メテオが消えて空が元に戻れば何もかも元通りになると、皆そう思っていた。
でも現実は違う。近付きすぎたメテオを地下から噴き出したライフストリームの嵐が飲み込んだ結果、巻き込まれたミッドガルの街並みは破壊され、見るも無残な有り様だった。
中には亡くなった人もいて、ライフストリームはこの星を守ったけれど私達人間のことは守ってくれなかったと思わされた。
それでも、生き残った私達はこの先について考えなくてはならない。
生活する場所すら無くした人も多く、破壊されたミッドガルから脱出してきた人達はカームに押し寄せてきていた。
私は数日の間その様子を二階の窓から眺めるくらいしか出来なくて、不甲斐ない自分に腹が立つ。
片足を骨折した私は松葉杖をついて数歩歩くことはできるようになったけれど、未だに階段を降りることもままならなかった。
ルーファウスは安全なところにいるのだろうか。
療養施設について詳しく話してもらえないまま、シスネも他の元タークス達もあの日以来この家に寄らなかった。どうやら皆情報収集のために各地に散っているらしい。
基地局がやられているらしくて携帯端末も使い物にならなかった。
出来ることもなく、会いたい人にも会えない。
私はただ不安な気持ちを紛らわすように窓の外をじっと観察していた。
すると、住宅街の向こう側から一筋の煙が上がっているのが見えてくる。白い煙ではなく黒煙だ。ということは、焚き火ではなく火事の可能性が高い。
この家からは離れた場所だけれど、燃え広がりでもしたらただでさえ避難民で溢れたカームの町は大惨事になってしまう。
「エルミナさん、すみません!」
私は階下に向けて声を張った。こんなに大きな声を出すのはウェポンに襲撃を受けたあの日以来だろう。
すぐに慌ただしい足音が聞こえてくる。
エルミナさんはすごく愛想の良い人というわけではなかったけれど、とても親身になって私の面倒を見てくれていた。
マリンちゃんも彼女によく懐いていたし、一緒に私の看病もしてくれる。エルミナさんから色々と教えてもらっているのだろう。
本人曰く、暇にしているよりは神羅の人間であっても世話する人がいた方が張り合いがあるらしい。養子とはいえ大切なお嬢さんを亡くしたのに、なんと気丈な人だろうと思う。
怪我が治ったら絶対にこの恩を返したいと、心からそう思わされる人だった。
「どうしたんだいナマエ、そんなに大きな声を出して」
「火事かもしれません。あそこを見てください」
部屋に入ってきたエルミナさんは、私の横まで来ると一緒に窓の外を見る。すぐに彼女からはっと息を飲んだ音がした。
「この町のことは詳しくないけど、あっちは大きい屋敷が並んでいる区画だよ」
「火の手が回る前に消されれば良いのですが……。マリンちゃんは?」
「マリンは近所の子供達と遊んでる。周りに知らせながら急いで呼んでくるよ」
「すみません、よろしくお願いします」
こういう時に何も出来ず、いざとなれば足手まといになる可能性もある私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「ナマエは神羅のお偉いさんとも繋がりがあるんだろ? ならあんたの本当の見せ場はこの後、復興が始まってからさ。今はとにかく休むことを考えるんだね」
そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、エルミナさんは私の肩を軽く叩くと部屋から出て行った。
しばらくすると煙は立ち消えた。どうやら他の住宅に燃え移ることはなく消し止められたらしい。
どれだけ大きなお屋敷だったのか私には確認する術がないけれど、様子を見に行ってくれたエルミナさん曰くこの町の中でも有数の名家の邸宅だったらしい。
「火事になる前にも騒ぎがあったようだよ。こんな時に物騒だねぇ。まあ、こんな時だからなのかもしれないけどさ」
マリンちゃんを連れて二階に上がってきたエルミナさんはそう言った。
