−−頼みがある。
朝の定例報告に訪れた際にやたら神妙な顔つきをしていたかと思えば、社長の口から出たのはそんな言葉だった。この前置きが付くということは仕事の話ではない。
以前もこんな事があったかと思案していると、社長は珍しくどう切り出したら良いか迷っているようだった。
この人にこんな顔をさせる原因は一人しか思いつかない。今度はどんな無理難題を吹っかけられるのかと待っていたが、社長から言い渡されたのは意外な言葉だった。
今日は新しい街には行かず、私はクリフ・リゾートに残っている。レノとルードさんは復興作業に、ツォンさんとイリーナはミッドガルのオフィスへとそれぞれ向かって行った。
何故私がここに残ったかというと、ルーファウスと一緒にある人物と会うことになっていたからだった。その人は約束の時間きっちり五分前に訪ねてきた。生真面目な性格は相変わらずらしい。
「お久しぶりです、統か……リーブさん」
ビジネススーツではなく青いコートを身に纏った元統括は、以前よりも溌剌とした表情を浮かべている。
リーブさんは今では明確に反神羅を掲げて復興ボランティアの支援を行なっているけれど、こちらが復興活動の手助けをする限りは協力すると明言していた。今や彼の発言力は無視できないほどに大きく、生存を公表していないルーファウスとは秘密裏に通じているものの、対等な立場もしくはそれ以上とも思える存在となっていた。
私はロッジのドアを開けて彼を迎え入れると、決して広くはないダイニングに案内する。リーブさんが若い頃にクリフ・リゾートを利用した事があるのか分からないけれど、ここが保養所のロッジと分かっていれば狭くても仕方ないと思うだろう。
「社長、リーブさんがお見えになりました」
車椅子のルーファウスはテーブルについて元統括を待っていた。
「辺鄙なところまで遥々ごくろう」
「いえ、お招きいただいて光栄です。静養するにはぴったりの場所ですね」
リーブさんはにこにこと笑みを浮かべながらルーファウスの向かいの席に座る。私がコーヒーを出すと、ありがとうという言葉とともにその穏やかな微笑みを向けてくれた。
「お身体の方はいかがですか?」
「変わりない。こうして日々何もせず引きこもっているから悪化のしようがないだろう」
「またまた。新しい街もどんどん開拓されてきていますけど、あなたの指示でしょう?」
コーヒーカップを口につけながらルーファウスを上目で見るリーブさん。対するルーファウスはフッと笑っただけで、同じようにコーヒーカップを口元に運んだ。
私も自分のカップをテーブルに置いて、ルーファウスの隣に椅子を持ってきて座る。
「ああ、そう言えばあの街は『エッジ』と呼ばれ始めているようですね」
私の目を見るリーブさんが人差し指を立てて言った。
「え? そうなんですか?」
「おや、ナマエさんが名付けたんでしょう?」
「あれは街の名前という程の意味じゃなかったんですけど……」
確かに私が製図した街の区画図のタイトルに『ミッドガル エッジ』と記載はした。エッジというのは『淵』とか『へり』という意味の言葉で、ミッドガルのへりに作られる街だからそう書いたのだけど。
「タークスの人達がボランティアに、これが街の名前だと言ってまわっていると聞きましたが?」
「え? みんなが?」
私が目を丸くしていると、隣で話を聞いていたルーファウスが肩を震わせ始めた。
「ククク……そういうことか」
「社長……?」
「お前が名付けた兵器を思い出せ、ナマエ。ガードスコーピオン、ピラミッド、タークス光線、キャリーアーマー。反対にエアバスターやシスター・レイ、プラウド・クラッドはお前の作品では無いな?」
突如私の作った兵器や武器の名前が羅列されて、ルーファウスの意図が分からない私は首を傾げる。するとリーブさんまで口元を覆って声を震わせた。
「なるほど、フフッ……それは彼らも街の名前だと思うでしょうねぇ」
「リーブもそう思うだろう? これのネーミングセンスはいつもこうなんだ」
二人は顔を見合わせて、遂に声を上げて笑い始めた。もしかして……もしかしなくても、タークスのみんなも本気で私が街の名前を『ミッドガルのへり』とつけたと思っていた?
