誰かに呼ばれたような気がして、重い瞼を押し上げてみる。
これが夢か現かも分からないくらい、身体の感覚は曖昧だった。
(ここは……どこ? どうして私はこんなところに?)
薄暗い辺りを見回すと、どうやら狭い部屋のようだ。窓を覆うブラインドの隙間から薄く明かりが漏れている。
時間の感覚も失った私には、今が宵の始まりなのか夜明けなのかすら分からなかった。
それでも目を凝らしていると少しずつ暗さに慣れてきて、ようやくここが、どこかの病室だということが分かる。
身体の感覚が麻痺しているらしくて、自分がベッドに寝かされているということにすら気付かなかった。
前にもこんなことがあった。
気を失って、次に目覚めた時は知らないベッドの上。
でもあの時は、ずっとこの手を握っていてくれた人がいた。
そこまで思い起こして、私は意識を失う前の出来事をやっと思い出す。
(そうだ私は神羅ビルで……、ルーファウスは!?)
起き上がろうとして、全く力が入らないことに気がついた。
よく見れば私の右腕は包帯に巻かれ、その下は硬い何かに覆われている。そして左腕からは細いチューブが伸びていて、ベッドサイドに置かれた器具に繋がれていた。
「点滴……と、ギプス?」
左を見て、右を見て、そう呟く私は口が上手く回らなくて舌を噛みそうになる。
この状況から言って私は鎮痛剤を入れられているのだろうか。
ということは、怪我はしたけれど生きている?
「起きてたのね」
ドアが開いて誰かが入ってきた。
廊下から漏れる明かりのせいで逆光になっていて、すぐには顔の判別がつかない。
でもそのシルエットと声は、確かに私の記憶の中にあるものだった。
ドアが閉められてまた部屋が暗くなる。その代わりブラインドが開けられて、僅かに明るさが増した。
「もうすぐ朝よ。と言っても、空は見れたものじゃないけど」
既に窓の外は白み始めていた。上空には赤黒いメテオが迫り、それは私がシスター・レイの作戦に入った時よりも大分大きくなっていた。
「シスネなの……?」
私はようやくその顔をはっきりと確認して目を見開く。
もしかして、やっぱりここはライフストリームの中の世界なのだろうか。
「驚かせてごめんね。でも、現実よ」
そう言って困ったように微笑むのは、亡くしたはずのかつての友人で。
「みんなまだ生きてる。私もあなたも……社長もね」
「……生き、てる……」
シスネだけじゃなくて、ルーファウスが生きている。
その言葉が胸の奥にじんわりと広がって、目の奥が熱くなった。
最後に聞いた苦しそうな彼の声を思い出す。
激しい爆風の中でもイヤホン越しに届いたその声は、確かに私の名前を呼び続けていた。
「無事で良かった……」
身体を起こすことどころか手を握りしめることも叶わずに、私はただ力を抜いて瞳を閉じる。
彼を失った人生なんて考えられない。
それにおそらく彼は、私を助けるために自分の護衛を送ってくれたのだ。今やルーファウスは私の大切な人で、命の恩人でもある。
「そう! ダークネイションは? 私を助けてくれたのはあの子だったはずなんだけど」
死を覚悟した瞬間に確かに耳に届いたのはルーファウスの護衛、ダークネイションの吠え声だった。その後すぐに頭と身体に衝撃が走ってからは記憶が途切れている。
「今治療中よ。レノとルードがあなた達を瓦礫から探し出したの。ダークネイションのお手柄ね」
「ダークネイションも無事なんだね、良かった……」
するとシスネが窓の外を見ながら言った。
「でも、このままだと星ごとみんなお終いだわ」
私は目を開けて、彼女と同じく窓の向こうに目を向ける。
メテオはその表面に漂う石の破片まで肉眼で確認できるくらい、すぐそこに迫っていた。
「私たち、結局何もできなかったのかな……」
「そんなことない! 北のバリアだって破られたし、ウェポンももういなくなったわ。あとは……彼らに賭けるしかないけど」
「彼ら?」
バリアが無くなった後、本当は神羅軍を投入してセフィロスを討伐するはずだった。
でも本社がウェポンの攻撃を受けてそれが叶わなくなってしまったのは想像できる。メテオがまだ消えていないどころか、これだけ接近しているのだから。
ならシスネは一体この星の未来を、誰に賭けると言うのだろう。
私はきっと怪訝な顔をしていたのだと思う。シスネはそんな私を見て苦笑いした。
「多分ナマエからしたら信じられないかも知れないんだけど、クラウド達が多分、北の大空洞で戦ってる」
「クラウドってあの、アバランチの?」
その名を聞くだけで色々な苦い思い出が蘇る、自称元ソルジャー。
彼らは確かにセフィロスを追っていたけれど、まさかあの元英雄と戦う力が本当にあるのだろうか。
