愈史郎が傷だらけの我妻善逸を背負って戻ってきたのはそれからすぐのことだった。
善逸は特に顔面に酷い傷を負っていて、ひび割れたようなその傷跡はどうやら血鬼術によるものらしい。
愈史郎が血鬼止めや止血剤を駆使して治療をする傍ら、ナマエは少し離れた場所で辺りを警戒していた。

「ナマエ!ココダッタカ!」

そこへ舞い降りてきたのは三統彦だ。
彼は珍しく息を切らして、ナマエの目の前に降り立った。

「三統彦!おかえりなさい!」
「義勇ニ会ッタ。アイツハ無事デ、竈門炭治郎ト一緒ダ」
「良かった……」

ナマエは思わず三統彦の前に屈み込み、その艶のある身体を抱きしめる。
ただでさえこの場所にいると不安な気持ちになり、慣れ親しんだ三統彦と僅かな時間離れることすら神経を擦り減らす原因となっていた。

三統彦はそんな主人の疲弊を感じ取り、穏やかな口調で彼女の頬に頭を擦り付ける。

「オマエノ安否ヲ気ニシテタ。心配スルナト言ッテオイタカラナ」
「義勇さんが?」
「ソリャアイツハナマエガ心配ダロウカラナ」

彼の無事を確認できたとともに自分のことを少しでも考えてくれたのだと分かり、ナマエからも三統彦に頬を寄せて目を閉じる。

「ありがとう、三統彦」
「俺タチ、相棒ダロ」

頼もしい鎹鴉にナマエは自然と笑みを溢す。
この殺伐とした空気の中にあって、少しだけ気持ちが解れた瞬間だった。

しかし鬼がいつ出てくるか分からないので長いことそうしている訳にもいかず、やがてナマエは三統彦から身体を離すと立ち上がった。

「義勇さんの期待を裏切らないようにしないとね」
「ソレハ、オマエラオ互イ様ダロ」
「あの方は強いもの」

ナマエは義勇を信じている。
互いに明日を生きられるか分からない身だから将来を誓い合うことはしていないが、ただ無防備に命を投げ打って戦っているわけではない。
二人とも潔く戦って死ぬ覚悟は出来ているものの、最後の一瞬まで生き抜くことを諦めてはいない。

少し前までの義勇なら違ったかもしれないが、今は二人とも同じ気持ちだった。
生きて、肩を並べて朝陽を浴びたい。そう願うからこそ、別々の場所で戦おうと誓ったのだから。

「ミョウジ助けてくれーっ!」

後方から助けを求める声が聞こえてきたのでナマエが振り向くと、愈史郎と善逸がいる位置を挟んで反対側で村田たちが日輪刀を抜いているのが見えた。
どうやら向こう側に鬼が出たらしい。

「アイツラハ世話ガ焼ケルナ」
「助けなきゃ。村田くんに何かあったら義勇さんだって悲しむよ」

ナマエがはそう言いながら羽織を翻し、鬼を見据える。
声が届いていたことに気がついた村田が、決死の思いで再び叫んだ。

「ミョウジーっ!」
「今行く!」

ナマエは村田に向かってそう叫んで走り出す。
翡翠の刃を煌めかせ、いつの日か義勇に言われた舞い風のように素早く鋭い一閃を繰り出しながら。


暁に鳴く 弐拾漆


一方その頃、義勇は炭治郎とともにとある鬼と対峙していた。
鬼の名は上弦の参・猗窩座。
かの煉獄杏寿郎を屠った、炭治郎とは深い因縁がある鬼だ。

その猗窩座と幾度か攻防を繰り返した末、猛烈な蹴りを受けた義勇は隣の隣の部屋の壁まで吹き飛ばされてしまっていた。
今は炭治郎が猗窩座と死闘を繰り広げている。
猗窩座は義勇が今まで戦ってきたどの鬼よりも強く、どの鬼よりも戦いを楽しんでいるように見えた。