「素直で大変よろしいと思いますよ、私は。社長には無いものですし補い合って良いでしょう」
未だに笑いの余韻を残したリーブ統括が空になったコーヒーカップをソーサーに置いた。
その余裕漂う所作にはかつての過労死候補ナンバーワンの面影はない。どちらかといえば今の彼に漂うのは大物政治家のそれだ。
「そんな素直なナマエさんにもお願いがあってやって参りました。社長には勿論……もっとたくさん持って参りましたが」
「怪我人相手に容赦ないな」
リーブさんはルーファウスに向けて困ったように眉を下げて笑う。怪我人−−とルーファウスは敢えて言ったけれど、きっとリーブさんには星痕のことも伝えずとも気取られてしまっているだろう。
それでも深くは追求しなかったリーブさんは、それはもう沢山のお願い事−−神羅カンパニー側も飲まざるを得ない事ばかり−−を残してジュノンに帰っていった。
私の同僚だったジュノン支社の社員たちは、その大半がリーブさんの興す復興公社に加入を希望しているらしい。人のためになる機械を作りたいと、みんなそう思っているのだろう。
この先歩んでいく道は少しずつ枝分かれしていくけれど、それでも世界の復興のために神羅で培った技術が役立つならそれで良いのかもしれない。それは巡り巡って、神羅カンパニーが世界を救うことに繋がるのだから。
「相変わらず底知れない男だ」
リーブさんが律儀に空にしていったカップを片付けている私に向けて、ルーファウスは鼻で笑いながらそう言った。
「これからは傷つけるばかりではない治安維持を……か」
ルーファウスが呟くのは私たちに向けてリーブさんが語った言葉だ。
今までミッドガルの治安は主に神羅軍によって守られてきた。守られてきたと言っても、その裏で沢山の声無き声が消されてきたのだけど。
リーブさんが構想している復興公社は、新しい街を中心として復興後の世界の治安維持の役目も負う予定らしい。他に候補が無いのだから妥当なところだとは思う。今の神羅には軍を動かす程の力は無いのだから。
しかしリーブさんは彼らしく、神羅軍のような暴力だけで解決する組織にはしたくないと言う。最終手段として武力も必要だが、例えば犯罪者はいきなり射殺するのではなく捕獲して公平で人道的な裁きを受ける。彼はそう提唱していくつもりらしい。一応今までも、世界の仕組みはそうだったはずなのだけど。
「それを俺に協力しろというのだから笑える。俺は公平や人道的などという言葉とは対称にいるような男だぞ?」
「そんな事ないでしょう。ルーファウスなら理解してくれる、力になってくれるって期待してるんだよ」
「フッ、本当に底知れない男だな」
そう言いながらもルーファウスは上機嫌だった。これまでこんな風に彼と対等な目線で大局を見据えた話ができる人はいなかったのだろう。
確かにリーブさんは生真面目なだけの人ではないとは分かったけれど、それでもまたこうしてルーファウスとこの星の未来について話し合いに来て欲しいなと思った。
「ところで、ナマエ」
ルーファウスは車椅子を押して私の後ろまでやってくる。私が振り向くと、彼は私に少し屈むよう手招きした。
「もう少し頭を下げられるか」
「ん? これでいい?」
私の視界にはルーファウスの膝から下が映っている。彼はかけていた白い膝掛けをよけると、そこに置かれていた何かを持ち上げた。
かさりと葉っぱが揺れるような音がして、私は頭に違和感を感じる。手を伸ばしてみると、何か柔らかくて薄い物に触れた。どことなく、甘い香りが漂ってくるような……
カシャ。
突然シャッター音がして驚いた私が顔を上げると、目の前にはルーファウスの手。そしてそこに握られているのはしばらく見ていなかった懐かしい物−−携帯用の電話端末だった。
「ほら、記念すべき一枚目が自分の写真というのも良いだろう」
目を丸くしている私に、ルーファウスはその端末を渡してきた。思わず受け取って液晶画面を見ると今撮られたばかりの写真が表示されていて、そこに写っているのは今と同じ屈んだ体勢の私と、頭に乗せられた緑の葉と花々。
「花冠……」