「ナマエ達がバリアを破ったから、彼らは大空洞の中に入れたみたい。リーブ統括から私の元上司に入った連絡によるとね」
「そうなんだ……」
「神羅は出来ることをやったと思う。ま、元を正せば神羅が原因を作ったところも沢山あるんだけどね」
シスネのいう事は正しい。
ジェノバを発掘して保管していたのも、そこからセフィロスを創り出したのも、ライフストリームをエネルギーとして消費し始めたのも神羅カンパニーだから。
それでもルーファウスやリーブ統括はそんな負の部分を背負ってジェノバやセフィロスと戦おうとした。
結果は思い通りにはならなかったけれど、もしも私達の行いが無駄では無かったと思える日が来れば良いのにと、私は未確定の未来に思いを馳せる。
それを今までずっと恨んできたあのクラウド達に託すのは都合が良すぎるかもしれないけど、頼れるものは今になってはもう他に無かった。
「ま、とにかく今ナマエに出来るのはゆっくり身体を休めることだけよ。メテオはギリギリになったとしても回避されると信じましょ」
そう言ったシスネがブラインドを閉める。彼女の言う通り今私に出来ることなど、一つも無かった。
「社長にも、良くなったら会えるからね」
私にブランケットをかけ直してくれながらシスネが言う。
「今は二人ともよく休んで。せっかく気持ちも通じたんでしょ? タークスのみんなから聞いたわ。おめでとう、ナマエ」
「……ありがとう」
「私は神羅を離れたけど、貴方達が居る限り神羅カンパニーは続くんだからね。この先も」
そう言って微笑むシスネは、もう違う世界の人なのだと思わさせる。それが私には少しだけ寂しかった。
「そんな顔しないの。会おうと思えば会えるわ。社長が、この命を救ってくれたからね」
「社長が……?」
「そ、私達が殉職したっていうのは社長の工作なのよ。先代の目を欺いてね」
「そうだったんだ……私には何も話さなかったから知らなかった」
思えば、ルーファウスは今までそう言った血生臭い話を私にすることがなかった。神羅の裏の顔をあまり見せたくないという素振りすらしていたくらいだった。
本当はもっと彼の抱えているものを知りたかったし、私に出来るならその重荷を少しでも一緒に持ってあげたいのに。
「ナマエには神羅の裏の汚い部分を見せたくないのかもね」
考え込む私を見下ろしてシスネは眉を下げる。男ってカッコつけだから、と言って彼女はまた笑った。
「ほんと社長ってナマエの前だと普通の男の人になるわよね。昔から変わらなくて安心したわ」
「そうなのかな……でも私はもっと色々話して欲しいよ」
「直接そう言ってあげなさい。まあ、社長の気持ちも理解はできるんだけどさ。私も"裏"の人間だから」
本来はこの世界から消されるはずだった人間ーーシスネはそう言って、少し話しただけなのに段々と眠くなってきてしまった私の瞼を撫でた。
強制的に視界が遮断されると、本格的に眠気に抗えなくなってくる。
「綺麗なものにはね、ずっと綺麗なままでいてほしいものなのよ。それが汚れた手を持つ人間の……帰る場所になるから」
最後に耳に届いた言葉はやけに頭に響く。
自分がルーファウスにとってそうなれたらいいなと思いながら、私の意識はまどろみに沈んでいった。
「目覚めたそうです」
「……そうか」
窓の外の赤い空を見上げながら、携帯端末をしまったツォンが言う。
「カームへ移る。出発の準備を」
俺が目を覚ました後に一度顔を出したレノから進言されたこと。それはミッドガルからの脱出だった。
メテオは真っ直ぐにこの街に降ってくる。なら俺は少しでも安全なところへ、というのがタークス達の総意らしい。
不本意ではあるが自分だけでは満足に動くこともできないので、彼らの意見もある程度は取り入れないとならないと思った。なのでせめてミッドガルの近くにと、カームならば移ると彼らに伝えてあったのだ。
ただしナマエの容態が心配だったので、時期については少しだけ待たせていた。待つほどの猶予は、実際の所無いに等しかったのが。
「ではシスネにもその旨を……」
「あの家には連れて行かない」
「は? 連れて行かない?」
カームには神羅カンパニーが所有する住宅があり、俺はそこに移る手筈になっていた。
だがそこにはナマエを連れて行くことはしない。
ツォンは露骨なまでに怪訝な表情で俺を凝視した。少し素が出ていないか?
「リーブが手配した家があるだろう、古代種の母親達が匿われているあそこだ。ナマエはそっちに」
「何故側に置こうとしないのですか、もしかしたら星が……」
「星が無くなるなら尚更どこに居ても同じだ。だがもし無くならなければ? 俺達神羅は民衆から恨まれることになるだろうな」
俺はその呵責を受けてしかるべき立場にある。何故なら俺は神羅カンパニーの社長だからだ。
だがナマエはどうだ?