「くっ……、上弦の参……」

義勇は壁に凭れかかったまま辺りを見回した。
彼の周囲は一面崩がれた壁や抉られた畳で散らかっており、自分がこの場に叩きつけられた時の衝撃の強さを思い知る。

執拗に自分の名を知りたかった鬼は、弱い者を嫌い虫唾が走るとまで言い放った。
義勇にはそれが許せない。

自分だってかつては弱い存在だったし、彼だけでなく人間なら誰だって同じだからだ。
支えてくれる存在、明日を生きるための理由となる存在があるからこそ戦い続けられる今、義勇はただ武が強い者だけを認めんとする猗窩座の考え方が気に入らなかった。

とはいえ、上弦の参ほどの地位にある鬼はとてつもなく強い。
あの煉獄杏寿郎ですら敵わなかったのだから、簡単には頸を切ることが叶わない相手であることに間違いはなかった。

「炭治郎の元に、戻らないと……」

義勇は呼吸により止血をしながら自分の身体に精神を集中する。
主要な部分ではないにしろいくつか骨が折れていそうだった。
打撲の程度は計り知れず、全身がズキズキと痛んでいる。

だが義勇にはここで回復を待つ時間は無い。
いくら炭治郎が実力を上げたと言っても、体力がほぼ無尽蔵とも言える上弦の鬼と一対一で長持ちする訳がないのだ。

──立ち上がれ、冨岡義勇。

深く呼吸し、痛みで震える脚に力を込める。
こんなところで負けられない。
猗窩座を取り逃がせばこの屋敷のどこかにいるナマエに危害が及ぶ可能性もあると思案し、義勇は気持ちを奮い立たせた。
彼は自分が行くまでナマエを頼んだと、三統彦と約束したばかりだ。

幸いあれだけの攻撃を防いでも日輪刀は折れていないようだった。
刀鍛冶に感謝しつつ、義勇はよろよろと立ち上がる。上弦の参を、必ずここで倒すために。

「ナマエ……どうか無事で」

まだすぐにはお前の元へ行けそうにはないと、心の中に愛する女の姿を描く。
最後にしかと抱きしめた温もりを思い起こせば、痛む身体を持ってしても今まで以上に強くなれるような心持ちがした。

帰る場所、守るべきもの。
どちらも二十一年の人生の中で彼の手から幾度となく零れ落ちたものだ。
しかし今度こそはと、義勇は日輪刀を握りしめる手に力を込め軸足を踏み込んだ。
身体が、血潮が、頬が。
心なしか、熱く燃え滾るような感覚が湧き立った。


「おい、ナマエ」

鬼を斬り伏せ、刀を鞘に収めるナマエの背後にはいつの間にか愈史郎がいた。
驚きこそしなかったものの何事かと彼女が振り向くと、少し離れた場所にいる村田たちを横目で気にしながら愈史郎が耳打ちする。

「お前の探していた男が上弦の参と戦っている」
「えっ……!」
「炭治郎も一緒だ。なかなか手こずっているようだな」
「義勇さんが上弦と……」

ナマエは上弦の参について、煉獄杏寿郎ですら倒すことが叶わなかった鬼だということは知っていた。
煉獄が無限列車での任務から帰らぬ人となった次の夜、事の始終を見届けた要からは肉弾戦に秀でた戦闘狂のような鬼だったと聞いたはずだ。

そんな上弦の参が、あの日煉獄と共に任務に赴いていた炭治郎の前に現れたことには因果を感じるほかない。
そこに義勇がいるのだからすぐに炭治郎がやられてしまうとは思わないものの、元々柱三人分の強さと言われる上弦の中でも上位半分に入る第三位だ。簡単に倒されてくれる訳はない。

「行きたいか?」

猫のような愈史郎の瞳にじっと見つめられ、ナマエは自分の気持ちを確かめてみる。
勿論義勇のことが心配だし、一目でも彼が生きて戦っている姿を確かめたいという思いはある。
だがナマエは首を横に振った。