「みんなピリピリしてるのは分かるけどさ。喧嘩したってしょうがないのに、まったく」
「そうですね。行き場のない苛つきが溜まってきているんでしょうか……この町にはだいぶミッドガルからの避難民が溢れてきましたし」
「外にいる大人の人たち、みんな怖い顔してるよ。へんな病気が流行ってるんだって」
マリンちゃんは私の横たわるベッドの縁に腰掛けて、向かいの椅子に座るエルミナさんを見上げた。
「へんな病気?」
私が首を傾げると、エルミナさんが険しい顔つきになる。
「ここ何日か私もその話を聞くようになったよ。なんでもミッドガルで得体の知れない病気が流行り出したらしい」
「ミッドガルで、病気が……」
「黒い膿が出るとかなんとかで、死人も出てるって話だよ」
そんな病気のことは今まで聞いたことがない。タイミングからしてメテオやライフストリームが関わっていそうな気がして、どこか嫌な予感がした。
そんな時、階下から家のドアがノックされる音が聞こえてくる。
エルミナさんは窓から下の様子を見て、溜息をつくと一階に降りていった。
ドアを開けたエルミナさんの苛立った声と共に聞こえてくる男性の声には、はっきりと聞き覚えがある。
「あんたの顔はもう二度と見たくなかったんだけどね」
「……生憎、ナマエ・ミョウジにどうしても伝えなければならないことができたのでな」
「良い話なんだろうね?」
「私がそんな話を持ってきたことがあったかね」
この声はツォンさんのもので間違いない。エルミナさんの返事をそれ以上は待たず、ツォンさんが階段を上ってくる靴音が聞こえた。
「お久しぶりです。怪我、良くなったんですね」
「ああ、おかげさまでな」
前に病院で会ったときとは違っていつもの黒いスーツに身を包んだツォンさんは、マリンちゃんの助けを借りながら身体を起こす私を見て立ち止まる。
その表情は苦虫を噛み潰したような、険しいものだった。
「今度は私がこっち側になっちゃいました。へへ……」
情けなくてなんと言って良いか分からない私はとりあえず誤魔化すように笑ってみる。でもツォンさんの顔は変わらなかった。
「社長が誘拐された」
たった一言。ツォンさんはそう言って眉間の皺を一層深くする。
対する私はその言葉を理解するまでに時間がかかってしまって、ただまばたきを繰り返していた。
ルーファウスが、誘拐……?
なんで?
療養していたんじゃないの……?
「実は……社長もカームに滞在されていたんだ。しかし襲撃されて何者かに拐われてしまった。我々が外に出ている隙に……」
「カームに? じゃあ、近くにいたってことですか?」
ツォンさんは険しい表情のまま、気まずそうに視線を逸らす。こんなに感情を隠さないツォンさんは初めてだった。
「その件については後ほど本人から釈明していただく。しかしナマエ……力を貸してくれないか」
ツォンさんは何を言っているだろう。
今の私にできることなど何も無いのに。だって、自力でこの部屋から出ることもできないのだから。
「私、ここで寝てるしかできませんよ」
「この部屋にいてくれて構わない。ペンは握れるのだろう? 図面を起こして欲しいんだ」
「図面……?」
ツォンさんは私に向かってロールされた紙を差し出す。目の前で広げられたそれは、兵器を設計する時にも使う製図用の方眼紙だった。
「新しく作る街の区画図を作って欲しい」
「は? 街の、区画図……?」
予想もしなかったツォンさんの答えに呆気にとられてしまったのは許して欲しい。その依頼の意図が分からず、私は方眼紙とツォンさんを交互に見比べた。
「なんで私が? というか、新しい街ってなんですか?」
「きみが作れば喜ぶだろう。それに、管轄外だとは思うが我々よりは遥かに適任だ。私達はこんな紙扱ったこともない」
ツォンさんは方眼紙を私の膝の上に置く。
「ミッドガルから東に新しい街を作る。社長のアイディアだ。……おそらく、だが」
真っ新の方眼紙からは何も読み取れない。
ここに、私が街を描く……?