彼女に謂れなき憎しみの目や罵詈雑言が向けられるのは耐え難い。
そうなれば俺は愚かな民衆達に対してどう出てしまうか分からなかった。
俺がそう畳み掛けるとツォンは言葉を詰まらせる。そうだ、それで良い。俺に従順なタークスの主任。それがお前なのだから。
「分かりました……ですが」
俺の元に歩み寄ってきて、よれたブランケットをかけ直すツォン。少し前まではツォンが病床の住人だった筈だがすっかり立場が逆転してしまった。
「あなたの怪我が今よりマシになったら呼び戻しますよ。今更ジュノンに帰しても仕方ないでしょう」
「俺の怪我が基準?」
そこはナマエの怪我ではなく? と問おうとすると、ツォンはいつも通り感情の読めない目でじっと俺を見つめてくる。
しかもなんだ、マシって。完治ではなくてか?
「ナマエはすぐにでもあなたの元に来たいと思いますよ。民衆の目からだって守れぬあなたや我々ではないでしょう。ただ……ご自分で動ける状態になるまで見せたく無いという社長のお気持ちも分からなくはありませんから」
ツォンの黒い瞳には同情や嘲笑の色は含まれていなかった。それを読み取った俺は柄にもなく安堵してしまって、この期に及んで己の気位の高さに笑えてきてしまう。
「寝ている間には、あれだけ無理してお会いになったのに」
「お前の小言で耳が痛いな」
「なら早くお治しください。我々の気苦労が報われるにはそれしか無いのでしょうから」
さすがに長年一緒にいるだけあってよく分かっている。まったくもって頼もしいやつだ。
「まだしばらくは気苦労が絶えないな、ツォン」
するとツォンはこちらが驚くくらい、穏やかな表情で頬を緩ませる。
「それが私の役割ですから」
後に『運命の日』と呼ばれることになる、この世界が大きく変わってしまった日。
私はそれをカームの、とある民家で過ごす事になった。
「機械のお姉ちゃん、お薬だよ。まだ足、痛い?」
「ありがとうマリンちゃん。薬を飲んでれば平気だよ」
薬の袋と水の入ったグラスを手渡してくれるのはボブカットの可愛い女の子、マリンちゃん。彼女は神羅の上層部によって、少し前からこの家に匿われているらしい。
マリンちゃんと一緒にこの家に滞在して彼女の世話をしているのは、なんと伍番街スラムでお花を分けてくれたあの家の女性、エルミナさんだった。
エルミナさん曰く少し前まではもう一人病人を看病していたけれど、その人はだいぶ具合も良くなって、この事態に街の人達を助けると言って出かけて行ったらしい。
マリンちゃんは『とーちゃんの仲間はみんなスラムを守ってるんだよ』と言っていた。そして、その"とーちゃん"はこの星を守るために闘っているようだ。神羅軍の人ではないらしいけれど、エルミナさんに聞いても何をしている人かは教えてもらえなかった。
「みんな大丈夫かなあ……」
すぐそこにメテオが迫って来ているためか、カームの町も外は嵐のような天候だった。きっとミッドガルはもっと酷い有り様なのだろう。
マリンちゃんは伍番街スラムの子供達ーーそのほとんどがリーフハウスに住んでいるらしいーーとも友達のようだった。あれだけ近所に住んでいるのだから当然だろう。
どうやら私は『ぽんこつラジオを直した機械のお姉ちゃん』として伍番街スラムの子供達の間でちょっとした有名人らしかった。
しかも、男子曰くキザで、女子曰くかっこいいカレシを連れた、機械のお姉ちゃんらしい。
これを聞いた時には声を出して笑ってしまったけど。
でもそんなキザでかっこいい私の恋人は、有無を言わせず私をこの家に運ばせた。と言うのも、シスネを始めとした元タークスの人達が、ルーファウスからの指示だからと言って私をここに連れて来たのだ。
ルーファウスには一度も会えていない。どうやら怪我の具合が酷くて一足先に療養施設に移ったと聞いた。ほとんど眠っているらしいのは私と同じで鎮痛剤のせいなのかもしれない。
私も自力では歩くことができず、会いたくても会いに行けない。元タークス達は皆口を揃えて彼なら大丈夫と言うけれど、弱音を吐かないルーファウスが私は心配でならなかった。
「お姉ちゃん?」
薬を手にしたまま止まってしまっていた私の顔を見上げてマリンちゃんが首を傾げる。
「ごめん、何でもないよ。薬、飲むね」
私は鎮痛剤を口に放り込んで水で流し込んだ。これが効いてくれば、私はまた眠ってしまうのだろう。
もしかしたらその間にメテオが衝突して何もかも無くなってしまうのかもしれない。薬を飲むたびにそう思っては気持ちが落ち込んだ。
「お姉ちゃんのカレシも早く治るといいね、怪我」
マリンちゃんは他の子供達から話を聞いただけなので、それがどんな人なのかは知らなかった。
長らく不在らしい"とーちゃん"にとって今や親代わりのエルミナさんにはもしかしたら知らされているのかもしれないけれど、彼女の境遇を考えればマリンちゃんに話したりはしないだろう。
むしろ神羅カンパニーに対して良い思い出は無いだろうエルミナさんが私に優しくしてくれる事が不思議で、そして申し訳なかった。
「ありがとう、マリンちゃん。強い人だからきっと大丈夫」
半分は自身に言い聞かせるように。
そう言ってから私は落とした視線の先ーー手首に光るブレスレットを、何重にも包帯を巻かれた右手で触る。
どうして私を側に置いてくれないの?