「私が行っても足手まといになるかもしれないし、義勇さんと炭治郎くんはきっと勝てると信じてる」

そうこうしているうちにまた、ナマエ達のいる区画に鬼の気配が這い寄ってくる。
離れたところで村田や竹内も日輪刀を構えていた。

「それにね、愈史郎くん」

ナマエは愈史郎と、その後ろで横になっている善逸を庇うように立つ。
まだ鬼とは距離があるので、相手の出方を伺うことにしていた。

「彼も、今私がここでできることをしろって言うと思うの」
「何故だ?恋人なら共にありたいと思わないのか」

愈史郎はそう問いながらナマエの横顔を見上げる。
彼女の視線は鋭く鬼を睨みつけているが、その頬は僅かに緩められていた。

「いつか共に生きることが出来るように、それぞれの場所で戦うと誓ったから」

愈史郎は言葉を返せなかった。
自分も愛する人と離れたところで戦っているし、もしかしたら彼女とは今生の別になるかもしれないという予感すらあった。
むしろ珠世はそのつもりで愈史郎には着いてくるなと言ったわけで、彼だってそのことは分かっている。
だから自分の立場はナマエとは違うとも理解しているものの、それでも少しだけナマエに共感してしまったことに気がついたのだ。

愈史郎は無言のまま善逸の元へと戻ると、呼吸を整え集中し始めたナマエの後ろ姿をじっと見据える。
泣き言を言わず惚れた男を信じ抜く彼女の背中は、見た目よりも随分と大きく見えた。


上弦の参・猗窩座を冨岡義勇、竈門炭治郎両名が撃破したとの連絡が入ったのはそれから少し経ってからのこと。
怪我により動けない善逸を背負った村田が一瞬の気の緩みから下の階層へ落ちてしまい、ナマエや愈史郎たちが彼らの安否をようやく確認した頃だった。

猗窩座撃破の伝令と共に伝えられたのは、激闘の末義勇も炭治郎も共に疲弊し気絶してしまったという知らせで。
ナマエはその文末までを聞き届ける間、生きた心地がしなかった。

「二人は、無事なんだよね……」
「アア、今ハ気ヲ失ッテルガ周リニ鬼ハイナソウダ」

知らせてくれた鎹鴉と視覚を共有している三統彦が、ナマエの肩に止まって勇気付けるように彼女の髪を食む。
義勇たちの居場所はここから遠く、すぐに駆けつけられるような距離ではなかった。
ナマエの隣では、愈史郎が目を瞑り三統彦と同じように義勇たちの姿を視ている。

「ああ、ようやく顔を確認できた。これがお前の恋人か。髪の長さと羽織の柄は確かに言っていた通りだな」

愈史郎はふん、と鼻を鳴らす。

「……かんばせだって私が言った通りでしょ」

ナマエが横目でわざとらしく睨むと、彼は答えずに目を開けた。
そして、血鬼術の紋様が描かれた紙を差し出す。

「自分でも見たらどうだ。会いたかったんだろう?」

ナマエはその紙をしばらく見つめてから手を伸ばしたが途中でその手を止め、受け取ることはしなかった。

「やっぱりやめておく。必ず会えると信じてるから」
「ふん。意地っ張りな女」

愈史郎は心底面倒臭そうに大きな溜め息をつき紙をしまう。
三統彦が抗議の声を上げたが、ナマエ自身がそれを制した。

「でもお願い。二人に危険が近づいたらすぐに教えて」
「気がついたらな」

そう言って愈史郎は前を向くと歩き始めた。
それから辺りを警戒していた竹内たちに声をかけ、先を急ぐと告げる。

「ッタク、口ノ悪ィ餓鬼ダ!」
「三統彦も負けてないと思うけど」

いつだって味方してくれる相棒に心の中で感謝しつつ、ナマエも愈史郎達の元へと向かう。

「義勇さんに会えるまで、私は必ず彼らを守ります」

前を行く仲間の背中を負いながら、ナマエは祈るように胸の前で手を組んだ。

 
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