とてつもない気まずさの中、ナマエは義勇の背中で縮こまっている。
確かに寛三郎の言う通りで、義勇はナマエを背負っても普段と変わらない歩調を保っていた。
しかし単純に目上の人間の世話になっていることが申し訳なかったし、一応自分は嫁入り前の女だという自覚はある。

そうは言っても捻った足首は時間が経つにつれ痛みを増していて、今降ろされて一人で歩けと言われれば歩くしかないものの辛いだろう。
ナマエは義勇の優しさに感謝しつつ、極力迷惑にならないよう静かにおぶられていた。


暁に鳴く 伍


「ミョウジは風の呼吸の使い手だったんだな」

しばらくの間沈黙を貫いていた義勇が口を開く。雑木林からはあと少しで抜けられる程の場所までやってきた頃のことだった。
鬼が出やすい辺りは過ぎたので、少し気持ちを和らげたのだろう。

「あまり風の印象が無かった」

義勇には悪気がある素振りもなく、ただ純粋に思ったことを述べたのだろうとナマエにも分かる。
同期入隊とは言え柱まで上り詰めた義勇が、特別早い出世をしているわけでもないナマエを認識する機会はこれまでに無かった。
ナマエの方は何度か義勇が戦う姿を遠巻きに見たことはあるものの、その場は義勇一人で事足りてしまうので共闘する必要も無かったのだ。

「どちらかと言えば水か、水の派生かと思ってた」
「そうですか?」
「いや……決めつけは良くないな。すまない」

義勇の声色が僅かに沈んだ気がして、ナマエはそんなことないと首を横に振る。
ナマエが思うに、冨岡義勇という男は言葉数が少ないせいで相手に誤解を与えやすい性質なのだろう。
鬼殺隊士なら皆自分の呼吸の型に自負を持っているだろうから、人によっては気に障りかねない発言ではある。
ナマエとしては、義勇が自ら柱を務める型に適していると見立ててくれたのは悪いことではないと捉えていた。
義勇が世辞を言う性格にも思えないので、素直に褒め言葉として受け取ることにしたのだ。

「水柱様から見て適性があるなら、水の呼吸を選べば良かったです」
「……風が合わないと言ってる訳じゃないからな」
「すごく嬉しいですよ。ふふ、ありがとうございます」

物静かな義勇が前言についてなんとか悪い印象を与えないよう試みているのだと気がつき、ナマエは小さな笑みをこぼした。
遥か目下の者に対してそこまで真摯になる必要もないのにと思いつつ、内心やはり嬉しいナマエである。

「でもちょっと聞きたいです。水柱様の中で、風の呼吸ってどんな印象なんですか?」

風より水の印象があったと言われれば、その理由が気になるのは自然だろう。
ナマエは藤の花の家紋の家まで無言でいるよりも何か会話をしていた方が気まずさが和らぐと思い、義勇にそう問いかけた。
すると義勇はナマエをおぶり直してまっすぐ前を見据えると、少しの間考える素振りを見せる。

「……不死川のような気性を想像していた」
「不死川、って風柱様のことですよね?」

義勇は無言のままこくりと頷いた。不死川実弥は義勇と同位である柱の一員で、ナマエと同じく風の呼吸の使い手である。

「不死川と比べるとミョウジはかなり穏やかに見える」

義勇があくまで真面目な調子で言うので、ナマエは思わず噴き出しそうになった。
確かに不死川実弥という男は苛烈な性格をしており、一般の隊士たちの間でもそれは有名だ。
元より風の呼吸はより攻めに向いた型と言われていて、使用する隊士も気性が荒っぽい者が少なくない。
なので義勇がそう思うのも責められないことだとナマエには分かっていた。

