使っている鴉につけたい」 そう言って愈史郎が取り出したのは不思議な紋様が描かれた白い紙だ。 それは何十枚と重なっており、全て同じ柄だった。 「試しにつけてみろ」 愈史郎は、何に使うのかと思って見ていたナマエにその紙を一枚を差し出す。 彼女はそれを無言で受け取り、恐る恐る言われるがまま額につけた。 「……何これ!?輝利哉様……っ!」 「呼びかけても無駄だ。共有できるのは視覚だけだから」 ナマエの視界には目の前の景色ではなく産屋敷耀哉の長男である輝利哉が映っている。 その両脇には彼の姉妹と、後ろには引退したはずの宇髄の姿も見えた。 「音柱様まで!これは本部の光景なの?でもお館様は!?」 「お前たちの主は……死んだよ」 「えっ……!」 思わず紙を顔から外し、愈史郎に顔を向けたナマエは目を見開く。 彼が冗談を言っているわけではないことは、その表情からはっきりと伺うことができた。 「爆死だ。鬼舞辻無惨を巻き込んで、妻と子供二人一緒に屋敷ごと爆破した」 ナマエは言葉を発することもできず、信じられないといった面持ちのまま立ち尽くす。 産屋敷耀哉は元々余命幾ばくもないと言われていたが、それでもナマエたち鬼殺隊士の心の拠り所であった。 その妻あまねや、彼の子供たちも同様に。 「襲撃者は無惨だった。俺の……大切な人も今奴と戦っている」 続いて愈史郎が告げた事実には更に驚かされるも、最後に呟かれた言葉を聞きナマエはようやく口を開いた。 「あなた、もしかして珠世という鬼の仲間?」 「……軽々しく珠世様の名前を口にするな。そもそもなぜお前が珠世様を知っている」 訝しげな愈史郎に、ナマエは腕に止まった三統彦を撫でながら答える。 「お館様の鴉から聞いたの。私、鴉たちの訓練士をしているから」 「なるほど……あの小賢しい鴉はお前の差し金だったのか」 「……あの子があなたたちの平穏を壊してしまったなら謝る。けど、無惨を倒すためにはあなたの大切な人の力が必要だったの」 ともすればナマエに飛びかかりそうなほどの怒りを露わにしたが、それでも愈史郎は固く拳を握りしめ顔を背けるだけだった。 「……分かってる。珠世様も、ずっとそれを望んでいた」 鬼舞辻無惨を倒す。 それは無惨によって悲痛な思いを味わった、全ての人たちの願いだった。 鬼殺隊本部にいる耀哉がおそらく新しい当主として自分達を導いてくれようとしていること。 彼らと鎹鴉の視覚を共有して情報を伝え合うこと。 そのためにナマエが鴉たちを連れてくるように言われていたことなどを、愈史郎との会話によってナマエは理解した。 「行こう、愈史郎くん。私、鎹鴉のことなら多分鬼殺隊の中で一番詳しいから」 愈史郎の紙は、飛ぶのが速い鴉から優先してつけていくのが良い。 空間把握が得意な鴉や他の仲間に紙を配ることのできるより賢い鴉も探せばきっとこの場所に来ているはずだ。 ナマエがそう話せば、愈史郎は紙の束をナマエに手渡した。 「珠世様は決死の思いで戦われているんだ。お前も死ぬ気でやれ」 受け取った紙を三統彦の首元につけながら、ナマエは力強く頷く。 「私の大切な人も、きっとこの中のどこかで戦ってると思う」 この空間が鬼舞辻無惨の差金によるものなら、おそらく今夜が最終決戦になるだろうという予感を二人ともにひしひしと感じていた。 再び周囲に鬼の気配が募り始め、ナマエは背筋に湿気を帯びた悪寒を感じ日輪刀に触れる。愈史郎も辺りを警戒しながら両手を前に構えた。 「三統彦はその紙をまず配って、みんなにも届けてもらって」 「分カッタ。無茶スルナヨ」 紙の束を咥えて三統彦が飛び立った瞬間、ナマエは日輪刀を引き抜き片足で踏み込む。 「義勇モ探シテオク!」 そんな声を背中に受け、なんとも頼もしい相棒を持ったものだと思いながらナマエは日輪刀を一閃薙ぎ払った。 [back] |