「既にボランティア達がミッドガルから使えそうな資材や作業機器を運び出しているが、無秩序に造られては敵わないからな。誰かが街の図面を起こさないとならない」
「それを私が? もっと適任の人がいるでしょう。都市計画部門の社員は見つからないんですか?」
それこそリーブ統括やその部下なら得意だろうに、ツォンさんは目を閉じると首を横に振った。
「リーブ統括は神羅を離れるだろう。今は専門部署の社員を探している時間も惜しい。何せ我々はまず第一に社長を探さなければならないからな」
「それは本当に、まず第一にしていただきたいですけど」
「必ず、無事にきみの元へお連れする。だからきみの方も社長がお戻りになった時に喜んでいただけるよう、早急に頼んだぞ」
そう言われて断れるわけがない。
ツォンさんはきっと今だってルーファウスを探しに行きたいだろう。彼らが必死にルーファウスの為に動くなら、私だって出来ることをしたい。
「お姉ちゃん、今度は機械じゃなくて街を作るの?」
ずっと私の側で静かにしていたマリンちゃんが口を開いた。その希望に輝いた瞳に真っ直ぐ見つめられて、もう私は首を縦に振るほか無くなってしまう。
消えかけていた胸の奥の炎が、再び揺らめき始めたような気がした。
「それと、もう一つ」
私がようやくやる気になったと分かったらしいツォンさんは、窓の外から下を見下ろして合図を送る。
すると玄関が開けられて、エルミナさんが驚く声と共に階段を何か人間ではないものが駆け上ってくる音が聞こえた。
「ガウッ!」
「ダークネイション!?」
黒い身体に真っ赤な眼。赤い糸で刺繍の入った黒い首輪。
駆け込んできたのはルーファウスの軍用犬ダークネイションだった。
ダークネイションはベッドの上の私の足元に両前足を乗せて顔を上げる。
マリンちゃんが少し身体を強張らせたので、私は少女の肩に手を伸ばした。
「大丈夫。私を守ってくれたんだよ」
「……こわくない?」
「うん。ご主人に似て優しい子だから」
そう言って背中を撫でてあげると、マリンちゃんから力が抜ける。
マリンちゃんはダークネイションの顔を覗き込んだ。
「お姉ちゃんを助けてくれてありがとう」
「ワフッ」
賢いダークネイションはマリンちゃんに向けて小さく吠える。見る限りもう怪我は治っているようだ。
「彼はきみに預ける。我々はしばらくミッドガルと各地を行き来する事になるからな」
「分かりました。社長がお戻りになるまで責任を持ってお預かりします」
「……ふたりで飼えばいいだろう。まあいい、任せたぞ。こちらは任せてくれ」
ツォンさんは呆れた声でそう言うと、私の返事も待たずに部屋から出ていく。
また階下から、エルミナさんとツォンさんが今度は聞き取れないくらいのトーンで何か話している声が聞こえてきた。
(ふたりで飼う……ね)
私はその言葉を頭の中で反芻する。
(ルーファウスはそんなこと望んでないんじゃないかな……)
だって彼は、カームにいたのにそれすら教えてくれなかったのだから。
あの作戦でウェポンを撃破するのが遅くなったから本社はめちゃくちゃになってしまった。その事で彼は私に失望したのではないかと思い、胸が苦しくなる。
過去を悔やんでも仕方ないけれど、ついそんなふうに考えてしまう。
ふと気付くと、ダークネイションが一度ベッドから前足を下ろして私とマリンちゃんのすぐ側まで歩いてきていた。
彼は私の顔の枕元に顔を乗せて、心配そうに見つめてくる。
「助けてくれてありがとうね」
私はギプスをしていない方の手でダークネイションの頭を撫でた。
マリンちゃんも真似してダークネイションの首を撫で始める。彼は気持ちよさそうに目を細めて、鼻を鳴らした。
「ダーク……なんだっけ?」
マリンちゃんが首を傾げる。
「ダークネイション、だよ」
するとダークネイションは私の目をじっと見つめてきた。何か言いたげなその目は、不満そうにも見える。
「ディー」
私がそう呟くと、ダークネイションはぺろりと私の指先を舐めた。
「ふふ。改めてよろしくね、ディー」
私の手の甲にぴったりと頬を擦り寄せて、ダークネイションは触手を大きく横に振りはじめた。
ルーファウスが無事に戻ってきた時なんと言われるかは、今は考えないでおく。
それより、ルーファウスのアイディアというからには新しい街を作る計画は絶対に成功させないといけない。エルミナさんにも、復興が私の仕事だと言われたばかりではないか。
私は頬擦りしてくるダークネイションを撫でながら、心の中でそう決意する。
彼がもし私から離れていったとしても、彼のために頑張ろうと決めたこの気持ちは変わらないのだから。
まさかその頃ルーファウスが宝条博士の元部下で、野心を秘めた科学者兼医者ーー名をキルミスターというーーによって、郊外の洞窟に監禁されてしまっていたとは、私には想像も出来なかった。
そしてこの先彼がミッドガルで蔓延する星痕症候群という病に蝕まれてしまうなんて、思いもよらなかったのだった。