そう。ルーファウスが私の頭に載せたのは花で作られた冠だった。緑の葉の合間に白と黄色、そして差し色としてオレンジの花で編まれた冠には、正真正銘みずみずしい生花が用いられていた。
「ツォンが咲く場所を知っていたらしい。十中八九、伍番街スラムだろうな」
「ツォンさんが摘んできてくれたの? じゃあ編んでくれたのは……」
花売りから買った物ではないのなら、ツォンさんが自ら手折ってくれた花を誰かが編んだということになる。それは多分イリーナや、ましてやツォンさんでもないだろう。
「それと併せて今年の誕生日プレゼントとする。返品は受け付けないぞ。苦労したんだ」
私の手の中の携帯端末を顎で示したルーファウスは、車椅子を回転させてこちらに背を向ける。無意識に触れた花冠には、彼の温もりが残っていた。
「途中で、温まると萎れてしまうかもしれないと気づいたんだがな。しばらく生花になど触れていなかったから忘れていた」
少しだけ顔を横に向けたルーファウスは、口元を手で覆うと軽く笑う。
「フッ……それこそ昔お前に花束を渡した以来だ」
「懐かしい……初めて、二人で食事に誘ってくれたときだよね」
目を瞑れば鮮やかに蘇る、彼が花売りから大人買いしたという小さな花束とあの日の記憶。シスネに泣きついたあげく慣れないおめかしをして緊張しっぱなしだった私と、今よりまだ少し青さの残るルーファウス。
「白状するが、あの頃にはもう惹かれていた。お前を手元に置きたくて人事に根回ししたくらいだからな」
「えっ……知らなかった……」
様々な経験を積むためにマテリア開発の担当になったと聞いていたので、ずっとそう信じていた私にとってこれは衝撃の事実だった。
「側に置けそうな優秀で信頼できる人間だからというのもあったが、それだけで食事に誘うほど酔狂ではない」
「でも、あれは確かお礼だって……」
「ああ、確かにそういう理由もあったな」
しれっとそんなことを言ってのけるのだからこの人は本当に昔から変わらず策士だ。
それでも一生懸命作ってくれたのだろう花冠をうっかり膝の上で温めてしまうような、可愛らしいところもあるのだからずるい。でもこういうところは、私だけが知っていればそれで十分だけど。
「ありがとう、ルーファウス。どっちも大切にするね」
「ああ、電話もようやく基地局が安定してきたらしくてな。お前も『エッジ』にいる時間が増えてきているから、安全の為にも早く持たせたかった。ちなみに俺の分もある」
そう言って肩越しに私と同じ機種の端末を掲げて見せるルーファウス。お揃いの端末なんて、嬉しくて顔がにやけてしまう。
「じゃああっちで寂しくなったらすぐに電話するね」
「ああ。待っている」
そう言って頬を緩めたルーファウスは、しかし次の瞬間胸を押さえてむせこんだ。新しい端末が床に落ちて部屋の隅まで滑っていく。
「ルーファウスっ!」
私は彼の元に駆け寄ると丸まった背中をさすった。今日は朝から調子が良さそうだったから、たくさん喋らせたりと無理をさせてしまったかもしれない。
「クッ……俺は、屈したり、しない……」
シャツの胸元をきつく握り締めながらルーファウスが掠れた声で呟いた。不治の病に侵されて尚必死に抗おうとする彼の口の端から、無情にも黒い液体が一筋垂れる。
膝にかけていた白いブランケットを乱雑に口元まで寄せて、顔の下半分を覆うルーファウス。荒い呼吸を繰り返しながら、彼は青く鋭い瞳で虚空を睨みつけた。
真っ白だったブランケットは、ルーファウスが口元に当てた部分からじわじわと黒く染まっている。
少し経てば落ち着く発作だというのは経験から分かっている。酷く痛むときの為に薬だってある。それでも、辛そうな彼を見ているだけで私は胸が張り裂けそうになってしまう。
お願いだから、これ以上彼を苦しめないで。
祈る神なんて持たない私は誰に縋ったらいいのかも分からない。それでもルーファウスの背中に手を当てながら、私は必死に心の中で祈り続ける。
私がルーファウスに駆け寄った時に床に落ちてしまった花冠は、それでも微かな香りを漂わせながら、窓から差し込む陽の光に照らされてまるで淡く輝いているようだった。