本当に無事なの?
シスネ達は嘘をついているようには見えないけれど、彼らは抜けたとは言えタークスだった人達だ。
何か私には言えないことがあるのではないかと、不安に思ってしまう。
どうかこの不安が杞憂に終わりますように。
そう思いながら、私は心配してくれる可愛らしい少女に微笑み返す。
するとその時、あまりの風圧に窓ガラスが震えだした。
窓の外の空は赤く染まっている。そして遠くに見えるミッドガルの街並みの中、一番高い建物ーー神羅カンパニー本社ビルに刺さりそうなほど、メテオはもうすぐそこまで迫っていた。
突然マリンちゃんが窓際に走って行ったかと思うと窓の鍵を外す。
「危ないよ!」
私はそう声をかけるけれど彼女を止めるためにベッドから降りることも叶わない。
マリンちゃんは私の言葉なんて耳に届いていないみたいに、躊躇せず窓を開けると空を見上げた。
「お花のお姉ちゃん?」
「え……?」
強い風が吹き込んできてカーテンが舞い踊る。
マリンちゃんは窓枠にしがみつきながら、まるで誰かに話かけているみたいに一点を見つめていた。
物音に驚いたエルミナさんが階段を駆け上ってくる足音が聞こえる。
「マリン! ナマエ! 一体何事だい!」
「……来る」
エルミナさんが部屋に飛び込んできたのと同じくして、突然外が緑色に照らされた。
光の洪水が溢れて、眩しくて目が開けられない。
瞼の裏に広がるこの淡い緑色には覚えがあった。
「これ……ライフストリーム!?」
この星の命の源であり、この星に生まれた命が確かに生きた証。
私達が魔晄として吸い上げ、消費しているもの。
本来なら地中深くを流れるはずの命脈の塊が、どうしてカームの町に溢れているのだろう。
「マリン! 下がるんだ!」
エルミナさんが窓辺に張り付いたマリンちゃんを引き剥がして、窓を閉めた音がした。
部屋の中をめちゃくちゃにしていた風が止んで、ようやく少し明るさにも目が慣れたので私も薄く目を開けてみる。
すると窓の向こうでは、赤黒いメテオに薄緑のライフストリームが纏わり付いて、やがて包み込んでいくのが見えた。
「あれは一体……」
エルミナさんが呟く。するとマリンちゃんがその腕の中で答えた。
「お姉ちゃんだよ」
するとエルミナさんは目を見開いて、マリンちゃんを見てからメテオに視線を移す。
少しして、エルミナさんは目を閉じると胸に手を当てた。
「……そうかもしれないね。あの子なら、やりそうなことだよ」
その目尻には薄っすらと涙が浮かんでいる。彼女達が言っているのは、私も前にルーファウスから聞いたことがあるエアリスさんのことだろう。
エアリスさんは神羅カンパニーが守れなかった、最後の古代種だ。
「エアリスは本当に、不思議な子だった」
エルミナさんは未だに光が溢れる景色を見つめながらそう言って、口を閉じた。
その瞳には、何が写っているのだろう。
でも不思議と私も胸が温かくなって、優しい気持ちになれる気がする。
微かに香ってくるこれは、何の花のものだったっけ。
しばらくの間私達三人はただじっとミッドガルの方角を眺めていた。きっとこの町に住む人皆が同じだろう。
ようやく光が収まると、カームもミッドガルもその上空には暗い夜空が広がっていた。
もうどこにも赤黒い隕石はなく、魔晄による灯りで見ることができなかったはずの無数の星達が瞬いている。
「メテオ、無くなったね」
マリンちゃんが空を見上げて呟いた。エルミナさんは膝をついたままマリンちゃんの肩を抱いて、無言で頷く。
(ねえルーファウス。この星はまだ、続くみたい)
あなたに会いたい。
例えあなたは、私を遠ざけたいのだとしても。