「今はそう見えているだけかも?」
「そうなのか!?」

あまりに義勇が驚くので、ナマエはまた可笑しくなって声を殺して笑う。

「ふふっ……だって、鴉は風を切って飛ぶじゃないですか」
「それは確かに」
「だからこそ、私は風の呼吸が自分に一番向いてるんじゃないかと思ってます」

義勇は、ナマエが実弥のように烈火の如く怒りを露わにする場面を想像した。しかし上手く想像することが出来ず首を傾げる。

「不死川の印象が強すぎて、やっぱり想像がつかないな。ああ、でも……」

義勇は林を抜けていく夜風を頬に感じながら、ざわざわと揺れる木の葉を見上げた。

「不死川が大嵐だとすると、ミョウジは舞い風のようだと思う」
「舞い風、ですか?」

舞い風というのはつむじ風の別名で、晴れた空に突然巻き起こる強い風のことである。ナマエは自らの性格や剣捌きを思い返してみて、そんな大層なものじゃないのにと呟いた。

「……気に障ったなら謝る」
「いやいや、むしろ褒めすぎな気がします!」

ナマエは大袈裟に動いて義勇に負担をかけないよう気をつけながらも、気に触る訳が無いと分かって欲しくて首を横に振る。
義勇はそれなら良いと、また静かになってしまった。

「舞い風かぁ……」

ナマエには、義勇がどうしてそう例えたのかはまでは分からない。
しかし悪い意味ではないことは分かっていたし、むしろ世辞を言われているのではないかと思うほどだった。
ナマエはどこかくすぐったい気持ちになって、黙々と歩き続ける義勇の肩に額を預けた。


「夜分にすまない。鬼殺隊の者だ」

やがて辿り着いたのは、軒先に藤の花の家紋が入った暖簾を下げた家だ。
義勇が戸口に向かって声をかけると、すぐに中から中年の男が顔を出した。

「これはこれは水柱様!と、そのお背中は……!?」
「怪我をしている。悪いが朝まで休ませてもらえるだろうか」

男はこの家の主人だった。義勇の事は何度か顔を見て知っていたので、礼儀正しくも無口な彼がその背に女を背負っているのに驚きを隠せないでいる。
しかしそれでも二つ返事で快諾し、すぐに家の者を何人か呼び寄せ、義勇を中へと案内した。

「水柱様、あと少しなので自分で歩きます」

この家の女中たちが義勇の背中からナマエを受け取ろうとするので、居た堪れなくなったナマエは声を上げる。
足を捻っただけで折れている訳でもないのに、義勇も女中たちも大袈裟だと思うナマエだった。しかし義勇は首を横に振る。

「あと少しのところで躓いたらどうするんだ。
彼女は俺がおぶっていくから気にするな、それより手当に必要な物を用意してもらえるか?」

ナマエの申し出を否定するだけではなく周りの女中たちにもそう言ってのけると、義勇はスタスタと廊下を歩いた。
実際に、この方が女中たちがナマエを運ぶよりも大分早いはずだ。

「申し訳ございません……」
「あと少しだから別に変わらない」

自分が口にした『あと少し』を逆手に取られ、ナマエにはもう言い返す術が無くなってしまう。
そのまま畳の部屋に降ろされるまで、ナマエは大人しくしているほか無かった。


「かなり腫れているな」

女中に手当を受けるナマエの足首を見て義勇は顔を顰める。そこは赤紫色に鬱血し、反対側の足と比べて蓋周りは膨れていた。

「鬼に思い切り引っ張られてしまったので……」
「折れなかっただけましだと思った方が良いな」
「情けないです、本当に」
「そういう事を言ってるわけじゃない」

柱に迷惑をかけたからとナマエは始終恐縮していたが、義勇としては大事が無かったのだからそれで良いのだ。
救援が間に合わず亡くなってしまった隊士たちのことを思えば歯痒くもどかしい気持ちになるが、自分自身が無事に帰って来れたのだから素直に喜べば良いのにとも思った。
ただし、それは今までに他の柱や仲間達が義勇自身に抱いた想いと同じであることには気がついていない。

それからしばらくの間、義勇はナマエの手当てが終わるまでその様子を眺めていた。
女中が丁寧に包帯を留めたのを見届けると、義勇は踵を返して退出しようとする。

「水柱様……」
「朝餉までゆっくり休むと良い。風呂も用意してくれるそうだ」

階級も性別も違うので、勿論義勇には別室が用意されていた。

「今日はご迷惑をおかけしました……ここまで連れてきてくださって、本当にありがとうございます」

ナマエは義勇の背中に向け、三つ指をついて深々と頭を下げる。
義勇は振り返らず、一呼吸置くと襖を開けて部屋から出ていった。

「素敵な方ですね、水柱様」

薬箱を片付けながら、女中がナマエに向けて言う。対するナマエはきょとんとした顔で女中を見た。

「鬼を沢山倒して、怪我をしたミョウジ様をここまでおぶっていらっしゃったのでしょう?それに今だってミョウジ様の身を案じてらっしゃったじゃないですか」

ナマエの親ほどの年齢と思われる女中は朗らかに笑う。

「勘違いなさらないでねミョウジ様。私には愛する夫がおりますから!」
「あ、そうなんですか?」

勘違いも何も突然の話題に虚を突かれていただけなので、ナマエは満面の笑みを浮かべる女中に向けて生返事を返した。

「水柱様は口数こそ少ないけどお顔立ちも整ってらっしゃるし、お部屋も綺麗に使ってくださるし、ここの家の人間は皆尊敬しておりますのよ」
「なるほど。確かに、静かな方だけど冷たくないどころかとてつもなくお優しい方ですよね」

ナマエは決して多くはない交流の中でも義勇の人柄が朧げに見えてきた気がしていたので、思っていることを素直に口に出す。
女中の明るく話しやすい雰囲気も後押しした。

「ああいう殿方はさぞ引く手数多なんでしょうねぇ。けど決まった方がいたなら他の女子を背負ったりしないかしらね?」
「さあ……どうなんでしょう?」

義勇の私的な事情については知り得る余地も無いナマエだったが、家に赴いた時に義勇にはおそらく恋人のような存在はいないだろうということは薄々感じていた。
物が少なく、義勇と寛三郎以外の気配もなく、更には寛三郎の看病を務める相手もいなかったのだから。

しかし義勇だけではなくそれが鬼殺隊士たちにとっての『普通』なのだ。
勿論現役の頃から世帯を持つ者もいるが、いつ死ぬかも分からない身で誰かと恋仲になるというのはナマエにとって別世界の話であった。

「私は色恋についてはからっきしなので、人のことになると余計分かりません」

ナマエが真面目な顔で言ってのけるので、今度は女中の方が虚を突かれる番となった。
恋愛談義といえば女同士の挨拶のようなものである。しかし女の世界で長く生きてきた女中とは違い、生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの世界で生きてきたナマエはその限りではなかった。

とは言え固まってしまった女中を見てナマエは慌てた。
柱に迷惑をかけたと気落ちしていた自分にせっかく話しかけてくれのに、返答に困るような事を言ってしまった自覚があったからだ。

「いや、でも確かに水柱様は素敵な方だとは思いますけどね!」

とりあえず話題を最初に戻して、女中の言うことを肯定しよう。そう思ったナマエが務めて明るく言ったのと同時に、襖の向こうでしわがれた鴉が声を上げた。

「義勇、入ランノカ?」
「寛三郎……っ!」

続いて聞こえたのは若干上ずった義勇の声だ。時すでに遅し。ナマエの顔面からは、さあっと血の気が引いた。

「ミョウジ……風呂はお前が先に入れ。怪我人は早く寝ろ」

襖越しにそれだけ言って、義勇の足音はあっという間に遠ざかっていく。
ナマエは女中と顔を合わせ、二人してしばらくの間固まっていたのだった。

一方風呂が沸いたと連絡を受けたのでナマエに先に入るよう言いに来ただけだったはずの義勇は、鬼が見たら裸足で逃げ出すほどの形相で部屋まで戻る。

「何だったんだ、さっきのは……」

不幸にもナマエの最後の一言しか聞いていなかったので、義勇は何故彼女があんなことを言ったのか分からないでいた。

「そんな訳、あってたまるか」

自分と同様にナマエの事もあの日守ったはずの、錆兎ならまだしも──
その時心配そうに見上げてくる寛三郎の視線を感じ、義勇は表情を僅かに和らげる。

「スマンノゥ義勇、ワシガ声ヲカケタカラ」
「良いんだ寛三郎。中にどう呼びかけようか迷っていたから」

義勇はそうしてしばらくの間脂の少ない毛羽だった背中を撫でていると、騒つく気持ちが少しだけ穏やかになる気がしたのだった。

 
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